ちょっとした齟齬・要因で、齎せられる結果が180度変わってしまった事例はそれこそ枚挙に暇が無いでしょう、だからこそ余計に歴史の if ・ 個人的な if を語る事はさして意味をなさない、その点は充分に承知しております。
つまり全ては座興という事で御容赦頂きたいのですが、例えばワーテルローの戦い ( 及びその後継続したであろう一連の戦争 ) でナポレオンが勝利しておれば、 その後の歴史は若干違ったものになったかも知れない。
欧州大陸に対するイギリスの影響力は一時的に後退したでしょうし、オーストリア・ハプスブルク家は再びフランスに擦り寄るその一方でロシアは孤立化、更には後年ドイツ統一の核となったプロイセンの軍事力も当時はさほどのものではありませんでしたから、欧州の勢力図がその後と随分違ったものになった可能性は否定出来ないでしょう。
まあグルーシーというさほど有能でない将軍に、別働隊の指揮を委ねねばならなかった台所事情からして、ナポレオンの命運が既に尽きていたという見方も出来ますが・・。
一方本邦の歴史であれば、御存知の通り関ヶ原・幕末辺りはその種の逸話の宝庫でして、個人的に色々と夢想してしまうのも事実。
さて冒頭で述べた通り、歴史の if を語る事はさほど意味をなさない、それでも尚皆様がどうしても考えてしまう歴史の if ( 個人的な if でも結構です ) があれば、お教え願いたいと思います。
No.14ベストアンサー
- 回答日時:
御目出度う御座います。
ROUTE246の学校も御見事でした。また先月は心強い御回答も賜りまして、改めて御礼申し上げます。
新年と云いましてもどうやら私、心頭ではなく身魂から復古主義のようで、毎年旧暦で祝って居ります。梅に鶯が鳴き始めるのも二月初旬、その方が初春と云う気がします。日本を取り戻すと言うならせめて其処も休日にして欲しいですわ。
さてその西洋暦の大元で,if、ジーザスChrist,が、
ユダ=イスカリオテ,の裏切りを未然に制止して居たら⁉..とはよく思います。ユダとユダヤ人迫害が結び付けられたのは中世からですが、あれが無ければそれ程激しく忌み嫌われたかどうか? キリスト受難劇でもナチスのゲッペルス等は意図的に裏切り者ユダを強調してる。
ユダの行為を事前に把握してた,イエスの予言、あれはほぼ命令ですね。裏切れ!と。じゃなきゃ磔刑も復活も無いので神性が顕れない。キリスト本人の目論見は有った。一方で磔に際して「エリエリ,神よ何故我を見捨てたもうか?」と、それがはずれた事も匂わせてる、。これには様々な解釈が為されますが、いずれも教会の先入観が入ってると言わざるを得ない。未だ確定しない現在の,タラレバ問題です。人間イエス像の探求と宗教の相対化評価も為されなければ現在の中東問題の解決も無いでしょう。それによって霊性と信仰の価値が無くなるはずは無いのになあ。
近年、偽書扱いの“ユダの福音書”が見直され名誉回復も企図されてるそうです。http://blog.livedoor.jp/cjcpress/archives/503178 …
一方,我が邦でも、信長にもっと大部の護衛が付いてたら? とは誰しも思う処でしょう。
でも、仰るように覇権を維持出来たとは私も思えない。但し外へと開かれた帝国への野心から、徳川よりは西洋の文物は取り入れたのでは?
信仰としての基督教は弾圧しても、科学技術を齎す叡智としての宗教と哲学科学ならもっと取り入れ家臣に学習させたはずだと思う、。すると勤勉な日本はもっと早くに近代化を遂げたかも知れず、その後の歴史は大きく変わるでしょう。
上杉謙信の覇権というのも見たいものですが、もっと仏国に成ってたかな?
後醍醐帝の覇権。足利義満の即位。マッカーサーによる廃位の決断。実現ならその後も大きく変わったでしょう。 王権問題は現在でも潜在的に続いていて、存続が危ぶまれている。明文法で元首にという勢力も台頭。しかしそれは浅薄な保守と云う他御座いません。何故なら日本は二重権力で保って来たのですから。普通の国などに為ってはイケナイ。いざとなったら責任取らされ廃位になってしまう。近代法などの及ばぬ外部に置かなければなりません。開かれた皇室なんぞに成れば成る程、嫁の来ても無く存続が危ういのでは? せいぜいが近代からの右翼が追い詰めてる構造という逆説です。やはり歴史の知恵を学ぶべきと思います。学ぶ程我々も歴史の一部だと痛感し、高みの見物ではなく否応なしに参入せざるを得なくなる。座興のつもりが突き詰めて思考すると、地続きの歴史が其処に顕れますわ、現在のif,です。
王権の在り方は、近代主義で考えては間違えますね。では。
marc さん、こんにちは、お礼が遅くなりまして誠に申し訳ありません。
箱根駅伝の件恐縮です、ところで旧年中は色々と失礼致しましたが、今年も引き続きお付き合いを御願い申し上げます。
>新年と云いましてもどうやら私、心頭ではなく身魂から復古主義のようで、毎年旧暦で祝って居ります。
それはまあ今時何と珍しい、それではクリスマスなんて論外なんでしょうねぇ、私とて多少の違和感こそ持ちますが、さすがにそこまでは行きません。
>さてその西洋暦の大元で,if、ジーザスChrist,が、
ユダ=イスカリオテ,の裏切りを未然に制止して居たら⁉..とはよく思います。ユダとユダヤ人迫害が結び付けられたのは中世からですが、あれが無ければそれ程激しく忌み嫌われたかどうか?
