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宗教の一番の害悪は他者への不寛容だと思います。

目の前にいる他者を知ろうともせず、自分の主張を繰り広げます。
問題は自分への過信だと思います。自分は信仰をしているから間違っていない、相手が嫌がっていてもこれは相手のためである、自分の行いは正しいはずだ。この人は間違ったことをしているから、自分が正さねば。これは自分の使命だ。などと勘違いをします。自らの信仰心が他者を見えなくさせるのです。

私は宗教が不要だと思いませんし、特定の宗教を悪く言っているのではありません。

どう思われますか?

A 回答 (7件)

宗教に限らず、多様でいい範囲内の他者の権利に対して攻撃的になるということが、いろいろな問題を引き起こしているように思います。

何が多様でいいことなのかということについて議論するための普遍的な軸が必要だということでしょうね。
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そうですね。



宗教を必要としてる人もいるでしょうが、
「押し付け」になると不快に感じます。
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宗教は、どんな宗教教義でも自分だけの精神平和目的なら、これほど平穏なものはありません。


他者への布教は、まかり間違えば精神戦争が勃発し、それが国家社会、地球規模での大殺戮もあり得、日本を含め世界各国の歴史を見ても宗教戦争ほど無残で無意味なものはありません。(織田信長の比叡山焼討ち等)
宗教教祖や信者は、確かに自分の信仰が一番尊いと考え、現在でも排他的精神が一般人より非常に強いです。
ですから、宗教を司る方々は、自分の信仰心を大切にすると同時に、他教の存在も認め、精神的争いを自ら律し、時と場合によっては、自分の信仰心を一時抑制する精神調節が最も必要です。
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>他者を知ろうともせず


それは別に良いと思う。

>自分の主張を繰り広げます。勘違いをします。
そうそれ。


戦争にまでいきそうなあちらの宗教もそうですが
こちらの宗教もまた闇がありますね。
「神社仏閣にどうして興味を持たない?」「日本人たるものそれが普通」「心が貧しいのだ、かわいそうに」「参拝するだけで心があらわれるのだがそれを感じないあなたは異端」とか。
宗教そのものというよりは、それにすがりつく人達の問題。
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すみません、基本的にご質問のお考えに全面的に同意するわりに、


なにかいちゃもんのような回答になっているのを先にお詫び申し上げます。

宗教の何がイヤかって、結局、
「自分は正しい。でも信じないあなたは正しくない。」
「自分は正しい信仰を持てている、ありがたいことに。持てないあなたはかわいそうね!」
「私は正しいから救われるけど、あなたは救われない。お気の毒に。」
という見下しに持ってくところ、そのために盛大なマッチポンプも辞さないところです。
おまけにその正しい根拠である神を引っ張ってこい!というと神の御心は人間になどわからない、と言い出すしまつ。
いるかどうかわからないものはいないのと同じだよ…ってあたりから、昔の宗教会議や哲学は始まったんでしょうね~。
愚痴で、申し訳ないです。

閑話休題、ですが、それが「宗教の本質か」と言われると、違います。
(質問者さんはどのへんまで宗教の害悪という点を掘り下げてみたいのか、ちょっと興味があります。)

人間には人間のグループを「我々」と「その他」で認識するクセがあります。
もちろん「その他」を貶め、攻撃するため、その攻撃を正当化するためにこの認識は使われます。
宗教が宗教だから他者に対して不寛容になるのではなく、他者に対して不寛容な人間の本質が、
宗教という他者への不寛容を正当化できる道具に使われているだけだと思います。
この人間の本質は、血族同士で暮らしていた石器時代だとかには、最大の外敵であった同種との競争に勝つのに有利だったんでしょうね。
霊長類の中でもっとも繁殖したのはヒトですが、霊長類でもっとも攻撃性が高いのもヒトである、
とかなんとか。

ご質問の
>目の前にいる他者を知ろうともせず、
から
>これは自分の使命だ。
まで、宗教がなくても人間はやっています。
「正しいと信じること」全部を信仰と捉えるなら、また話は変わると思いますが…。
そこかしこにいますよね、自分の考えは正しい、自分が正しいのなら相手は間違っている、と疑わない人。宗教関係なく。

でもそうなると、これは宗教の害悪なんでしょうか?ヒトならではの害悪のひとつなんでしょうか?
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もちろん、その通りですよ。


常識あるほとんどの人はそのように考えていますよ。
信仰の自由があります。そして信仰しない自由もあります。
つまり、相手が嫌がることをやってはいけないという簡単なルールが民主主義の一つです。
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オウム真理教などの原始仏教、ISISやタリバンのような原始イスラム教、ユダヤ教の


ような原始キリスト教に近い主教には排他的なところはあります。
しかしながら、全ての宗教や指導者がそうではありません。
浄土真宗を開いた親鸞は当時の天台座主であった慈円とは意見が対立しました。
しかし、慈円は親鸞を保護しています。
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