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タイトルの通りですが、ここ1ヶ月?くらいで心の底から楽しい、嬉しいという気持ちを感じなくなりました。
私は声楽を学んでおりますが、歌って楽しいと思うこともなくなりました。それ以前の本番ではとても楽しく、聴いて下さった方々にも楽しんで頂けた達成感もありました。ちなみに声楽は10年以上続けています。
私は今年で音大を卒業します。在学中、周りの影響や試験、優秀な学生に許される学校からの本番の機会を得るため、等を意識するあまり、卒業となった今になってそれまで音楽を頑張る刺激となっていたものが失くなり、楽しめなくなってしまったのでしょうか…?
だとすると私は周りからの評価を得るために音楽をするという動機が一番強いのでしょうか?
しかしそうではない自分、純粋に楽しく歌っていられればそれで幸せな自分もいます。
基本的に、コンクールや試験は好きではありません。ホールにいるのは純粋に音楽を楽しみに来ている人ではありません。
品定めされているようで、歌うことを楽しむのが難しいです。コンクールや試験は
失敗ばかりです。どうしても上手くやらなくてはという自分が消えません。コンクールと考えずコンサートだと思って思い切ってもやはり評価されません。
これだけ声楽を続けてきて、上手くなっているとは思いますが、高校から始めて次々とコンクール等に入賞しているような人を見ると落ち込みます。
かと言って自分はオペラ歌手になりたいから、プロになりたいからと歌を始めた訳ではありません。
ピアノを習いたかったのですが、母から声が良いから声楽をと勧められ始めた次第です。今では歌は好きですし楽しくやりたいといつも思っています。
先生は、始めてあなたのレッスンをした時から私はあなたの才能を信じていますと仰ってくださいました。
しかしどうも自分に自信がなく、失敗も怖いです。先生の言葉も私を辞めさせないための言葉にしか思えません。本当に才能があるのなら周りの人達のように認められるのでないかと。
頑張っても私は歌では認められないのかと思うとやる気がなくなります。
下手なら下手で、楽しく歌えれば良いのです。ですが今は楽しいと感じることもできません。心から楽しく歌える時は失敗や人の評価もあまり気になりませんし、上手くいくと思っています。
まとまりがなくなってしまいましたが、楽しめる気持ちを取り戻すためにはどうすれば良いのでしょうか?
純粋に音楽を楽しむためにはどうしたら良いのでしょう…
難しい曲をやると、テクニックに気をとられ楽しむ余裕がなくなる。これは恐らく練習不足でしょう…
納得いくまで歌えるようになって始めて楽しめるのでしょうね、その経験はあります。
しかし今は練習もしたくないほど楽しめません。声が楽に気持ちよく前に出ないので余計苦しくなるのです。
疲れているのかと思い休んでも変わりません。
すみません、長くなりました、よろしければ回答の程よろしくお願いします>_<

A 回答 (3件)

自分にも経験がありますが、大人になろうとしているからですよ。



楽しかったからこそ、終わりを予感すると儚いものです。

更にそれを続けるためには、その世界に残るしかないと考えます。

そのためには選ばれないといけないと思いつめます。

もし選ばれなかったら?

