好きなおでんの具材ドラフト会議しましょう

Peace cannot be kept by force. It can only be achieved by understanding.
平和は力によっては維持できない。 理解によってのみ平和は達成される。

理解によって「のみ」と言うのは間違い。



正しくは、「平和は、力と理解のバランスが保たれている時に達成される。」
ではないでしょうか?


みなさんはどう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

>>みなさんはどう思いますか?



ゼノンのパラドクスでは、なぜか、平和が保たれてゐます。もちろん、それは「力」による維持ではありません。

では、「理解」による平和なのか。いや、違ひます。約半数は状況を理解してゐません。ただし異変には気付いてゐるやうです。

平和を達成する新しい鍵が、ここにあるのかもしれません。「力」でもない「理解」でもない何かが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>平和を達成する新しい鍵が、ここにあるのかもしれません。「力」でもない「理解」でもない何かが。

新しい妄想暇つぶし娯楽ができました。ありがとうございます。
その方向性で、ちょいと妄想してみようと思います。

お礼日時:2014/07/07 12:28

ゼノンのパラドクスを読んで感じるのですが、理系の人は、純粋なのでせう。

異変に気付いてゐても、何度でも回答してくれます。しかも、純粋な回答を。いちばん平和を楽しんでいるのは、かういふ人たちのやうな気がします。争ひの種を持ち込んでも、平和が実現するといふのは不思議です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/07 12:29

こんにちは。



1,>平和は力によっては維持できない。 理解によってのみ平和は達成される。

2,>平和は、力と理解のバランスが保たれている時に達成される。

現実的には2です。私もさうおもひます。
ゼノンのパラドクスのやうに数学カテゴリ的なものとはことなり、社会学的な理論は、普遍性が乏しくなります。一面の真理、といつた要素が強い。

1と2で見解が分かれるひとつの原因は、個人と国際社会の関係をどう捉へるか、そこにあると見てゐます。

少数の集団であれば、理解のみで平和を保つことがある程度可能です。しかし、国際社会では、きはめて困難です。かりに、すべての個人が平和を愛したとしても、その求める平和の内容が異なれば、平和にはならないかもしれません。

細かく分析してゆけば、すべてが解明される、かういふ還元主義的姿勢を私は好みません。遺伝子を解明すれば、生物そのものがわかる、などといつた考へ方のことです。小さく分析された事実は、あくまでも小さな世界で通用するにすぎず、それ以上でも、それ以下でもありません。

かういふ西洋至上主義的見方よりも、東洋的な「木を見て森を見ず」といふ警告のほうに魅力を感じます。それぞれの「木」をどれほど深く知つたとしても、全体としての「森」を理解することはできません。

個人レベルの、もしくは少数レベルの「理解」による平和の考へが、そのまま全体としての国際社会に通用するのか。私はすこぶる疑問に感じます。

遠い将来のことはわかりません。しかし、「今」を見るかぎり、2をとらざるを得ません。

>>究極の日本国民への人権侵害である拉致問題。

すくなくとも、現実のかうした問題を心から解決したいと願ふなら、「きれいごと」だけですませてはいけないと思ひます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/07 12:26

1,>平和は力によっては維持できない。

理解によってのみ平和は達成される。

2,>平和は、力と理解のバランスが保たれている時に達成される。


格言として風格があるのは、やはり 1 でしょうね。

「そうでなきゃ!」という前向きの気分にさせられますよ。
これは少なくとも間違いではありません。人類の夢がこもったものです。
積極的な価値がこめられていなければ、格言はただの言葉でしかないと思います。

2 は、ただ、現実の追認、といった平凡な意味しか感じられません。まあ、とりあえずは間違いではないと思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>格言として風格があるのは、やはり 1 でしょうね。
確かに。

お礼日時:2014/07/07 12:25

力の側に理解を求めます。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

日本の「拉致問題」「竹島」「尖閣」に関して言えば、それはとっくの昔から今現在もやっていますが、このザマです。

お礼日時:2014/07/05 15:54

NO1さんの回答を読んで思ったのですが、


力によって維持される平和って、見せかけの平和だけのような気がします。

力の均等によって、戦争は起こらないかもしれませんが、
戦争のない世界=平和とはならない気がします。
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この回答へのお礼

その回答の私の返答は、読んで頂けたでしょうか?