No.4 の nyau さんからも似た趣旨の回答を賜りましたが、私自身メソジスト系の学校に通っていたにも関わらず、授業中居眠りばかりしておりましてその種の話にはとんと疎い、marc さんは映画・任侠のみならず精神世界に関してまで造詣が深くてらっしゃるようで、大変御見逸れしました。
さてキリスト教世界に於けるユダヤ系人種に対する偏見は、表面上の綺麗事はまた別として今尚相当に根深いものがあるようでして、一時期ヨーロッパにいた折顔の特徴から判別するユダヤ人の見分け方なるものを伝授された事があります。
血の配合が進み今や純粋なユダヤ人は圧倒的な少数派でしょうから、見てくれに依る判別はそう簡単じゃないはずでして、つまりナチスに依る大迫害を経ても尚その種の差別意識が根絶やしとなった訳ではない、そう教えられた瞬間でもありました。
それはともかく marc さんの if を考えますと、キリストの深慮遠謀に依るユダの裏切り無かりせば、後年ユダヤ民族が蒙ったその種の迫害は軽微なものであったその一方で、キリスト教がほぼ全世界に遍く広まる事も無かったのかも知れない、そういう事でしょうか。
・・だとすれば、キリストに依る千慮の一失或いは意図的に与え賜うた民族的苦難という事なのでしょうが、その手の話題はボンクラの私にとって少々荷が重いようです。
>信長にもっと大部の護衛が付いてたら? とは誰しも思う処でしょう。
手薄な護衛でなければ、光秀としても恐らく急襲してないでしょうから、 「 信長が志半ばで頓死せねば 」 と仰る事を勝手に解釈致しますが、彼は当時の日本人離れした合理主義者でありました故、御指摘の方向性へと進んだ可能性は高いでしょう。
或いは徳川時代を指し示す近世という時空を飛び越えて、一挙に近代へと邁進した可能性も無いではない、何れにしても封建制度は崩壊したであろうと考えます。
>上杉謙信の覇権というのも見たいものですが、もっと仏国に成ってたかな?
上杉謙信という稀に見る戦上手の武将は、それこそ信長の対極にある復古主義の権化のようなお方でありましたからどうでしょう。
足利義昭或いはそれに代わる将軍家の血筋を担ぎ出し、自らは管領を復活させてその地位に就いたかも知れない、それでは時計の針を逆に回す事に他なりませんねぇ。
>後醍醐帝の覇権。足利義満の即位。マッカーサーによる廃位の決断。実現ならその後も大きく変わったでしょう。 王権問題は現在でも潜在的に続いていて、存続が危ぶまれている。明文法で元首にという勢力も台頭。しかしそれは浅薄な保守と云う他御座いません。何故なら日本は二重権力で保って来たのですから。普通の国などに為ってはイケナイ。いざとなったら責任取らされ廃位になってしまう。近代法などの及ばぬ外部に置かなければなりません。
ああこの点は御慧眼・全くその通りでして、天皇家が世界に冠たる万世一系の王家である所以は、古より綿々と続く権力の二重構造に他ならず、誤解と御叱りを恐れずに申し上げば、その本質とは神主の総元締めにして日本人の氏素性と血の源流、そう理解するのが宜しいかと・・。
即ち権力の所在が根こそぎ引っくり返る易姓革命はもとより、戦争責任などもっての外でありますが、この点が欧米人には分からない、ただ徐々にではありますがマッカーサーも最終的にはそう理解したようです。
ところがおつむが弱い極右や極左にはその辺りの機微が分からない、一方は贔屓の引き倒しに過ぎず、他方は歴史的背景と知識の欠片も無い、もっともその辺りを熟知しつつ巧妙に立ち回る勢力の存在をも否定しませんが・・。
回答ありがとうございます。
No.17
- 回答日時:
No.8きららです。
ご丁寧なお礼を頂戴致しまして、ありがとうございます。
>60年余り後の事ですからどうでしょう。
私の表現が悪く、ごめんなさい。補足させて頂きます。
石炭から石油への移行では有りません。
クジラ油(鯨油)から石油への移行です。
アメリカでの石油採掘開始が1859年8月と言われてます。
日本で鯨は食用ですが、当時のアメリカの捕鯨は、
照明に使うランプの油をクジラから採ってました。
その捕鯨船は日本近海まで来てましたから、日本に捕鯨船(蒸気船)の石炭の備蓄基地を作るのが取り敢えずの目的と、何かで読みました。燃料に石油が使われるようになったのは大分後の事ですよね。
イギリスは長崎に何度も来てましたし、安政五カ国条約も短期間で結びましたね。
その漫画のタイトルは「黄昏流星群」だと思います。
きららさん、こんにちは。
