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「大丈夫」という言葉を、ノー、の意味に使う若者が増えていると。このことについてどう思いますか?

参考URL:言葉の乱れ?若者使う「大丈夫」
http://news.goo.ne.jp/article/dot/life/dot-20160 …

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gooニュース編集部から時事問題に関する質問をお届けします
http://news.goo.ne.jp/

A 回答 (14件中1~10件)

「大丈夫」だと、思います。



「日本語が乱れる。」とか、「正しい日本語が、失われる。」とか、の意見をご希望かも知れませんが、
「言葉は生き物です。」

発生して、淘汰され、残ったものが、日本語であり、文法がどうとかの理屈は、「後付け」の理屈です。

先祖代々、美しい日本語、正しい文法の言葉を、ご先祖が意識して、生み出してきたとは、どなたも思わないでしょう。
日本語は、それ程、「弱い存在」ではないし、「華奢」でも、有りません。

要は、50年後、100年後、その言葉、言い回し、が生き残っていけるか、それを日本人が「許容するか。」に
掛かっています。

安っぽい、問題提起だと思います。
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> このことについてどう思いますか?



「結構」なんてのも、昔から、Yes/Noの両方で使いますが・・外国人には難しいでしょうね。

正確には「もう結構」「もう大丈夫」など、頭に打消し語を付与するのが好ましいのでしょうけど・・。
それを省略しても、状況や文脈から判断して通じる「日本語独特の機微」と考えれば、むしろ面白く、個人的には嫌いじゃないです。

「正しい日本語」も大事ですが、どこかからは「言語の変化」を認めない「言葉狩り」だし、そんなことをやっても、言葉の変化は・・・まあ止まりません。

何世紀か経過すれば、現代の言葉も「古典」になってるでしょう。
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「お飲物はビールでよろしいでしょうか?」


「はい、大丈夫です」
さて・・・グラスにビールをついで良いやら悪いやら・・・(笑)

相手の言葉を言い方や仕草で読み取って理解するのも、時として大事な事だとは思います。
しかしながら、言葉とは相手に理解されて初めて意味を成すものでもあると思います。
もし自分が思った通りに相手に伝わるなら、会話における誤解の概念はなくなりますねきっと。

その言葉で自分が意図する意味を、聞く側がくみとって理解せよでは悲しい気がします。

言葉は変化し続けていて、この先も変化していくことは百も承知ですが。
その上で、現在その言葉を理解しかねている方もいることを認める事もしたいと思います。

何が正しいとか正しくないとかではなく、相手が理解できる言葉を選択できる多様性を日本語は持ち合わせています。
それは幸せな言語を持った民族であると思います。

変化した言葉を否定はしません。が、仲間内で使う変化した言葉を、今はこれが当たり前だからと何の思慮もなく大上段から使われては受け入れられない場面もあります。
時と場所と場面で言葉を選択する優しさ、ほんの少しの優しさ、そのように言葉をかけられたら嬉しいですよね。
やんわりと断りたい時に、相手に合わせた言葉を持ち合わせた方は老若男女問わず素敵です。
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国民の税金を世界にばら撒いてきた自由民主党の政策の弊害です。

本来税金は国民のため使うのが第一なのに、それを怠るからこの様な事になるのです。
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日本の言葉に『苦労は、買ってでもしろ』という教訓を伝え無くなると堕落して社会が病んで行きます。

混ざる事で、馬鹿が増えるのでしょう。
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大丈夫とわりとセットにして使われる「全然」これも相当に揺れた言葉です。



全然というのは明治時代に一般的に使われるようになった言葉で、意味は「まったく」とか「少しも」になります。

明治時代は、否定形に限定されず「全然僕に任せる(志賀直哉・暗夜行路)」などの用法であったものが、戦後になって「全然痛くない」のように否定形に限定されるようになり、また最近(といってもここ20年ぐらい)は否定形を伴わずに「全然美味しい」のように使われるようになってきています。

もういい加減、言葉の変化を恣意的に取り上げて「言葉が乱れている」とあげつらうのはやめませんか?
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「大きなお世話」「放っといて」の意。


軽く「キレた」発言と考える。
表現よりも、発言の根の方に問題あり。
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>「大丈夫」という言葉を、ノー、の意味に使う



ってどういう意味?と全く見当のつかなかった老人世代ですが、参考URLの記事を読ませて頂いてなるほど一応の理由があったんだ、と感じています。

「ございます」とか「かたち」とかを変な使い方をするなあと、最近感じること頻繁のさ中、「大丈夫」の新世代用法と比べれば形式的(文法的)問題に過ぎないと思えるようになるかも知れません。

「“要りません”だとキツイ感じがして。わざわざ聞いてくれてありがとうみたいな気持ちをこめて“大丈夫”と言います」

そんな気持ちからなら然して批判すべきものではないのかも知れません。が、やはり言葉が意思疎通の手段であることを考えれば言葉の乱れは困りますね。勿論言葉は時の流れによって変遷していくものではあるのでしょうが、個人個人は出来る限り社会で普通に認識されている言葉の用法に従うべきだと思います。つまり個人個人が仲間内だけで意味が通じるような言葉を世間一般で使い出すと収拾がつかなくなってしまいます。日本人は誰にでも通じる同じ言葉を使うということの意味、大事さを余り感じていないかも知れませんが、これは非常に大事なことですよ。

一方ちょっと違った観点からの話。ただでさえ微妙な言い回し、難解な日本語であるのにますます難解になる。日本語離れ、ガラパゴス言語への加速が懸念されます。
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「これどうぞ」、とか言われて


「いいです」や「結構です」と言って断るのと似てるのかな?

「これいりませんか?」に
「大丈夫です」と断るのは何となく判るけど。

「飲みに行くか?」に対して
「大丈夫です」だと、断る意味になるのか?
会話が成り立たない奴と思われるんじゃない?

本来の意味と変わっている言葉って結構ありますよね。
「いい加減」なんかは、本当は悪い意味は無いんだけど、出鱈目の意味になったり。
「適当」も同じですよね。本来は「適切」と同じ意味のはずなんだけど・・・
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間違っています!社会では通じません!

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