ギリギリ行けるお一人様のライン

趣味で創作をしています。
よく、「批判を受け入れないのは創作者失格」といいますよね。
でもそれって、ムチャクチャな話なのではないでしょうか。創作をしている友人に批判をされ、「楽しくやるのが目的だからいいんだ」と返したら、「創作者失格」といわれました。
プロが生活のためにウケる話を書きたい、もっとレベルの高い作品を書きたい、というなら批評を聞くのはわかります。
でも趣味ぐらい、好きにやることも許されないのでしょうか。
というか、批判をすべて受け入れて直すなんて無理ではないでしょうか。その人の個性がなくなるし、まず批判のいっさいない作品なんて有り得ません。
ピカソだってゴッホだって、宮崎駿だって手塚治虫だって批判されます。
なのに批判を受け入れないのは失格なんて、もうなにも書くなということでしょうか。
批判の多い作品はゴミ、ないほうがマシという風潮もよくわかりません。

まず、なんで評論家なんてものがいるのか分かりません。プロが自分らの作品を批評し合うのも分かりません。わざわざ自信を無くしにいくのでしょうか。
シロウトとプロの評論家、どう違うのか区別がつきません。

でも確かに、「向上心がない」と言われるとウッ…と苦しくなります..。私はダメなやつなのかと。
どうすればよいでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

追記です。


重ね重ねすみません。

私もアマチュアで創作活動をしています。

公開をしておりまして、
批判的な意見も来ます。
が、個人的に『プロじゃない限りは何を書いても作ってもいい。それが創作』と考えてます。


同じアマチュアの方のなかには、「閲覧者に意見を尋ねて、
沿った作品に仕上げてく」方もいまして。
疑問に感じますが、それも一つの方法なのでしょう。理解は出来ないのですけどね。

私は公開をしたのは『まさかこんな駄作がウケはしないでしょう』と軽い気持ちでした。
評価されたいという気は全くなかったです。

天の邪鬼な性分でして、「こう仕上げたらいいのに」とコメントを受けますと別の方向にしたくなります。
自分で考え、創り、ただ満足したい。

道端にある落書きだって創作だと思ってます。

プロだと契約と金銭が発生しますし、
やりづらいとは想像します。

私も批判・評論家は意味がわかりません………
個人的感想のような気がします。
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>オナニーがあるから、魅力がある。

作者の「これ面白い!」があるから個性がある。

それはもっともだと思います。
ただ、人が見たいと思うオナニーとそうじゃないものとありますね
創作物でも見ているだけで恥ずかしくなるようなものとか
読んで苦痛なものもあります

現実のオナニーでも金を出してまで見たいもの
通報されるもの
相手が驚いたり、嫌悪を抱くのを喜ぶ露悪主義者
いろいろあります。

世に出したり、まして知人のよしみで読んでくれるという人に見せる時点で
「駄作を許さない」「一人よがりを許さない人」の目にも振れるリスクがある、ということです。

それをあなたの中で、自分はそうは思わないという軸がきちんとあるなら
そんなこと言われてもブレないんでしょう。

でもここで質問しても、どうなのか知りたいという寄り
自分を支持してくれる意見をもらって、勇気がほしいということでしょうか?

>批判されると、まるで価値がないもののように思えてくるので。

ここで矛盾してきてるでしょう?
書くのが好きで、書くことが喜び、自分の楽しみのためにやっているなら
価値なんで気にしなくていいはずです。
排泄のようにどんどん自分の筆に任せて気持ちよく書けばいい。
でも価値がない、といわれることを恐れるならある程度読むに耐えるものを書く必要がある。

書く、と読む、の間にはある程度共感、共有、相互の関係があるはずです。

あなたが書きたいように書いて楽しむ権利があるなら
読んだほうも好きに批判したり、切り捨てる権利もあるということでしょうし。

ただ批判ばかり受けるというなら何か原因があるのかもしれませんし
書いて読まれたいだけなら
先に述べたようにコメント受付しないサイトなどで発表するだけで良いでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今回の場合、オナニーをみせてくれと頼まれしぶしぶ見せた結果、「汚い!」「趣味悪い!」と言われたようなものなので、しんどかったですね……。

>でもここで質問しても、どうなのか知りたいという寄り
自分を支持してくれる意見をもらって、勇気がほしいということでしょうか?