>石炭から石油への移行では有りません。
クジラ油(鯨油)から石油への移行です。
アメリカでの石油採掘開始が1859年8月と言われてます。
申し訳ありません、誤解しておりました。
ただ少々調べましたところ、当時の鯨油はろうそく原料・機械用潤滑油・皮革用洗剤・マーガリン原料といった風に用途が多様でありまして、仮に灯火用油が石油へと切り替わったとしても暫くはそのニーズに変わりはなかったのでしょうねぇ。
依ってペリーの来航は或る意味歴史の必然であったのでしょうが、その一方で1861年に南北戦争が始まりましたから、アメリカとしては日本どころではなく、20世紀を跨いだ後年に於いて再度アメリカの影響力行使が始まる、そういう事かも知れません。
>その漫画のタイトルは「黄昏流星群」だと思います。
おお・よく御存知で・・、私は全巻を揃えておりますが、きららさんの様な若い女性が御存知とは思わなかった、読者はおっさんだけじゃないんですねぇ。
再度の御回答、ありがとうございます。
No.16
- 回答日時:
もし、日本が太平洋戦争に勝っていたら。
勝っていても結局、今と大差無い世界になったんじゃないかと思う。
負けて日本は変わったと言われるけど、勝った欧米も変わった。
欧米が変われば、脱亜入欧の日本も変わるから。
hanak さん、こんにちは。
>もし、日本が太平洋戦争に勝っていたら。
勝っていても結局、今と大差無い世界になったんじゃないかと思う。
負けて日本は変わったと言われるけど、勝った欧米も変わった。
欧米が変われば、脱亜入欧の日本も変わるから。
仮に太平洋戦争に勝っていても結局は今の方向性に収束した、そういう御意見であろうかと思いますが、或いはそうかも知れません。
海外に領土を求めて国内を潤すという方法論は、太平洋戦争当時ですら古いものでありましからそう何時までも軍備増強の道筋ではなかったはず、どこかの時点で経済重視というベクトルに舵を切ったのでしょう。
但しほぼ経済のみに特化した敗戦後とは相違し、経済成長のスピードは随分と遅いものになったのかも知れません、軍事大国である事は国庫に対する相応の負担を免れませんから・・。
回答ありがとうございます。
No.15
- 回答日時:
とりとめも無く社会性の可能性について考えてしまいます。
今、国に不満を訴えても、或いはどこぞの団体にそれをしても握り潰されます。で、思うんです。昔の人達の判断はどんなものであったのかと。つまり、武器の類いが時代によって進化しており、まだ、桑でも斧でも戦えた時代の方々がもうちょい騒いでくれてれば、権力に対する社会の在り方も幾らか、柔軟になっていたのではないかと思うわけです。
あけおめ。
blurey さん、あけおめです。
お礼が遅くなりまして、失礼致しました。
>とりとめも無く社会性の可能性について考えてしまいます。
>今、国に不満を訴えても、或いはどこぞの団体にそれをしても握り潰されます。で、思うんです。昔の人達の判断はどんなものであったのかと。つまり、武器の類いが時代によって進化しており、まだ、桑でも斧でも戦えた時代の方々がもうちょい騒いでくれてれば、権力に対する社会の在り方も幾らか、柔軟になっていたのではないかと思うわけです
仰る事が非常に難解なのですが、勝手に解釈して以下申し上げます。
古の庶民がお上なり時の権力に立ち向かい、もう少し両者の距離を縮めていてくれたならば、この国の在り方はもっと違うものになったのでは・・、そういう事ですね。
ただどうでしょう、戦前・戦中と戦後との比較に於いても、我が国は随分変わったはずでして、それこそ昔は国家が非常に重かった、戦争に召集されるのは無条件で死ねという事と同義語でありますから。
私個人は我が国の何倍も不条理な社会を知っております、比較は意味が無いのかも知れませんが、まあ随分とマシであろうとは考えますが・・。
回答ありがとうございます。
No.13
- 回答日時:
ソヴィエト連邦に於いて・・・
# 外道にも劣る畜生スターリンではなく、トロツキーがレーニン後の政治を行っていたらばどうであったろうか・・!?
・・・と言うことは良く思ったりする!
畜生スターリンによって差し向けられた豚野郎ラモン・メルカデルに暗殺されてしまったことが悔やまれる!!
Ae さん、こんにちは。
回答が遅くなりまして誠に申し訳ありません。
># 外道にも劣る畜生スターリンではなく、トロツキーがレーニン後の政治を行っていたらばどうであったろうか・・!?
