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人は一人で生まれてきて一人で死ぬ、と言います。

人は孤独な存在なのでしょうか?理解し合う事は出来ないのでしょうか?

それとも人は社会的存在だから 一人では生きていけない

少しでも人と心を通わせなければ人で在り得ないのでしょうか?

そのどちらも言えると思いますが 実際生きていくに当たって

人間は一人だから自分を信じるべきか。人は独りでは生きていけないから人を信じるべきか?

あなたは基本はどちらだと思いますか?

騙されても人を信じるか 孤独でも自分を信じるか?

端的にご意見を聞かせていただけるとありがたいです。

A 回答 (19件中11~19件)

 人間は、自分の枠を超えることに接することで成長し、自分なりの人生の醍醐味に気づいていくことができるのではないでしょうか。

その際良好な人間関係から得られるものは計り知れないと思います。そこに必要なのは人を信じることです。「人間が動的なものであることの副産物」に対する用心を時に加味しながら基本的に人を信じるというのが、一番よさそうな気がします。
 その際自分なりの核を持っていないと流される一辺倒になってしまいます。人生のある時期はそうした核を作ることの重要度が高くなるのでしょうね。
 自分を信じる/他人を信じる、これらは社会的動物であって同時に個性を持った存在である人間の、人生の成長段階に応じて重要度における占有率を変えながら人生街道の両端に位置する「信ということに関する路側帯」みたいなものかもしれません。
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この回答へのお礼

自分を信じる/他人を信じる は人間として占有率を変えながら人生街道の両端に位置する

>信ということに関する路側帯

その両方を必要としながら生きるのが人間だというわけですね

成る程です どうま大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/01/02 08:59

生まれる時、死ぬ時、夢を追う時等、自分自身の人生に対峙せねばならぬ時は、人は一人きりで孤独なのだ。



でも、だからこそ、人は他人と会いたくなり、他人のことがいとおしくなるのだ。

・・・と、昔、遊佐未森が歌っていたなあ。

と言うことで、自分の人生を決める時は自分を信じるべきですが、それ以外の時は、他人を信じるべきだと思います。
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この回答へのお礼

自分の人生は自分で決めるしかない そこは孤独

しかしそれ以外の事は他人を信じて言いのではと言うような意見でしょうね

成る程 どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/01/02 08:52

>端的にご意見を聞かせていただけるとありがたいです。



二者択一できるものではありません。
人間は基本的に孤独でありながら社会的動物として生涯を終わるのです。
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この回答へのお礼

どちらでもあるという事ですね

成る程 それも言えますね

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 22:19

>人間は一人だから自分を信じるべきか。

人は独りでは生きていけないから人を信じるべきか?
これは「議論の立て方が誤っている」
なぜ自己(自我でも良い)か他者(外界)を「信じなくてはならないのか」
その議論(の立て方)は「根本的に誤っている」
我々は自我も他者も「信ずる」義務も無ければ、必要も無い。
自我を肯定しつつ他者と共に生きる。
進化論的に言えば人類は「孤独で生きてきた時代を持たない」
当たり前だ、どこかの妖精の様に木の股から産まれたのでは無い、母は勿論、
あなたと母を護る父がおり、心を許しあった複数の家族が集まった小さくとも「集団」に属してきた。
「根源的な孤独」は皮肉にもサイエンスが「神を殺した」ことによって生じた。
なお西欧の中世の前のローマ帝国時代は「立憲」「帝政」だった。
帝政だが「法案」を「元老院」が承認し、絶対権を持つ「護民官」が同意せねばならなかった。
(ここは塩野七生先生の巨著「ローマ人の物語」が文庫になったので必要な処だけ読めば良い)
ローマ帝国全盛期五百年は、超大家族制だったと言える。
再度言うが、人間は孤独には「なれない」、孤独だと信じたらあなたは病んでいる。
我が国は「変な歴史」を経験してしまった。人間は「孤独に耐えられるまで保護されねばならない」
だが「戦争の後」本来「家父長的絶対者」であるべき米国はソ連との冷たい戦争に巻き込まれた。
勝者である米国は我が国に「個人主義」(エゴチズム)を植えなくてはならなかったのだが、
核兵器がデタラメにしてしまった。我が国の「知識人」は完全に混乱した、健康な議論の場を失い、
「理想主義でしか無い、共産主義と」これも「理想主義でしか無い自由主義を無闇に取り込むか」あるいは
他の力が弱まったら忍び込もうとする、国家社会主義(ファシズム)と国家神道の混ぜ物が、混沌とした政治を作ってしまった。
だから子供達には、三竦みの「絶望」しか残らなかった。
たった一つ「真実っぽい」のが科学だった。だがそれは常に中立で、冷たく、母性を持たない。
あなたはそこに居る。
我が国には「欧州型個人主義」が必要なのだが、社会的ヒーローは嫌われるし、寿命は短い。
あなたの苦しみは「真面目に考える者全て」が共有するが、社会は無能だ。
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この回答へのお礼