そうに近いですね。というより混乱して、自分の気持ちを吐き出したかった、と言うほうが正しいです。
「違うよ」と言って欲しかった気持ちもあります。

>批判されると、まるで価値がないもののように思えてくるので。
>ここで矛盾してきてるでしょう?

確かにおかしいです。ここが私の心の弱さ加減といいますか、
「趣味なんだ!自分の世界なんだ!」という気持ちと「もっと向上させたい、洗練させたい、もっとうまく表現したい、まだまだ足りない」という気持ちが共存しています(これは創作する人に共通のものだと思っています)。そこに、「もっと努力している人もいる…」「批評を受け入れている人もいる…」と考えると、「創作する者として覚悟が足りないのか?」などと思ってしまうんです。たとえ趣味であれ。
趣味だからこそ、真剣になるといいますか……。
私だけなのでしょうか。

>書いて読まれたいだけなら
先に述べたようにコメント受付しないサイトなどで発表するだけで良いでしょう。

そういう手段もあるんですね。私はどこにも自分の表現物を出したことがないので不安ではありますが、ちょっと考えてみようと思います。
やはり、なんだかんだいいつつ「見て欲しい」「発表したい」という欲も生まれてきてしまいます。批判されたら傷つくくせに、勝手なものです。
表現者って、いろんな業を抱えているんだなぁと思いました。

お礼日時:2016/09/18 16:51

多分質問者様の作品がそのお友達の好みの作品ではないのですよ。

読みたくないけど友達の作品だからしぶしぶ読む。でも私はこう云うの嫌い。っていうのが本心なんじゃないかな。
そのお友達にはもう作品を見せない事です。お互いに気分が悪くなるので。読みたいって言われた時にだけ見せればいいと思います。読んでねって言って見せた時は批判されるのを覚悟してください。嫌いなものを読まされるって相当ストレスなので。

>批判の多い作品はゴミ

これは別に一般的ではないと思う。批判上等、批判されない作品は空気!っていう考えもあると思うので。

自分の作品を否定されると、人格そのものまで否定された気分になるし、しかも相手の言い分が正しいのかの判断基準だって曖昧な癖にいかにも全世界のご意見を背負ってるように上から目線で「ここがだめ」とか言われるとしんどいかな。芸術系と言うのは自分の内面を表現する事が多いから特にね。

>どうすればよいでしょうか。

創作の種類にもよりますが相手の批判を箇条書きにしてみては如何でしょうか。
そうすると、「ああ確かにこれ変だわー。次の時は気を付けよう」ってなる部分と「そこは無理!これが書きたくて創作やってるんだから!わかってくれる人しかいらない!!」って部分が見えてくるのではないかなと。
受け入れたところだけ直すのだって、りっぱな向上心だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分から作品を見せたわけではなく、描いている最中に見せてくれ、と言われて渋々見せた、というのが正しいところです。
趣味でやっているとは言え、「そんなにひどいのか…?」と言われるくらいこき下ろされました。

>自分の作品を否定されると、人格そのものまで否定された気分になる

本当にそうです。これで私はかなり精神を病み、病院にまでかかりました。
「私の考えは間違ってるのか?」「駄目な人間なのか?」「きれいごとなのか?」と……。
心をこめて書いたものが否定されると、さすがに辛いですね。

アドバイスまでありがとうございました。
なんとか立ち直れるように、頑張ります。

お礼日時:2016/09/18 16:34

《批判を受け入れないのは創作者失格》なんて、


初めて目にしました。質問者さまの代表作及び
その友人とやらの代表作を見てないので
難しいのですが…お早めに、その友人とやらとの
関係性をクリアするのが賢明ではないでしょうか。

