とっておきの「夜食」教えて下さい

中世イギリスの作曲家、ジョン・ダンスタブルに関する質問です。
WEBで検索すると、ダンスタブルはイギリスから大陸に渡り、大陸とイギリスの音楽の架け橋となった、というような記述が見つかります。このうちイギリス→大陸については「三度や五度の和音を伝え、ポリフォニー音楽の成立に貢献した」などとあり、大雑把ではあれ具体的に何をもたらしたかがわかるのですが、一方大陸→イギリスに関しては、「大陸の音楽を伝えた」というような漠然とした記述しか見つからず、一体どのような技術なり概念なりをもたらし、その後のイギリス音楽にどんな影響を与えたのか、具体的なところがさっぱりわかりません。
どなたか、ダンスタブルが大陸からイギリスにもたらしたものについて、教えていただけませんか?
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

非常に専門的、かつ特殊な分野になるので、ネット検索で調べるのは無理でしょう。

文面から察するに、ウィキペディアの日本語版を御覧になったのだと思います。このサイトでもよく注意するよう呼びかけているのですが、ウィキペディアの記事の多くが、専門知識のないマニアによって書かれています。ダンスタブルの項目も非常に雑なもので、出典が一切挙げられていません。「死去した1453年は、コンスタンティノープルが陥落し、中世の終わりであるといわれ、その年のクリスマスイブに他界したことは象徴的である」というくだりなどは、複数の情報を組み合わせた筆者の主観的記述です。「逆に大陸の音楽をイングランドに伝えた」という記述も、ほとんど検証不可能で、どこから引いてきたのかわかりません。「百年戦争の休戦時にフランスに滞在し」という記述もいい加減です。ダンスタブルは、仕えていたベッドフォード公ジョンとともにフランスに滞在した可能性が高いとは言われていますが、滞在したことを記録した文書等は一切残っていません。ベッドフォード公ジョンの死亡年と照らし合わせても、「百年戦争の休戦時」と断言するのはかなりずさんで誤解を生む記述です。この項目が、ネット上のほかのサイトでもコピペ引用されています。

まずイギリスから大陸への影響についてですが、「三度や五度の和音」は「三度と六度の和音」の誤りです。具体的に言うと、「ドミソ」の和音の最低音を「ミ」にして、下から「ミソド」と重ねた形をいいます。ミとソの音程が三度で、ミとドの音程が六度になります。この形の和音を並行して動かすのがフォーブルドンと言われる技法です。「ソシミ」→「ファラレ」→「ミソド」のような和音進行です。それ以前のヨーロッパ中世の音楽では三度音程がなく、イギリスで発達した三度音程の使用が、今日われわれが聞くクラシック音楽の基礎になっている三和音の体系に発展することになります。ただし、三度音程の使用は、ダンスタブル以前のイギリスにすでにあり、ダンスタブル自身の音楽の新しさは、それよりもむしろ、シンコペーションのリズムを伴った不協和音程の導入にあると評価されています。そのほかのダンスタブルの音楽の特徴は、音楽の活気ある性格、流麗な旋律、メリスマ(歌詞の一つのシラブルを長く延ばして旋律的装飾を加えること)の使用にあります。
それから、この時期のイギリス音楽の大陸への影響について、特にダンスタブルの名前が強調された時期がありましたが、ダンスタブルと同時代のほかのイギリスの作曲家たちの作品も、同じくらいイギリスの様式を大陸に伝える役割をしており、ルネッサンス期のフランドルの作曲家、理論家のティンクトーリスもそのように伝えています。ダンスタブルとその同時代のイギリスの作曲家は、フランス・ブルゴーニュ楽派の作曲家、ギヨーム・デュファイやジル・バンショワなどに影響を与えます。これは、各声部が独立したポリフォニー(多声部音楽)が基本だったところに、ホモフォニー(主旋律を中心に和音をあてがっていく音楽)の概念を発達させることになります。したがって、ダンスタブル一人だけが大陸の音楽に影響を与えたというわけではありません。

問題の「大陸からイギリスへ伝えたもの」ですが、専門的な文献にもそのようなことを具体的に記述してあるものは見当たりません。私が参照しているのは、内外の音楽大学の音楽史の教科書としてスタンダードなものの一つ、D・J・グラウト著の「西洋音楽史」上巻、ドイツの権威ある音楽百科事典、Musik in Geschichte und Gegenwart(ドイツ語)、有名なグローヴの音楽百科事典(英語)、Hans Heinrich Eggebrecht著のMusik im Abendland(ドイツ語)です。もしこの記述にある程度関係があると考えられることを挙げるなら、ドイツの音楽百科事典の説明にある、ダンスタブルの作品に見られるフランスやイタリアの音楽からの影響です。
フランス音楽からの影響は、おもにイゾリズムという技法で、これは、旋律の中で同じリズムのパターンを反復していくことです(日本語版ウィキペディアの「イゾリズム」の項目も全く参考にならないので、図書館等でお調べください。英語版、ドイツ語版は少しマシですが、十分ではありません)。
イタリア音楽からの影響は、各声部を対位法的に扱って、それぞれに歌詞の言葉から生み出されるリズムを自由に使うということ、言葉に大きな注意を払うという「人間的な努力」とされています。主旋律のみを重視すると、ほかの声部は補填的、従属的になり、歌詞に即した自由なリズム付けができなくなるからです。
フランスやイタリアの音楽からのこういう影響を、ダンスタブル自身が意図的にイギリスで広めたというような記述のある資料はありません。もしこれらがイギリスの作曲家に影響を与えるようなことがあったとすれば、それはダンスタブルの作品を通じて浸透していったかもしれないという推測ができるのみです。ダンスタブルの作品は、比較的早く忘れられたという記述もありますので、相当専門的な文献を精読しない限り、正確なところはわかりません。上に挙げた文献もかなり専門的で詳しい記述になっているので、ざっと目を通すだけでもかなりの時間がかかります。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

助かりました

大変詳しい解説ありがとうございます! Wikipediaは問題がある者も多いとわかってはいたつもりでしたが、お手軽なので概略くらいは分かるかとつい参照してしまいました。
出典もあげてくださり、とても助かります。どうもありがとうございました。

お礼日時:2015/12/13 07:23

すみませんが、初めて作曲家の名前を知りました。

14世紀から15世紀の作曲家のようですね。
一応検索した程度ですが、エンサイクロペディアには簡単な生涯が書いてあり、音楽と影響もあります。
また、研究者としてMargaret Bentという方の研究書も出版されているようです。多分、論文を読むしか手掛かりは無いのではないでしょうか。

John Dunstable /New World Encyclopedia
http://www.newworldencyclopedia.org/entry/John_D …

Margaret Bent
http://www.music.ox.ac.uk/about/people/academic- …

Margaret Bentの著作
Dunstaple (Oxford Studies of Composers)
http://www.amazon.com/dp/0193152258?tag=encyclop …
    • good
    • 2
この回答へのお礼

助かりました

回答ありがとうございます! 専門分野のことは少しマイナーになると日本語になっているものが乏しく、適切なものを見つけるのも一苦労ですが、たくさん資料をあげていただき、大変参考になりました。

お礼日時:2015/12/13 07:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報