
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
幕府の海外情報収集方法として阿蘭陀から提出させる風説書があったことはご承知のことと思います。
アヘン戦争後は別段風説書まで提出させていたようです。江戸も後期になるとこれらの情報は各藩が長崎に置いていた聞役を主に蘭学者、商人などから西南諸藩に伝えられていたようです。No.1
- 回答日時:
琉球王国から、薩摩、長州、の藩士を通じて
広まったものと思われます。
参考URLの19世紀の出来事をご覧下さい。
これだけ色々な事があれば、もし、江戸幕府が
機密にした所で漏れるのは時間の問題でしょう。
これは、私の記憶で出典は思い出せませんが、
当時の琉球国王(だったかな?)は、突然
英語を話し始め、ペリーを驚かせたそうです。
ある意味、外交の最先端だった、と
言えるかもしれません。
正式なルートは江戸幕府公認の出島だけ
でしたが、実際には薩摩、長州等は琉球経由で
海外へのルートを持っていたものと思われます。
もちろん密貿易なども行って、
巨万の富を得ていたでしょう。
開国によって、これらの利権を失う事を恐れたのが
彼らの倒幕、攘夷のきっかけではないか?
と私は推測します。
参考URL:http://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/okinawa_hist …
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