時間が Mottainai ですぞ。
評言を聞きたいのであれば、その道の
第一人者の言葉を、あくまでも
参考程度に聞き流すだけで宜しいのでは
ないでしょうか。

[私が大先輩から言われたのは
《実作者としての鑑賞は、ほどほどで
宜しいのではないでしょうか》
ということ、でしたが~~~]
Bon Voyage!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

強烈な言葉を投げかけられたので、私も極論を真に受けてしまっていたところがあります。
反省すべきですね。参考になるなら参考にする。それが一番です。
どんな権威者の言う言葉であろうと、曲げる必要はない。自分の信じた道を行けばいつか花咲くかもしれないし、花咲かなくとも後悔はない。
でもそんな心の強さを持てるのは、まだ先になりそうです。

お礼日時:2016/09/18 16:29

私もそう思います。




創作は本来自由です。
批判するというのは、個人の押し付けのように感じます。

ピカソの絵を見て衝撃を受ける人もいれば、
『はて?』と首を傾げる人もいると思います。

あと、
批判を受け入れていたらその人の創作ではなくなるような………………………
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですよね。プロで食べていく、顧客の望むものを作る、ならともかく、そうでない人に批評をするのは正直余計なお世話、としか言えないのでは…?というのが私の持論です。
それで良い作品が生まれるとも限りませんし、そもそも創作は人の自由なはずです。
プロで活躍しようとも思っていない人の生き甲斐まで潰すのはどうなんでしょう。

批判されて潰された才能なんて星の数ほどいると言いますし…
誰もが簡単に意見できる、ネット社会という環境もよくないと思います。
自分の顔をさらして言うならまだしも、匿名でぶつけてくる人も大勢いますからね。

お礼日時:2016/09/18 16:27

日本人ってそういうところありますよね。


趣味をただ趣味として楽しむ人間を許さないというか。
何かをやるとすぐに高みを目指すこと前提で語りだす人が多いです。
すぐに「○○をする資格が~」とか言い出しちゃう。
資格とかそういう言葉大っっっ好きですよね日本人はホント。なんなんでしょうねアレ。
しかもその「○○をする資格」の内容も人によってまちまち。まっっちまち。全く共有されてない。
「ぼくのかんがえたさいきょうの資格」を人に当てはめて、
「お前はぼくの考えた資格に当てはまってないから○○を名乗る資格はないんだぞー!反省しろはんせー!」
とか言っちゃう。もう見てらんない。ここの回答欄にもそんな子たくさんいる。もう見てらんない。
とか言ってる私も「お前は回答者を名乗る資格はないぞー!」とか言われちゃう。めっちゃこわい。ぶるぶる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

言葉は乱暴ですが、共感することは多々あります。
以前、プロの作家さんのもとで教えを受けていたことがあるのですが、
「君には書く資格ない」とか「こんなもん作品じゃない」とかそんな言葉を何度も聞きました。
それがどうしても掴めませんでした。
頑張って書いてると思うんだけど、という作品が叩かれ、本人も「めんどっちいから一日で書いたw」って豪語してるような「なんだこれ?」っていうスカスカの作品が評価受けたりする。意味分からない。
それでわかんなくなっちゃった、ってのが大きいですね。

人によってまちまちです。自分軸を見つけるしかないんですね。
ただ私が悩みに悩んで思ったのは、「君には資格がない」なんて言葉は、未来永劫だれにも言わないということです。
資格なんて誰が決めたものでもないですから。

お礼日時:2016/09/17 15:16

批判の内容を創作の上で受け入れるべき部分と、譲れない部分が必要なのでは、というのと


受け入れて変えるかどうかじゃなくて「批判はされる」ということを受け入れる必要はある
というのはあるのでは。開き直るのではなく。

それから、創作自分のためにしてるからいいのだ、という場合は
世に出さなければいい。人に読ませたり見せなければいい。
ある程度人に発表する以上は批判される、という行為そのものは受け入れないといけないし
向上心がないといわれるのが嫌だということは
上達したい、人に認められたり評価されたいという思いがあるなら
ある程度聞く耳は持ったほうがいいのだと思います。

