
最近の昭和の国鉄時代の列車に関する本を読むと、決まって「特急列車や優等車輌は庶民とは無縁だった・・・」と書かれているものを多く見かけます。
でも、19世紀から20世紀中盤(第二次大戦終了の頃まで)までの欧州の様な厳格な身分制度が無く、実際は誰でもカネ次第で一等車に乗れた(特急富士の1等寝台からダブルベッドが消えた最大の理由は第一次大戦の時の戦争成金が妾を連れて乗り込み、車内で一発やってたのが増えすぎたから。更に、故・野沢那智氏の父親こと陸直次郎の小説に特急富士の1等特別室に乗った成金と妾がシャワールーム(マロネ49 1にはあった)で一発やる話がある。こういった話が今に伝わるのが最たる例)し、特急に至ってはちゃんと三等車もありましたし・・・それに、「所得水準云々・・・」というけれど、特急と対して料金の変わらぬ急行列車に関しては「庶民的」などと記載するおかしな所も・・・学生時代の旅行で興味本位で特急かもめに乗り、急行と設備が変わらなかったことに落胆したことを後に記述した故・種村直樹氏の様に彼らは何故記述せず、特定のイデオロギーに毒された史観に固執する(客車列車というサイトは最悪ですね。あそこの常連はまさにそれですし)のでしょうか?
A 回答 (4件)
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No.4
- 回答日時:
#3です。
補足ありがとうございます。>確かに遠方への移動は少ないとしても、当時としては「遠方」だった日光や伊豆(関東の場合)、下呂や高山(名古屋エリアの場合)、白浜や伊勢(関西の場合)へ向けての観光列車が盛んに走っていた(阪和vs南海の競争もそれが無ければあり得なかった)という事実は「それなりに移動も盛んにあった」ということなんですよね。
日本という国は、封建主義だった江戸時代から旅行が盛んな国であったことはご存知だと思います。伊勢参りや、富士講など、当時の世界標準から見ても珍しいぐらい、長距離旅行が出来た国であったといえます。
明治以降になっても、その旅行熱というか、習慣は続き、日光や伊勢などの観光列車が走るようになったのは、ニーズから言って当然のことです。つまりそれだけ庶民の移動のニーズがあったということです。
しかし、それが「優等列車や特急を庶民が足として使った」ということにはなりませんし、むしろ「観光列車」が仕立てられたことが「優等列車や特急を庶民が利用することがなく、無縁だった」ということを傍証していると思います。
鉄道に詳しい質問者様は当然にご存知だと思いますが、そもそも「優等列車・特急」というのは定期運行する列車のことをいうのが普通です。観光列車のような臨時列車ではありません。
この「定時制」そのものが誰のためのニーズであるのか、といのうのが問題で、たとえば戦前の「燕」戦後の「こだま」代表的なブルートレインだった「あさかぜ」など、すべてビジネスニーズのための移動手段であったといえます。時代が下るにしたがって、優等列車もだんだん大衆化しますが(その代わり、新幹線や飛行機という移動手段が生まれる)、戦前の時代の移動をするビジネスマンというのは、官僚を含めた政府関係者・成金を含めたごく一部のビジネスマン(政商とかそういう人たち)または軍関係者だったわけで、庶民とよばれる生活者たちは、たとえ都市の中産階級であっても、日常的に特急にのって移動する出張はなかったといえます。
これは、たとえば、ジャンボジェットが出来る前のジェット機が高値の花だったこと、LCCができ庶民でも(日本の庶民ではなく途上国の庶民でも)飛行機に乗れるようになった現代では、ビジネスクラスやビジネスジェットなどが、当時の優等列車に該当するでしょう。
50年後ぐらいから現代をみれば「LCCが出現し、庶民でも飛行機が利用できるようになり、海外旅行なども活発化しましたが、大手航空のビジネスクラスは多くの国の庶民にとって、無縁のものでした。」ということになるでしょう。
戦前の庶民の暮らし、というよりもほとんど大部分の大衆、それこそ特権的な地位(政治家や官僚など)か特別な財産(成金・大地主・船主など)を持つ人々でなければ、優等列車それも1等車両になることなってなかったでしょう。