スターリンに関して申し上げれば、私としても否定的な言葉しか出て来ない、コミュニストの仮面を被った残忍なマキャベリスト、そういう評価が妥当であろうかと・・。
その一方で、レーニンの正当な思想的後継者は仰る通りトロツキーだと思っておりますが、スターリンの大粛清は後年毛沢東も大いに参考にしているのでしょう、文化大革命の在り方が酷似しておりますから。
さて今更ながらですが、時には御指導・御鞭撻のほど賜りたいと・・、今年も宜しく御願い致します。
回答ありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
すみません、補足させて下さい。
言いたい事がちょっとまとまった気がします。
大戦で失われた多くの命は、その後の平和の礎となろうと思って犠牲になったわけじゃなく、生きられる未来の選択肢があったということをまず考えてこそ、私たちはその尊い犠牲に報いることができるんじゃないか、という事です。
特攻して散った若者たちが夢見た人生・未来を思えば、この世界や人生がとても価値あるものに感じます。
歴史のifを考えることは、歴史を立体的に捉えると同時に、先人たちが当たり前のように生きて死んだわけじゃなく、たくさんの奇跡を紡いできた結果今が在るという事を認識するのに寄与するんじゃないでしょうか。
連投ありがとうございます。
>大戦で失われた多くの命は、その後の平和の礎となろうと思って犠牲になったわけじゃなく、生きられる未来の選択肢があったということをまず考えてこそ、私たちはその尊い犠牲に報いることができるんじゃないか、という事です。
いつぞや述べたかも知れませんが、数名の伯父を始めとする我が一族の何人かが、靖国神社に祀られております。
依って幼い頃から先の戦争を身近に感じて生きて参りましたが、仰る通り現代に生きる我々が彼らに報いるには、その尊い犠牲の上に成り立ったが故の現在の繁栄という点を意識し、且つ教訓を生かす事しかないでしょう。
将来ある多くの若者達が戦場に命を散らした訳です、その子孫・縁者が我々という事ですから全く無関係な日本人はおりません。
もっとウェットになってもいいはずだと思うのですが、先の戦争の意義と靖国の存在とを真っ向から否定する一部国会議員 ( 特に大阪10区の )が小選挙区で当選する世相を見ますと何だかですねぇ。
>歴史のifを考えることは、歴史を立体的に捉えると同時に、先人たちが当たり前のように生きて死んだわけじゃなく、たくさんの奇跡を紡いできた結果今が在るという事を認識するのに寄与するんじゃないでしょうか。
先の戦争の経験者が少数派となり、その記憶が風化しつつあります。
その点に関して申し上げれば、私個人としても忸怩たる思いでありますが、時に歴史は振り返る必要がある、加えて仮にあの時こういう決断が下されていればどうなったかという検証も為されるべきでしょう。
そういう意味で歴史の if は必ずしも言葉の遊びではなく、先人たちが齎した壮大な実験に準拠するもの、或いはそういう事かも知れません。
回答ありがとうございます。
No.11
- 回答日時:
ifケンさんあけおめです!
やはり、以前歴史カテでもお世話になったifですけれど、絶対国防衛圏を破られた時点で降伏できなかった事が悔やまれます。大東亜戦争の犠牲者300万人のほとんどがその後ですから、その多くの尊い人命が失われない終戦だったら、どんな戦後だっただろうかと夢想します。
おそらく開戦への歴史の歩みは必然だったんでしょう。そして絶対国防衛圏を破られても大きな兵力を温存したまま降伏なんて現実的には不可能だったという事も分かります。だからそういった別の形の戦後を妄想することは、学術的には意味が無いのかもしれません。
でも、その教訓を将来に活かす事はできるはずです。「勇気ある撤退」をするべきときにはする。その選択肢を考える時に、歴史のifも役に立つんじゃないかと思います。
歴史の教訓は、国家じゃなくとも、組織や個人のレベルでも活かせるはずだと思います。多大な金や血と汗を投資して、もう途中でやめることが許されない大事業でも、論理的に考えて勝てない・利益を回収できない・負の遺産になってしまうようならやめるべきなんです。そういった事業は現代でもいくらでもありそうです。
話は戻って、多くの尊い人命が失われない終戦と戦後・・・リアルにシミュレーションすれば多くの問題点が浮き彫りになるでしょうけれど、そもそもアメリカと戦う根源的理由は無かったのだし、絶対国防衛圏突破される時点まで戦えばアジア諸国の独立の道筋も付いただろうし、多くの領土を失っても多くの労働力を残した戦後、史実通りアメリカに冷戦を戦ってもらって、より大きな成長を日本は遂げたかも知れません。そんなうまく行くわけないって理由はいくらでも出てくるだろうけど、うまく行ったかもしれない。それを歴史として学術的に論じることに意味はないけれど、これから未来に向けて、希望ある「うまく行く選択肢」を考えるときに役立てられないもんかと思います。
言いたい事がうまくまとまりませんでしたけど、今年もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します♪
mikasa さん、こんにちは、お礼が遅くなり申し訳ありません。
相変わらずの if ケンでございます。
>やはり、以前歴史カテでもお世話になったifですけれど、絶対国防衛圏を破られた時点で降伏できなかった事が悔やまれます。大東亜戦争の犠牲者300万人のほとんどがその後ですから、その多くの尊い人命が失われない終戦だったら、どんな戦後だっただろうかと夢想します。
マリアナ沖海戦での敗戦そしてサイパン島が玉砕し、B-29に依る本土空襲が可能になったたのが1944年の7月ですから、その時点での降伏という事になるのでしょうが、当時我が国を取り巻いた諸状況の整合性まで担保せねばならないとなると、この if はとっても難しいですね。
