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『論語』にある『知好楽』は

『子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』

「これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。
これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない」

・・・ということですが、2番目と3番目の違いがよく解りません。

愛好しているならば、楽しいはずだと思うからです。両者の違いの真意は何でしょうか?

A 回答 (4件)

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。

suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで質問するより、孔子から直接話をきくべきです。一部分だけを読んだのでは、曲解します。全体の流れの中で理解すれば、「真意」に近づきます。少しあとのところで、孔子は「楽しむ」について、こんな解説をしてくれてゐます。

「子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 85ページ)

頭の良い人は、積極的、行動的に楽しみ、人徳のある人は、沈着におちついて楽しみます。孔子の考へでは、動的でも静的でも、いづれも「楽しむ」です。その違ひは、行動的な楽しみより、受動的な楽しみ方のほうが、人生において長続きがするといふことです。

では、「好む」と「楽しみ」の区別は何だと、孔子は述べてゐるのでせうか。今度は少し前を読んでみます。

「子の曰わく、人の生くるは直し。これを罔いて生くるは、幸にして免るるなり。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 84ページ)

素直な生き方をしなさい、といふすすめです。性善説とまではいひませんが、やや近い発想です。人それぞれ自分の持つものを発揮してゆけば、うまくゆく、と説いてゐます。自分の信条のみが正しいと固執せず、他者の多様な価値観を認めればそれは可能となります。

アレンジして、スポーツで考へてみます。特に意識しなくても、素直に行動すればうまくゆく状態が、第三、つまり最高の「楽しむ」です。訓練を積んで、無意識のうちに体が自然に動く状態ではないでせうか。それに対し、第二の「好む」は、少しうまくゆかない状態です。基本的なフォームがしつかりと身についてをらず、素直なやりかたが、成果としてあらはれません。中国文学哲学の専門家のことばでは、競技に「一体と」なつてゐて、自然に動ける状態が「楽しむ」なのだと思ひます。

俗な言ひ方をすれば、

好む : 下手の横好き
楽しむ : 好きこそものの上手なれ

ではないでせうか。最後は、私なりの拡張的な解釈です。いづれにせよ、名言や格言はそれだけを読んだのでは理解できません。なるべくなら『論語』全体を読んだうへで、結論をお出しになることを願ひます。
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この回答へのお礼

ドラえもんでドラえもんがのびたに「君は本当にあやとりがすきだねぇ」と言いましたが
のびたが「特別好きってわけでもないけど、これくらいしか特技がないから」と言いました。
2番目の好きだけど、心から楽しめてない状態とはまさにこんな感じなのでしょうか。

なんとなくイメージはできました。
ご丁寧な回答をありがとうございました。

お礼日時:2015/04/10 22:30

好き:好きか嫌いかの判断が意識の上である状態


楽しむ:好悪の判断を越えて単純に素直に身を浸す感覚
という違いだと思います。
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訂正



積極的→能動的
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楽しいと楽しむの違いです。


楽しいのは受動的、楽しむのは積極的。

酒を飲んで楽しいのは、酒が好きで酒に酔うから。
酒を楽しむ者は、酒をプロデュースしてセッティングまで楽しめる。

その酒に合うつまみや食事、酒の適温やシュチュエーションや
場の雰囲気作りやあれこれ・あれこれ…。
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