選ばれた人が将来もその道で楽しみ続けると勝手に思ってしまいます。

このために置いて行かれた感じることはあります。

好きだったものが、そういう印象を与えるモノに変化してしまいます。

しかし、これらは錯覚ですし、あなたは充分に凄いんですよ。

例えば、上手くいって選ばれたとしても、

一緒に楽しんでいた他の人が、その道を諦めることを示します。

そして新しいものに興味をもち、楽しそうに笑い始めるんですよ。

こうした経験をすると、やはり置いて行かれたと感じるでしょう。

こちらの切なさも同じですよ。

なので、選ばれた人もそうでない人も、等しく感じる儚さです。

事の成否に関係なく、誰もが同じ時期に感じる喪失感であると私は思います。

これらは、モラトリアムからの決別によって生じるのだと思います。


ちょっと長いですがお話をします。


私は音楽は苦手のほうでして、理数系や絵のほうを得意としていました。

父は高校の絵の先生をしていたことがあったようで、

家でも油絵を描いておりましたため、

その影響もあって、子供の頃から絵画のほうに馴染みがあり、得意だと思っていました。

高校のときは、

コンピュータが好きでそちらの部活をやっておりました。

美術の授業は大好きで、得意になって楽しんでおりました。

しかし、皆の評価は美術部のxx君に集まります。

わたしにも審美眼がありますから、けっして負けていると思えず、

さらに彼のどこが良いのかわからないと、八つ当たりを(表にはだしませんが)

する始末でした。

そのせいで、不貞腐れて課題も提出せず、適当にやることにしてしまったんです。

美術の先生などは一生懸命、

「xx(私)にはxxらしい良さがあって、・・・」

これはこれで好きだと言ってくれたんですけれど。

慰めになりませんでしたね。

(今でも覚えていると言う事は、慰めになっているのですけど)

今の仕事は、コンピュータを活かしたもので、充実しています。


少し前ですが、職場の人と論争になりました。

「音楽とか芸術とか、センスだと思っているだろう?

 実際は、勉強とかスポーツが得意な人は、

 食べていくために勉強やスポーツをしているだけで、

 この人達が音楽で食べていくしかない世界に生まれたら、

 音楽でも栄達しているはずなんだぞ」

と私。

「いや、芸術とかはもって生まれた才能です。

 そういう才能が無い人が、

 地道な努力でサラリーマンになるんですよ」

と同僚。

さすがにこれに腹を立てまして、

「よし2年でプロ歌手のxx並みに上達して見せよう」

と宣言してしまったんですね。

同僚のほうは、高校のコーラス部出身、妹さんがセミプロ、

お母様が更に上手いらしく、歌一家です。

彼のほうが驚いて焦ってしまい、妹さんなどに相談したり、

高校のときに先生に習ったことを思い出して、

一生懸命私に指導しようと頑張ってくれました。

どうも、わたしは音痴だったらしいのです。


「全国レベルのコーラス部のエースですと、このくらいです。

 音大のエースですとこんな感じ・・・」

「この人は、ここで揺らいでますね。

 ああ、この人はビブラート苦手で使ってないです」

などと、彼がCDを聞くたびに教えてくれます。

私のほうも、色々と質問し、物凄く楽しい日々でした。

コレの結果は、まあ面白いことになりました。

晩年で音楽が好きになるなんて、思いもしなかった。

生きてて良かったと思っています。


もしこんなとき、

質問者さんが相談に乗ってくれていたらと思わずにはいられません。


さて、

冒頭述べましたが、大人になろうとしているとき、

大人達が自分たちを評価する尺度が、

変わってきているのでしょうね。


高校で私が他の生徒から評価されなかった理由は、

当時私が気がつかなかったことでした。

美術部のxx君は、絵を苦手とする同級生に対して、

(初心者向けの)指導をしていたんですよ。

わたしの絵の才能は先生に評価されていた。

しかし、他の同級生の評価と同じに、

先生としては、

「この生徒は、私と同じ様に職業をコレと決めて、

 後輩たちの育成すら楽しむ覚悟があるのだろうか?

 もしそうでなければ、

 人に教えようとして学ぶライバルにはいずれ勝てなくなる」

指導者は皆同じ心配をするようですよ。

私が見向きもせずに、いたこと。

xx君が、同級生の絵に対して、コメントしている姿勢。

今でも思い出します。

結局彼は、アメリカに留学し、その道で順調に進んでいるようです。

今でも彼の絵が良いと思えませんw

しかし、誰かに向けてサービスすることでしか糧を得られませんから、

私が絵の道に進んでいたら、結局食べれなかったでしょう。

さきほどの同僚の方は、仕事では中々苦労しています。

ただし、カラオケの先生をやったら上手くいくはずです。

(本人は信じませんが・・・)

彼の妹さんは、歌は相当上手かったらしいのですが、

それでは食べれなかったそうです。


不思議なことに、

私の場合は、コンピュータのことになると、

一生懸命人に教えて、人にサービスしようとするようです。

人が変わるというのでしょうか?