自分がいいと思っている内容が批判されているなら
表現の仕方一つ変えてみるダケで、受け取り方がかわってくることもあるでしょうし。

>でも趣味ぐらい、好きにやることも許されないのでしょうか。
一人でやるならいいんじゃないかな。人に読んでもらうなら批判はされるだろうし
改善点をそこから見つけて、どうやったら自分が書きたいように
でも、よりよくなるか苦しむのも創作の醍醐味では?
だれも「好きにやるのを許さない」なんて言ってないでしょう?
作品を読むのだって人の時間をかけさせるわけですから。
本当に好きにやりたければ、自分だけで楽しむか
コメント欄のないサイトで発表すればいい

>というか、批判をすべて受け入れて直すなんて無理ではないでしょうか。
だから、なんですべて受け入れる、前提なのかナ。
全部否定しないで、取捨選択したり、とり入れ方を工夫したり、できるでしょう。

>その人の個性がなくなるし、まず批判のいっさいない作品なんて有り得ません。

そりゃそうだけど、批判が一切ないところまでやれといわれたの?
それとも批判に何一つ耳をかさないの?
それによっても違ってくるんじゃないのかな。

ただでさえひとりよがりになりやすいし、サイトもよほどじゃないと
結構褒めるコメントとかしか来ないこと多いですからね。
つまらないと思ってる人はスルーしていきますから。
耳にいたいこと言ってくれるひとは貴重だと思います。
全部が正しいとか、その通りにすることもないでしょう。
その人のためだけに書いてるわけでもないなら
何もその人の言い分や嗜好に全部合わせることは無いけど
開き直ってまったく聞き入れないのも極端だと思いますヨ

オナニー見せんな、って話ですよ。
たぶん。
いっちょまえに「作品」とか「創作」とかいうなら
受け取り手がいることも意識したほうがいいんじゃないかなという。

逆に批判上等、批判があがるほど褒め言葉、という
センセーショナルな狙いの作品もあったりしますけどね

ここで質問している内容を見るに、自分のなかで揺れてるんじゃないのかな、っていうものはあるので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「オナニー」と言う言葉を使われていましたが、その言葉はかなり自分のなかで引っかかっているものでもあります。
自分は言われたことがないのですが、ほかの創作者の方が言われているのを見たことがあります。「オナニーなら家でやれ」と…。よく言われる言葉ですよね。
もっともらしい言葉ですが、創作なんてすべてオナニーでないのか?と思ってしまうのです。極論ですが。
オナニーがあるから、魅力がある。作者の「これ面白い!」があるから個性がある。
それが世間に受け入れられるかどうかだと思うんです。
世間的に「斬新だ!」となればすごいパイオニアだけど、受け入れられなきゃまさにオナニーで終了。
難しいですよね。
だから「オナニー見せるな」という言葉にはあまり納得がいっていないところがあります。

丁寧に回答ありがとうございます。
全部絶賛でなくては嫌だ!などというムチャなことを思っているわけではなく、批判なんかひとつも聞かないぞ!でもなく、「批判が怖い」というのが正しいですかね……。
批判されると、まるで価値がないもののように思えてくるので。
「これはおかしい、受け流そう」と思った意見でも、「批判を受け入れないのか、向上心がないんだな」と言われると落ち込んでしまうのです。
けっきょく私の心の弱さが原因なんですよね。

ラクガキでも紙ゴミのようなものでも、作っていたら私は「創作者」かなと勝手に思っています。
「どんな適当な気持ちで書いても名作だし、命を削った作品でも駄作は駄作」という言葉が頭にあるからです。
誰の心に残るかもわかりませんからね。
高いハードルを課されている方からしたら、腹立たしいだろうなと思いますが。

お礼日時:2016/09/17 15:03

1か0かの選択ではないから。

参考になる部分は取り入れて納得行かないのは無視していればいい。

まあ『こうしたほうがいい』ってのは基本的にその前に『自分の好みでは』がついてると思っていい。『馬から落ちて落馬したってのは重複表現だ』みたいな基本的な間違いならともかく。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いろんな批評を受けてきて、「これが正しいのだな」と思い従順にしてきましたが、
程度の差はあれ結局は好みなんですよね。
どんな権威のある審査員でもそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/17 14:35