平和とは何か。真剣に考えた方が良いと思います。
回答有難うございました。

お礼日時:2014/07/05 15:51

#2の者です。



>しかし、少なすぎる軍事力も侵略を誘発します。

「少なすぎる軍事力」だけのように見える場合も、必ず「相互
依存の深まりを理解できない政治家や国民の短絡的判断」
が伴います。
生産力(一般市民の命)を奪う事が勝利の条件となった現代
の戦争において、勝者は存在しないのです。
我々の身の回りの物は衣食住全て世界中から来ている=
世界中の人の順調な営為に拠っている(土地や資源が豊か
さの条件の時代は終わった)=勝っても損(=負け)。
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この回答へのお礼

>「少なすぎる軍事力」だけのように見える場合も、必ず「相互依存の深まりを理解できない政治家や国民の短絡的判断」が伴います。



「理解」だけで平和的に物事を進められると、本当に自負するのでしたら、その知恵をお貸して下さい。

先生には、ブータンやソロモン諸島だけでなく北朝鮮にも行って、その知恵を拉致被害者奪還のためにお貸し頂けないでしょうか?



「理解によって、平和を実現出来る」と、思うのは大変結構な事と存じます。
ではどうやって拉致被害者の平和を実現するか。それを真剣に考えましょう。

お礼日時:2014/07/05 15:46

おっしゃる通り、正しくない名言というものは、結構ありますよね。




私は、当分の間は、平和は、力のみでしか達成も、維持もできないように思えます。

文明が進み、人間自体がもっと進歩すれば、理解し合えるのでしょうが、
富を一部の人間だけが独占していて、食うこともままならなく、家もない、人々が溢れているのに、
他人の平和を理解させることは不可能でしょう。

理解すべき相手というのは、数人でしたら、お互いの理解を得ることは可能でしょうが、
数億人、数十億人レベルの理解は不可能なことでは、ないでしょうか?


ですから、今現在、現実には力によって、取り敢えずの平和を維持しているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃる通り。今の時代の平和維持は、「力」と「理解」では、「力」の比率の方が高いのだと思います。いずれはその比率を、「力」より「理解」が高くなる世の中になるのが理想でしょう。

お礼日時:2014/07/04 21:10

現代戦争の原因の多くは資源と領土です。


この傾向は30年戦争を境に強くなっています。

イラク戦争が石油目当てだったことは、国際政治学者
の間では通説です。

EUは石炭と鉄鋼を巡る争いを阻止するための組織が
前身です。

石油の宝庫リビアに内戦が発生するや欧米は軍事介入
してさっさと沈静化させましたが、
石油が出ないシリアは放置プレイです。

戦争は、国益を図るために行われるものです。
そこに理解云々が介在するものでしょうか。

一方、冷戦時代は、米ソはとうとう戦争をやりません
でした。
それは武力が抑制力を発揮したからです。

現在、米国に正面から戦争をしかける国は存在しません。
核武装した国は侵略されたことがありません。

悲しいけれど、平和は武力によって維持される、
てのが正しいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>悲しいけれど、平和は武力によって維持される

歴史を見れば、認めざる終えませんね。
でも、力「だけ」だと、今の中国みたいになるので(いずれ内部崩壊します。予言します。ただ、いつするかは分かりません。)、力と理解のバランスが重要。

お礼日時:2014/07/04 21:01

戦争は、1つの短絡的判断でなされるが、


平和は、無数の深い認識に基づく、不断の
判断によって成る。
「力の拮抗による平和」という短絡的な考え
の失敗の証しが、間断ない戦争の歴史だ。

分業化による相互依存の深まりと、その
自己の生命性の社会的拡張を自覚化し得る、
認識の深まりによる、内発的平和こそが真に
持続的であり得る。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

プロフィール先に、リンクされている数々の海外の写真、良いですね。
癒されました。


ただ、先生と私は安全保障に関しての考え方に相違があるようです。


内発的平和は、重要だと思います。それがあれば戦争に発展しなかった歴史のifはあるでしょう。
しかし、それだけでは平和は維持できません。

他国と比べて高すぎる軍事力は、侵略を誘発します。アメリカが戦争狂なのはこれが理由です。
しかし、少なすぎる軍事力も侵略を誘発します。


いま日本の置かれている、「竹島の領土侵略」「尖閣諸島の主権侵害」「日本国民への重大な人権侵害である拉致問題」

これらは、日本の少なすぎる「力」が元で誘発された他国の侵略行為です。

日本人は、世界のと比較しても、極めて平和的な思想を持っている国民性です。日本人に内発的平和が足りないとは思いません。内発的平和だけでは、平和は維持出来ないのです。

お礼日時:2014/07/04 20:53

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