才能や技能だけではなく、

いつのまにかそうした比重が高くなるのでしょうね。


お悩みの原因となるコンクールの話ですが、

想像で申し訳ありませんが、

評価されている尺度が変化していることも考えられます。

確かにもっとも高い能力を発揮するときは、

もっとも自分が楽しんでいるときです。

しかし、これは高い能力を発揮しているのであって、高い行動力を示しては

おりませんよね?

おそらくですが、

「お前たち(先生)の役割は終わった。

 お前たちで無くとも、若い私たちは同じことが出来る。

 さらに、これはお前たちの常識ではわかるまい。

 ですが、私の本心は皆様を大変尊敬しています。

 これについては、如何に将来の私の生徒が、

 本質を知らず嫌っても、

 私は大切にして、粘り強く教えていきます。

 ですから、安心して引退してください」

この様なメッセージが必要だったのかもしれません。


さて次に楽しくなくなった原因についてです。

私にも記憶がありますが、何か楽しい大切なものが無くなった喪失感が生じました。

このとき始めて分かったのは、

自分が尊敬していた、大好きだった、先輩方がこの世を去るという事実です。

もう二度と頼りがいがある先輩に甘えて楽しむことが出来ない。

そうした日々はかえってこない。

そんな儚さを予感しまったんです。

この喪失感を埋めるように、

若い世代を見て、育成しようと考えました。

このとき再度、それが楽しいと感じ、今までと違った喜びにかわったのです。

このように先輩や先生方と比較して遜色ない技能をもっていたら、

こうした転換ができるはずなのです。

これが本当に、頑張ってきた積み上げのご褒美じゃないでしょうか?



多くの人が質問者さんの質問を見て思うことを述べますと、

「すみません、悩みには答えられませんが、

 歌を教えてください。結構悩んでいます」

じゃないでしょうか?このときにどう思いますか?

もしそう頼まれたとき、

「少し待って・・・」

となりますか?

それとも大丈夫だろうと思って引き受けられますか?

そういう力がある事にワクワクしませんか?

恐らくですが、もう先生と呼ばれてもおかしくない力があるのですよ。



私は30年くらい現役でコンピュータのソフトを書いています。

この中では、いかなる事態においても、いかなる組織においても、

いかなる規模の集団開発であっても、

いかなる難易度の開発であっても、ジャンルであっても、

必ず凌駕し、必ず部下を指導する自信が、

欲しいとw思って取り組んでいます。


未だ先端技術を勉強し楽しみ、これを超えようとして画策しております。

未だに家では研究を重ねて楽しんでいます。


これらは、まだ見ぬ誰かに、教えてくれと頼まれたとき、

「さてどこから教えよう」

と考える楽しみと共にあるのです。


そして質問者さんの力は、やはり一般的には稀有なのです。

ですから、必ず次の段階に進みますし、あせる必要がないと思います。

誰かに楽しさを教えるのもまた楽しいですよ。


ご心配されないことです。


以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

読んでいて嬉しくなってしまいました。
続けるためには選ばれなくてはと思っていました。でも仰る通りだと思います。
できなかったことができるようになり、表現したいことが自由に表現できるようになっていくのがとても楽しくて、幸せです。
そして、人に教えるのは好きだと思います。歌うことの楽しさや喜びを感じて欲しいからです。
以前、ピアノの同級生に副科声楽でどうしたらそんな風に歌えるか聞かれた時に、少し教えたことがありました。彼女は試験で初めてひっくり返らなかったそうです笑
彼女も音痴で、高い声がでない等と言っていました。でも音痴は治るし、高い声も出るようになります!
色んなことが出来てくると、歌うことがどんどん楽しくなります。
その喜びを感じられたら、私も嬉しいです。
そうですね、私は焦っていますね。
焦る必要はないですね。

良いご意見を頂戴頂けました。
ご回答下さり、ありがとうございました!