いまだって、ビジネスクラスはともかく、ほとんどの人が飛行機のファーストクラスを体験することなく、一生をおえるわけです。でも階級的に制限されているわけではありません。
これらの社会情勢、そもそも優等列車が出来る背景を考えれば、それは庶民のためにできたものはなく、現代のように誰でも新幹線に乗って温泉旅行に行く時代でもなかったわけです。
ですから、特定のイデオロギーに毒された史観には当たらないと思いますし、おおむね正しい表現だと思います。
No.3
- 回答日時:
うーーん、庶民という語感がどこにあるのか分かりませんが、少なくとも「庶民」は都市中間層ではないと思います。
いくつか調べてみると庶民とは「特別な地位や財産をもたない人々」という定義が一番多いようで、これが実態に合っている言葉なのではないでしょうか。
さて、日本の場合、戦前であっても身分による車両の区別というのは当然にありませんのでした。しかし、金額から言って庶民の手にとどかどうかもまた微妙であったのも事実でしょう。
少なくとも質問者さまが提示されている記述にも「第一次大戦の時の戦争成金が妾を連れて乗り込み、」と何度も「成金」という言葉がでてきますので、成金程度の成功者でなければ使えないぐらい高い料金であったといえます。
そして成金であれば「特別な財産や地位をもって」いるわけですから、庶民という定義から外れることになるでしょう。
それと「庶民」が特急や優等列車と「無縁」と書くのは、所得の問題だけではないんですね。
戦前は「旅行」という概念自体が相当に薄かったからです。たとえば新婚旅行が根付いたのは戦後の昭和30年代のことですし、そもそも今のように都会に住んでいてお盆は東北や九州に帰る、なんていうのは高度成長期に地方の若者が大挙して都会で就職した「金の卵」の時代があったからです。
それまでは、特に戦前は今のような人の移動は無かったのです。ですから、庶民は、というよりほとんどの人々は、よほどのことがないかぎり、特急に乗って大阪にいく、なんてことは無かったわけで、今のように頻繁に新幹線に乗ってディズニーやらAKBやらにやってくる時代とは、相当に異なっていたわけです。
ですからこれらのことが相まって「庶民には無縁だった」というのは、誇張ではないし、間違ってもいないし、イデオロギー的偏向があるともいえないでしょう。
必要が無いから乗らなかった=無縁だった、は成立すると思いますよ。
No.2
- 回答日時:
「(制度として)庶民は乗れなかった」ではなく「庶民とは無縁だった」ならばその通りでしょう。
一部の成金やマニアが乗ったことは例外的な物であるし、だからこそ記録されるのですね。
>特急と対して料金の変わらぬ急行列車
特急料金は急行料金の2倍ですこれを対して変わらぬと言うのは一般的ではないし、そもそも急行列車利用そのものが特別な物ですからね。
特殊な例を一般化する、或いは区別できない(しない)偏狭なあなたが「特定のイデオロギーに毒された史観に固執」しているのですね。
No.1
- 回答日時:
これを検索したら出てきたので見てみると、たしかに1等車は庶民が乗るのはかなりキツイと思いますが。
1930年の1等車の運賃・料金合計が24.18円で、その年の公務員の初任給が75円と
なっているので約1/3ですから。
現在においても、「ななつ星」なんかはとても庶民(私自身)の感覚では一生に一度乗れるかどうかと思いますが・・・
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はっきり言わせてもらいますが、彼らの言う「庶民」というものは朝日新聞や毎日新聞における「外国=韓国・中国」と同じ意味合いがあり、意図的なものを感じられます。件のサイトで最もヒステリックに反論していた輩は本来の「庶民」である都市中間層ではなく、あくまでも当時の東北の貧農を視点にしていましたし。
確かに遠方への移動は少ないとしても、当時としては「遠方」だった日光や伊豆(関東の場合)、下呂や高山(名古屋エリアの場合)、白浜や伊勢(関西の場合)へ向けての観光列車が盛んに走っていた(阪和vs南海の競争もそれが無ければあり得なかった)という事実は「それなりに移動も盛んにあった」ということなんですよね。