自分の思いだけで生活が成り立たないのが芸術・創作の世界です。




どんなに天才的な芸術家でも、
結局、生きているうちに、第3者に評価され認めてもらわないと
買ってもらえず、作品の価値が付かなければ、ただの紙・ただのゴミで終わるんです。


ピカソくらいです。
生きているうちに儲けまくったのは…^^;


批判されようが、何だろうが、独自の世界を生き、
自分が楽しめれば良いと言うのであれば、
人に見せなければ良いんですよ。
自己満足に留めれば良い。



作品を見せたからには、評価はされるものだと思うべきです。

自分の望んだ答えが貰えるとも限りませんが、
ある程度は受け入れる覚悟と、作品を作ったものとしての責任は持たないと。


どこまでその道を極めるのかにもよりますが、
結局、「ひとりよがり」で終わっているものは作品とは言えません。


作品は、
自分の思いを如何に作品を通じて見た人に伝える事が出来るか…、
また、自分の作品を見た人が何かを感じ、心動かしてくれるか…で価値が決まると思うので。

自分でどれだけ満足していても、
結局、作品を認める人は他人ですから。

なので、他人の意見はある程度は受け入れ、改善につなげて行けば良いと思います。

なんでもかんでも受け入れろとは言いません。
批評をした人のレベルというか…知識がどれだけあるのかによっても
全然違いますしね…。


私は、書道のプロの世界でいろいろ見てきました。


書道の大会と言っても、
展覧会ごとに、特徴があって、傾向があるんですよ。

ある大会ではポコポコ入選するのに、
べつ大会では、全然入らない……なんてパターンもよくあります。

相性がいい大会と言っていますが、
自分の作品を好んでくれる人がいるんだと言う事がわかりますので嬉しいです。

一方で、べつの大会ではダメだという事もわかり、
自分の作品の良い面・悪い面などもわかるようになってきます。

それを活かして、自分の道を極めて行けば良いと思いますが、
そういう事も知らず、受け入れないままやってても
作品としてはあまり意味がありません。

プロの世界ではね…。


それなりの大きな大会での批評に関しては、
評価をしてくれる人は、間違いなく自分よりも経験も実力も上の人たちなので、
素直に受け入れられる事は、訂正し、改善に努め、
より人の心に何かしらを伝えられる作品を作りたいと思いますけどね…。
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この回答へのお礼

書道のプロの方ですか。ありがとうございます。

出す場所によってぜんぜん評価が違うというのはわかりました。
私も一時期プロの人に作品を見て貰い、ぼろくそに言われましたが、
趣向を変えたら一転して絶賛されました。難しいですね。

あと、自分は「世の中の価値が出なければゴミ」という考え方をあまりしたくないのです。
プロの世界はそれくらいシビアなのでしょうけど、せめて趣味の範疇では。
自分だけが楽しいものでも、自分にとっては宝であり、
世界のどこかで誰かが気に入ってくれるかもしれないから。
回答者様はそういう事を言いたくてお話しなさったのではないとわかっていますが、ひとつだけ。
小生意気なことをいってすいませんでした。

お礼日時:2016/09/17 14:31

まぁ途中までプロは批判されて当然的な事書いて


例がプロなのは気持ちが混乱してる証拠なのでしょうね
プロというよりは創作を人に見せたら批判、賛同あって当然です
プロは批判されたモノばっかり作ってたら飯食えないので
批評を受けて作ってくしか無いのですよ

貴方の主張は
「私は素人です。お金とりませんので批評をしないで下さい
でも私が元気に頑張れる評価は下さい。では発表します」
ってヤツです

好きでやってんだったら人に見せなくても良いでしょ
不特定多数に発表するなら仕方ないかと思いますよ
参考になる意見を優先して取り入れましょう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
主張としてはちょっと違います。
「人に見せる以上、批判されるのは仕方ない。
でもそれを全て受け入れて直す姿勢がなければ創作者失格なのか?」というかんじです。

お礼日時:2016/09/17 14:09

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