つまり2度の原爆投他、都市部の殆どが焦土と化し戦力が枯渇した時点であればともかく、それなりに戦力を温存しての無条件降伏は恐らく不可能に近かったはず、先ずは天皇制の保持・領土問題その他の対米交渉、それ以上に困難と思われるのが国内の徹底抗戦派の矛をどうやって収めさせるか。
ざっと見渡しても軍部を説得可能な人物がいない、それこそ命懸けのミッションとなりますから・・、天皇陛下の御聖断でもなければ恐らく無理だったのではないでしょうか。
次いで仮にその if が受け入れられたとして我が国のその後ですが、現実との比較に於いて、相応の軍事費負担に依る成長鈍化は否めなかったでしょう。
加えてその後東西冷戦へと至りますから、共産主義国家の過密地帯である極東の橋頭保として、アメリカの要請に依るそれなりに強大な常備軍の存在が、国庫に負担を掛けたであろう点は想像に難くない。
・・となれば徴兵制度も一部残さざるを得なかった、恐らくそういう事であろうかと・・。
>おそらく開戦への歴史の歩みは必然だったんでしょう。
私もそう思います。
sq さんの御回答に於いても触れましたが、ハルノート全面受諾か宣戦布告か、あの時我が国に与えられた選択肢は僅かに2つでありましたから、これはもう避けて通れなかった。
さて以前にも記したかも知れませんが、欧州戦線に於けるナチス・ドイツの勝利とそこに伴うアメリカの孤立化を織り込み、加えて緒戦に於いてアメリカ軍を盛大に叩いて厭戦気分を蔓延させ、然る後にドイツを仲介者として早目の講和に持ち込む、我が国首脳の思惑はその辺りにあったのではと勝手に推測しております。
まさに仮定の上に仮定を重ねた綱渡りですが、どう考えてもそれ以外に当時の局面を打開する方法論が見つかりませんから・・。
>歴史の教訓は、国家じゃなくとも、組織や個人のレベルでも活かせるはずだと思います。多大な金や血と汗を投資して、もう途中でやめることが許されない大事業でも、論理的に考えて勝てない・利益を回収できない・負の遺産になってしまうようならやめるべきなんです。そういった事業は現代でもいくらでもありそうです。
行け行けドンドンの時の事業拡大・戦線拡大はさして難しい事じゃない、ところが「 勇気ある撤退 」 、言うは易しですが中々どうしてこれが非常に難しい訳で、その時こそトップとしての力量が試される場なのでしょう。
例えば mikasa さんがよく御存知の事例を一つ・・、日露戦争を通じて満州に展開した帝国陸軍を率いたかの大山巌元帥は、 「 負け戦の時こそが私の出番 」 と称し、部下に対し平時は殆ど何の指示も与えなかったといいます。
東郷元帥といいいこの大山元帥といい、戊辰戦争で敵の矢玉を掻い潜った兵卒上がりですがまさに大将の資質の持ち主でありまして、その点の比較に於いて遥か後年太平洋戦争当時の将官は須らく小粒との印象が否めない、軍部が官僚組織化していった故の弊害でしょうかねぇ。
その一方でビジネス・シーンもその手の事例の宝庫ですが、今ふと思い出したのが、果てしない店舗拡大の挙句破綻に至ったヤオハン・インターナショナル。
個人的にこの会社には多少の御縁がありまして、時代の寵児とメディアにもてはやされた当時の和田会長にお目に掛かった事もある。
それは香港に本社機能を移転した直後でありましたが、既に下り坂にあったヤオハンの事業拡大路線を、その財務状況を知る銀行筋の殆どが反対してそれこそ 「 勇気ある撤退 」 をお勧めしましたが、銀行融資が受けられないと知るや和田会長は転換社債に依る資金集めに奔走した挙句、破滅へとひた走りに走った訳です。
当時下っ端の私としては、子供でも分かるこの程度のバランス・シートどうして読めないのだろうと・・、今思えば総帥としての資質だったのでしょうが、戦争末期の我が国もまあ同じ理屈であったのでしょうねぇ。
最後になりますが、いみじくも mikasa さんが冒頭に於いて触れておられる通り、数百万に上る同胞の尊い生命と引き替えに出来る森羅万象などこの世にありはしない、仮にそれが戦後の繁栄を犠牲にしたとしてもです。
さて今更ながらですが、今年も宜しく御願い致します。
回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
こんばんは。
明けましてお目でとうございます。
実は私は自分の質問にいただいた回答にもお礼を書き終えていない・・・
それでいて人様の質問に回答する、私の最も嫌うことです・・・
ただ、EXさんsqさんは分かってくれると思う・・・
浮世の義理とやらにはとんと離れたつもりでおりますが、
来客があれば話しをするしかない・・・
気にはなりながらこの始末です。
歴史にIFはない・・・仰るとうりです。
ただ我々はIFと言う世界に遊ぶことが出来る・・・・
これはまことに楽しい!
例えば私などは小早川秀秋と言う人を思う・・・・
彼の裏切りなかりせば、関が原の戦いはどう転んだろうか?
徳川300年の治世はなかったかも知れない・・・・
私は最近西洋史と言うものに興味がわいて読んでおります・・・
日本史と言うものに合わせると面白いのですね・・・
最後に・・・
私は年末に少し差し出口をした、
isokenさん余計なことをと思われたかも知れない・・・
ただisokenさんのこと、
イラッとして癇癪をおこして衝動的に退会でもされた日には私が困る・・・
私はisokenさんとは親しい・・・
どうか私に免じて許してあげてほしい・・・
彼は悪い人間でではない、ただ時に若さと言うものが過激な発言をさせる。
さて、これからお礼を書かねば・・・
回答いただいているようですからそちらでまたお話しましょう。
kamejrou さん、こんばんは。
お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。
>例えば私などは小早川秀秋と言う人を思う・・・・
彼の裏切りなかりせば、関が原の戦いはどう転んだろうか?