お礼日時:2015/03/08 00:40

専門家ではないので参考程度に聞いていただきたいのですが、純粋に楽しめないのは、ゴールが見えないからではないですか?


例えば、10kmのマラソン大会に参加して下さいと言われたら、10kmを走れるように練習もするし、心の準備もできますよね。しかし、ただマラソンして下さい。距離はわかりません。10kmかもしれないし、42.195kmかもしれないし、もっとあるかもしれません。それは大会が始まってからでないとわかりません。とにかく走って下さい。そう言われたらモチベーションを保つのが難しいですよね。

それと似たようなもので、プロになりたいわけじゃない、自分のためにやっているのか?母親のためか?アマチュアとしてそれなりに楽しんでやっていきたい?だけどアマチュアでもそれなりのレベルでないと自分が満足しない。など、目指す目標がわからなくなっているから楽しめないのでは?と思いました。

そして今年で大学を卒業する。これもキーポイントではないでしょうか?
今までであれば、コンクールに入賞しようがしまいが、学生という肩書きがあったから落ちても大丈夫というゆとりがあったんだと思います。
しかし大学を卒業すると、コンクールに落ちたら先がないのように考えてしまって不安になるのではないですか?

私は将来の成功図を考えてみるのをおすすめします。プロとしてやっていきたいとか、音楽とは違う道で就職をし、趣味として音楽をやる等。参考になるかはわかりませんが。
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この回答へのお礼

私はプロ、アマという区別よりも、歌を歌うということを極めたいと思っています。
よりよく歌いたい、その気持ちはプロもアマチュアも変わらないのではないかなと思います。上手く言えないですが、自分が歌って行った先にプロという道が開ければそれは幸せだと思っています。しかし、目標ではないと思います。
プロじゃないから妥協する、この程度で合格点だなどとは考えていません。
問題は動機かもしれません。上手いと思われたい、失敗したくない等
でも褒められなくても自分の音楽をしたら良い、失敗しても良い、人の為ではなく究極は自分の為に歌うのかなと。自分がどう歌いたいか、何を表現したいのかが大切ですね、きっと。
芸事の世界にゴールはないと言いますね。
ただ、短いスパンでのゴールは必要だと思います!
それが本番なんだと思っています。
またはレッスンとかですね。

ご回答下さり、ありがとうございました!

お礼日時:2015/03/08 00:13

スランプなのですね、お辛いでしょうに(>_<)



私自身プロじゃなくて的確なアドバイスが出来なくて恐縮ですが…
質問者さんが好きな歌ってありますか?J-popでもなんでもいいです!
好きな歌を歌ってる時って楽しいかなぁ~って思いまして(>_<)

あと、歌以外に趣味がありましたら、違うことを少ししてみて、
気分転換が出来ればいいかなって思いました!!

私も他の人に劣等感を感じたりしますが、
なるべく思い詰めないように、他のことで紛らわしてます!
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この回答へのお礼

こういう状況をスランプと言うのかもしれませんね。
このような落ち込みは、歌を始めた時から定期的にやってきます。その度自分が試されているような気持ちになります。
最近カラオケに行ってj-popを歌いました!
声楽の発声で歌うとカラオケでも無茶に喉を痛めることはないと知りました。発声が安定しないとオススメはできないと思うのですが…
絢香さんの”にじいろ”という曲が好きで、楽しく歌えました!
マイクを通して歌うので、声が無理しなかったのかもしれないし、余計な気を張らずに歌えたからかもしれません。
4、5日声楽の練習もしていませんでした。おかげで?無駄な力が入らず、通る声で歌うことを思い出しました。
多分、私は疲れや頑張らなくてはという意識から余計な力が入っていたのだと思います。
しかし、休むこと、息抜き、大事なことですね。

ご回答下さり、ありがとうございました!

お礼日時:2015/03/07 23:48

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