ん~~ 私の考えは人に伝わりません 孤独です

しかし私は多くの人を尊敬しています

例えば僕が8年間毎日腹痛で悩んでいて それを人に話しても 同情はしてくれても

痛みをともに共感してくれることはできません 逆もそうです

自分の痛みは自分が耐えていかなければならない。自分の考えも自分だけが理解していかなければならない。

思想信条は自由ですが 分かり合うことはイスラムとアメリカ等の様に 非常に難しい。

宗教対宗教でも個人対個人でも分かり合うことは非常に難しい。

私にも友達はいます。しかし好みは違うし趣味も違う。思想信条も違います。

議論の立て方はおかしかったかもしれませんが

人間は孤独だと思うか 消して独りではないか と言うことです。

個人主義と和の文化では違うのでしょうけど 現代に置いてどちらに向かうのかという事です。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 21:50

 No.2です。


 
 ★ (No.2お礼欄) 孤独も孤独関係ですか。でも孤独だと阻害され不条理な運命となるような気もしますが
 ☆ 疎外感をいだくのは・そして《不条理な運命》と感じるのは 孤独関係から関係をみづからが取り除いた場合です。取り去った場合です。

 一般に心をみづから塞いだ場合です。いくら自分からしゃべっていても相手の言うことを聞かないのなら・聞いても相手と話をしないのなら 心がを閉ざしたことになります。蛸壺地獄です。

 誰も信じられないというのと だから心を閉じるというのとは ふたつの別のことです。
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この回答へのお礼

俗ですが 信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい♪という歌がありますが

人が信じられないと思っても、孤独でも 心を閉ざさないで関係を持つことは出来る

と言う事ですよね。現実はそういうところですかね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 21:17

>人間は一人だから自分を信じるべきか。

人は独りでは生きていけないから人を信じるべきか?

一人だから他人を信じちゃいかんということはないでしょう。
より信頼できる他人のアドバイスを受けて、一人で生きていくというのもアリだと思います。
また全員を信じる必要もなく、信じるに値する人を信じればいいと思います。
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この回答へのお礼

人間は一人だが 信じられる人を信じて生きて行くのがいいということですね

確かに誰でも信じてたら裏切られたり詐欺に遇ったりしますねえ。

成る程 どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 21:12

まず その言葉が果たして合ってるのか・・・!?



人は一人で生まれてきて←これにしても 母体は それこそ命懸けで子供を産みます

見守る家族も 無事出産を願い 祈りながら・・・

産婦人科の医師及び看護師も同様に・・


そして 一人で死ぬも 確かに見た目には一人で死ぬ事になりますが 病気等で急変した場合 家族も必死に耐えてるのを知ってますか!?

  

自分が産まれるまでに 何代もの祖先が居る・・そして家族 親族 ・・

生きてる間の食料の動植物も自らの命を犠牲にして 人間の為に 人間の血となり肉となり骨となり・・

それで独りで生きて来た  なんて 言えるのだろーか!?
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この回答へのお礼

「人は一人で生まれてきて一人で死んで行くんだよ、人間に貴賎などあるか!」

と言うのは、昔のコントレオナルドのネタに出てきた言葉なんで、気にしないで下さい(^^ゞ

人は一人では産まれて来れないし、死ぬまで周りの人が心配している という事ですね

つまり人は独りよりも人への感謝とともに人と生きるのが良いということ

そうしか出来ないという事ですね。成る程

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 21:06

 こんにちは。




 《孤独》とは ほかの人も同じく《孤独》であるということです。

 人間として同じ条件のもとにある。

 そのことは 《社会性》であることを意味します。

 《われ》なる存在が 社会的なものであることを。

 つまりは 《孤独とは 孤独関係である》となります。


 これは ほぼ相場として決まっていることだと思いますよ。
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この回答へのお礼

孤独も孤独関係ですか。でも孤独だと阻害され不条理な運命となるような気もしますが

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 20:38

自分を信じるか、人を信じるかの二者択一ではなく、


白か黒かの両極端ではなく、双方のバランスでしょう。

どの程度のバランスがいいかは人それぞれであって、
自分で探るしかなく、こうだという万人に当てはまる
正解はありません。

ありきたりな回答ですね
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この回答へのお礼

そうですね どちらも言えることですからね

でも一人で死んで行くにしても 死んだら無になる それまでに他者に自分の存在を託して逝かなければ 無意味な一生に終わってしまうのではないでしょうか?

どうでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/01/01 20:36

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