徳川300年の治世はなかったかも知れない・・・・
関ヶ原・ことに松尾山の件へと至りますと、その結末を百も承知でありながら、何とかならなかったのかと地団太を踏んでしまいます。
そもそも毛利一族は遠く南宮山に布陣しておりましたから、これはもうはなからやる気が無かった、一方の長曾我部としても背後の毛利が動かない限り、兵法の常道から考えても出撃は不可能な状況にありました。
利と恐怖とのせめぎ合い、秀秋の心情を慮れば恐らくそういう事であったのでしょうが、最後の最後まで迷っていたのは恐らく間違いない。
その一方で早暁より押しに押しまくった西軍は後詰を持たず、他方東軍とて最早持ち駒と呼べるのは家康の本陣に詰めた旗本の僅かな軍勢のみという、全戦線が膠着状態にあったはずです。
仮にあの時1万5千の大軍が松尾山より駆け下り、家康の腹背を突けば仰る通り後の徳川時代は存在しなかったでしょう、それはもう間違いなく。
何にしろあの程度の人物を、一族の端に連なる者として厚遇せざるを得なかった訳で、人材難は豊臣政権が抱えた致命的な宿痾、或いはそういう事かも知れません。
さて御心配をお掛けしたようですが、私とて江戸っ子の端くれですから、そういつまでも気にしてはおりません。
互いに無関係であればいい訳で、つまり許すも許さないもないという事です。
親しい方の友人が必ずしも友人である訳ではありません、加えて合う合わないもあります、そういう事で御容赦頂きたい存じますが・・。
回答ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
年頭を飾るに相応しい題材ですね。
歴史上の IF 沢山ありますね、そう言えば。
*ハルノートの初期の段階では、日本軍の中国からの全面撤退と引き換えに、日本へ多額の借款を供与する条項が有ったそうじゃないですか。それを使って経済再建をやってくれよと。それが国務省内で練り直されている内に対日強硬派が巻き返し、その条項は削られた。
もしあの時仮に、作成初期の如く巨額な対日借款の条項は生きており、日本はそれを飲んで、はいそうですか、と中国・仏印から全面撤退していたらどうなっていたでしょうね。スペインでフランコが生き延びて、その後の東西冷戦を利用し政権の座を維持、王政復古へつなげた例もありますから。案外、大日本帝国も生き延びたかもしれません。米ソの熾烈な対決はすぐそこに迫っていた訳ですし。アメリカは対ソ連の防波堤として日本を利用しようとしたかも知れません。何か東西冷戦下の日本の位置づけとほぼ同じですね。
スマホに夢中で前を見ずに道歩く若者が徘徊する社会なのに、大日本帝国存続中(笑)
今の世の中と、どこがどう違っていたのでしょうね。自衛隊は一時世界第3位まで行きましたが、長引く不況で順位が下がり現在は世界第7位ですか。
でしたら、大日本帝国が続いていたとしても軍事力はさほど変わらないのじゃないでしょうか。そんなものだと思います。アッ、日本には軍事力は無かったのですね憲法上は。
かわぐちかいじ の「ジパング」の中で、現代日本から太平洋戦争中にタイムスリップしたイージス艦の副長が、元老木戸侯爵と会話する場面があります。
副長「日本は戦後に象徴天皇制というものになりました」
木戸「そうですか。今(太平洋戦争中)の日本も実際は象徴天皇制なのです」
たかが劇画と片付けられない面も感じました。
唯、大きく違ってくるのは経済面かな?あのまま帝国が存続すると、高度経済成長も起きなかった可能性が高い。イノベーションもこれほど活発に為されたかどうか。となると軍事力世界7位も維持出来ないという皮肉な結果となりますね。
尤も、ハルノートの時点ではもはや日米両国共に戦争へのギアは入ってしまっていた。戦争突入以外のIFは起り難かったと思います。特に日米戦を堅く決意していたのはアメリカの方だと個人的には思っていますから。
20世紀に入ろうかという時点でアメリカはキューバ・グァム・フイリピンという重要拠点をスペインから奪取していますね。キューバを得た事でカリブと中米はアメリカの勢力圏になりました。
グァムとフィリピンを手に入れた事により、太平洋も近々我が物にと思った事でしょう。ハワイは19世紀中に既に手中にしていますし。
その直後に日露戦争があり、米国としては大国ロシアが太平洋に乗り出してくることは避けたい。小国日本なら後でどうにでもなる、と思っての日本びいきだった訳です。それが案外小癪にも生意気な存在に成長して来た。太平洋の覇権を邪魔する存在に育って来たから、対日戦を意識するようになった。
長くなりましたが、やはりIFは起きなかった?無理にでもIFにしたいんですけれど(笑)
書いている内に、日米戦はやはり避けられなかった?との方向に入り込んでしまい、なんともヘンな終わり方になりそうです。
あの昭和16年の時点で近衛さんが政権を投げ出さずに頑張っていたら、東条内科もどうなっていたか。やはり駄目か・・・後の世では細川さんがやはり政権を投げ出しましたしね。
やはりハルノートの時点では遅きに失しています。中国・仏印からの全面撤兵が仮に出来ても、過去数十年に渡って巨額の投資をしてきた満州国の存在がありますから。
>さて冒頭で述べた通り、歴史の if を語る事はさほど意味をなさない、それでも尚皆様がどうしても考えてしまう歴史の if ( 個人的な if でも結構です ) があれば、お教え願いたいと
私は、忠実にこの問いかけをトレースするつもりはなかったんです。最初は日米戦回避の何かが見出せるのかな、と始めたのですが・・・・質問文通りになってしまいました(苦笑)
さて、それはともかくとして
今年も、暫しこの憂き世を忘れる楽しいお話をさせてもらいたいと思っています。
sq さん、おはようございます。
お礼が遅くなり、誠に申し訳ありません。
>もしあの時仮に、作成初期の如く巨額な対日借款の条項は生きており、日本はそれを飲んで、はいそうですか、と中国・仏印から全面撤退していたらどうなっていたでしょうね。
トルーマン以降の大統領とは相違し、ルーズベルトは或る程度の容共でありまして、先ずは全体主義国家群との戦いに重きを置いていたようです。
ただ彼は1945年に亡くなりましたから、仮に日米開戦が避けられたとして、その後アメリカの方向性に関しては微妙でありますが・・。
さてハルノートの存在及びその延長線上にある日米開戦に関しては、色んな見解があるのでしょう、真珠湾への出撃がハルノート提出の前日であった事実を重視して、双方に相関関係は無いとする方がおられるかも知れませんが、sq さん同様私としても太平洋戦争は明確にアメリカの意志に依るもの、そう捉えております。
そもそも内容を精査する限り、敢えて全面受諾が困難なまでにハードルを上げて突き付けられた無理難題がハルノートでありまして、あれは外交交渉ですらない一方的な通告の類でしょう。
まあ万が一ハルノートに示された全条項を呑んで ( この if には相当の無理がありますが ) 一時的にアメリカとの対決を回避したとしても、更なる不条理の波状攻撃が待ち受けていた、恐らくそういう筋書きであったと思われます。
>やはりIFは起きなかった?無理にでもIFにしたいんですけれど(笑)
そう考えざるを得ませんねぇ、ルーズベルトが日米開戦を欲していたという大前提があったようですから。
sq さんも御指摘の通り、アメリカの環太平洋戦略への最大の障害が日本の存在であった事、それが先ず1点。
次いで何故か語られないが、その言動で察する限り国家元首レベルとしてのルーズベルトは他に類を見ないレイシストでありまして、しかもその矛先が明確に我が国に向いていた事も見逃せない。
更には、当時苦境に喘いでいたアメリカ経済という現実も無視出来ません。
即ち今も昔も最大の経済対策はやはり戦争でありまして、それが証拠に日米開戦の一報と同時に、投資先を求めて彷徨っていた世界の投機マネーが一挙にウオール街へとなだれ込み、アメリカはかつてない活況を呈した訳です。
近代戦は国家としての総合力であり或る意味での消耗戦ですが、現在の GDP 比に換算した当時の日米経済格差が何と 1 : 20 、これはもう投げる前から賽の目が分かった堅実な投資レベルでありまして、ジャンク債並であった我が国の国債との比較に於いて、リターンが少ない代わりにほぼリスクも伴わない安全な投資先として、世界の投機筋は太平洋戦争の勝敗の帰趨をその開戦以前に判断していたのでしょう。
>唯、大きく違ってくるのは経済面かな?あのまま帝国が存続すると、高度経済成長も起きなかった可能性が高い。イノベーションもこれほど活発に為されたかどうか。となると軍事力世界7位も維持出来ないという皮肉な結果となりますね。
仰る通り、戦後の驚異的な高度経済成長を語る際、アメリカの軍事力の傘の下という前提は欠かせない要因、例えそれが我が国を極東に点在した共産主義国家群に対する防波堤と位置付けるという意図があったにしてもです。
そもそも当時の国情から鑑みるに軍事と経済の両立は恐らく無理であっただろうと、依って軍事大国の旗を降ろさざるを得なかった敗戦は、こと経済面に関してはプラスに作用したのでしょう。
尚誤解を恐れずに申し上げれば、未曽有の敗戦により180度転換せざるを得なかった国家・国民のマインドの他、こと都会に限定すれば焦土と化した事すら、新しい国家像・機能的な都市計画面にプラスに作用した、そう考える次第です。
>私は、忠実にこの問いかけをトレースするつもりはなかったんです。最初は日米戦回避の何かが見出せるのかな、と始めたのですが・・・・質問文通りになってしまいました(苦笑)
右に同じです、こと日米開戦に関する限りは if の設定が不可能なほどに我が日本は追い詰められていた、もうこれはどこをどう見渡しても開戦以外の選択肢が見当たらないでしょう。
東京裁判に於いてパール判事が言われた通り、ハルノートを突き付けられたあの状況であれば、如何な小国といえども立ち向かわざるを得なかった、そういう事であったろうと・・、但し我が国が犯した戦争責任に関してはまた別問題でありますが。
ところでいつぞや申し上げた年末年始の旅行が、さる理由に依りキャンセルせざるを得なくなりまして、変更・返金不可のホット・ディールで押さえた台北・高雄5日分のホテル代こそ諦めがつきましたが、これも変更不可のセーバー特典での予約・ビジネス2席に要した UA マイレージ・プラスの8万マイル、これが何とも勿体ない。
ところが400ドルの払い込みでマイレージの口座への返還が可能と聞きまして、つまり約5万円と8万マイルを秤に掛け、少しばかり考えた末にその提案に乗った次第ですが、貴兄であればどうされたろうと・・、sq さんに是非お聞きしたいと思っておりました。
何れ機会があれば、その辺りを御聞かせ願いたいのですが・・。
さて今更ながらですが、今年も宜しく御願い致します。
回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
isoken様
明けましておめでとうございます。
只今、きららは日本海側の祖父母の家で、お正月休みを満喫しております。
時代劇好きですから、日本史特に幕末のifは沢山考えます。
幕末の始まりとも言えるペリー来航ですが、アメリカで油田が発見され実用化が数年早ければ、当時鯨油を照明に使う為の捕鯨船の畜炭所開設目的が無くなるので、アメリカは来なかったかも知れません。
でも、イギリスやフランスも有るから、余り変わりませんかね。
お水時代にお世話になったお姉さんに、数年振りに某イベントで偶然再会した際、空想幕末小説の構想を伺い、是非ともご協力したいと申し出ました。
当時から歴史や民俗に詳しい方でしたの、時々ミーティングをしてますが、それ自体が非常に面白いです。ifだらけ(笑)
投稿小説サイトは「仁」の影響か、タイムスリップ物が増え過ぎに思います。
彼女自身が某サイトに投稿した部分しか、私からはお話出来ませんが、空想の主人公の活躍により、史実より人が亡くならない。
非殺傷弾丸のアイデアは既に有るそうです。
薩長とやり合ったり、新撰組とやり合ったり、お前はどっちの味方だ?強いて言えば正義の味方かな?ってのが立ち位置。
それには組織が必要。その資金はどうする?協力関係の藩は?
概ね史実に沿ってくので、私の提案は高杉さんが上海に行く時、坂本さんの消息不明時期と一致するので、坂本さんを連れた主人公が上海に渡り、案内をする。
じゃあ、何故上海に詳しい?漂流民?何故漂流した?
一つのifから様々な意見が飛び出し、彼女を混乱させてるだけかも?
何はともあれ、完成させて欲しいです。
場合によって、キャラ名募集とかこちらでお願いするかも知れません。
取り留めの無い話を長々と失礼しました。
きららさん、おはようございます。
雪国でのお正月とは羨ましい限りです、もっとももうお帰りなのでしょうが・・。
>幕末の始まりとも言えるペリー来航ですが、アメリカで油田が発見され実用化が数年早ければ、当時鯨油を照明に使う為の捕鯨船の畜炭所開設目的が無くなるので、アメリカは来なかったかも知れません。
でも、イギリスやフランスも有るから、余り変わりませんかね。
我が記憶を辿れば、海軍燃料に於ける石炭から石油への移行は、第一世界大戦末期のイギリス、かの高名なウィンストン・チャーチルの英断 ( 当時海相 ) を嚆矢とする、つまりペリーの来航から60年余り後の事ですからどうでしょう。
その一方で蒸気船の発達は、世界の距離を一挙に縮めるに至った或る種の革命、しかも御指摘の通り、1840年のアヘン戦争に依り香港割譲を受けたイギリスは、我が国の目と鼻の先に迫っておりまして、黒船来航は或る意味歴史の必然であった、そういう事かも知れません。
>時々ミーティングをしてますが、それ自体が非常に面白いです。ifだらけ(笑)
歴史的史実の積み重ねと動かさざる現実、遥か後世に暮らす我々としてはその全てを受け入れざるを得ないその一方で、歴史と言う結果へと至るプロセスをも知り得る立場ですから、その if を夢想する自由も満喫出来るという事でしょう。
但し僅かに動かしたに過ぎない史実に依り、そこから派生する後世の歴史が大きく変わるケース、その辺りの整合性を忠実に考えますと、果てしないスパイラルに陥るかも知れませんねぇ。
>投稿小説サイトは「仁」の影響か、タイムスリップ物が増え過ぎに思います。
さる漫画家の作品を思い出してしまいます。
ふとした事からタイムスリップして宮本武蔵と出会った現代女性、その彼女が武蔵の子を宿して現代へと帰り着き、その子に武蔵という名前を付けて育てて行く、そんなストーリーでしたが・・。
>概ね史実に沿ってくので、私の提案は高杉さんが上海に行く時、坂本さんの消息不明時期と一致するので、坂本さんを連れた主人公が上海に渡り、案内をする。
如何にフィクションといえども、その種の整合性は生命線であると考えます。
依って真剣に考えれば考えるほど、袋小路に入ってしまうのでしょうねぇ、またそこが面白いのかも・・。
さて遅ればせながらですが、新年おめでとうございます。
今年も宜しく・・、回答ありがとうございました。
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