電子書籍の厳選無料作品が豊富!

私はゲームが好きです。
囲碁、将棋、バックギャモンからはてはファイナルファンタジーまで、何でも好きです。

そんな私が日頃疑問に思っている事があります。
すなわち

ゲームが楽しいということがわからない
とか
ゲームを楽しむことはよくない

という方々の考え方です。

ご存知の方がいらっしゃいましたら、
1:なぜゲーム(特定のゲームはゲームの品質に関与するので除く)に否定的な方がいらっしゃるのか
2:そういう方々にゲームのよさを理解していただくにはどういうことをすれば良いか

教えていただけますか?

ちなみに、私は
1:ゲームに否定的な理由は経済性・生産性がないから社会的地位が低い
2-1:ゲームの知育効果について説明する(対大人)
2-2:わかりやすいゲームをやらせてみる(対子供)

A 回答 (17件中1~10件)

これは文化です。

元をたどると儒教です。

もっとも今の一般市民は意識・無意識に関わらずそれは圧政だと思って(いないかな?)いますから、反発しているのですけどね。

遊びは悪いことというのは、昔の権力側の考えに都合が良かったから、儒教は広まったのです。

欧米では反対に、仕事をするのは、神からの罰だと思われています。 其の為、目標は働かなくても生きていかれること。 40歳か50歳では少なくてもリタイアしてゆっくりすごしたいという人がほとんどです。
    • good
    • 1

#9です。

再度失礼します。

#9での私の意見は「ゲーム否定の否定」で、ゲームの利点についてあまり触れていなかったので補足です。

楽しいんだからいいじゃん!

これにつきますね。

ゲーム嫌いの人も、他に趣味をもっていることでしょう。
例えば登山とします。登山の利点について「体が鍛えられる」「自然と触れ合える」などどあげられたとして、体を鍛えることはスポーツジムでも、それこそパンチングゲームでもできるし、自然に触れ合えるといったって、それが何にとっていいここなのでしょう。
つまりその人にとって「登山が楽しい」ことが最大の「利点」であり趣味とはそういうものだと思います。

ゲームはやっている人にとって楽しい。この一点だけをもって、私はゲームを善とします。

コンピューターの操作を覚えられるとか、デジタルな考え方を身に付けられるとか、経済的効果とか、そういった付加価値を否定しているわけではありませんが、例えこれらがなくても、楽しいということだけで充分価値があると思います。

儒教道徳で、楽しむことが罪悪である、という深層意識はあるのかもしれませんが、それを根拠にして、ゲームを否定する人は少数派なのではないでしょうか。(ちなみに、キリスト教でも、楽しむことは悪として、カードゲームなどが禁じられた歴史があります)

楽しければ善というのであれば、麻薬も善なのか、という予想される反論についての反論。
依存性と中毒性がなければ、麻薬も善とされるだろう。
メリットとデメリットのバランスの問題で、デメリットの方が大きいから麻薬は悪である。

ゲームだってデメリットの方が大きいぞ!という反論については#9の通り…。

オマケ パソコンもワープロも使えなかったんで私は就職後に苦労したぞ~! ATMも使えないような大人になったら困るぞ~!(注:流石にこれは使えます)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答(補足?)ありがとうございます。
非常にためになります。

ゲームのメリットは楽しいことだと思います。
やっぱ笑顔っていいですよね。自分でも他人でも。

でも、依存性や中毒性が高いのは問題ですね。

そう考えると、ゲームも中毒性があるなぁと思いました。

モルヒネが医薬で使われるのと同様、ゲームに罪はないのですがね。

バランスという問題は難しいですね。自分の感想と、他人の判断は一致しませんから(笑)

お礼日時:2004/08/20 15:39

否定派が挙げる理由としては、視力低下や最近では脳に悪影響がある、などが多いですね。



でも個人的には

「子供の勉強時間を(TV)ゲームにとられる」

これにつきると思います。


そんな否定的な人間にゲームの良さを理解してもらうのはかなり難しいと思いますが…。
例えば、ゲーム業界の経済効果、クリエーターに対する海外での高評価などの資料を客観的に見てもらうのはどうでしょうか?
(いずれにしても好きにはならないと思いますが^^;)
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そのとおりですね。
(ほかの)皆様からの色々な意見を聞いていて
「否定派」は「好き」まではなかなか行かないから、
説得するのはナンセンスという気になってきました。

やっぱ(潜在的に)好きな人に楽しんでもらうのがよさそうですね。

お礼日時:2004/08/20 15:32

#12です。

言い忘れたので再度失礼します。

かの養老孟司氏のNHKのインタビュー番組で、あるファンタジーシミュレーションPCゲームをプレイされているのが出てまして私も同じゲームにハマったことがありちょっと光栄に思った事があります。
氏曰く現実世界には確かなものは無いがゲーム世界には確かなもの(構築されたルール?)が感じられるのだそうでそこが面白いのだそうです。ネットRPGなどにも言えることではないでしょうか。

またウォークラフトタイプのゲームでは最初に木と金(資源)が用意されておりこれで建物や兵士を作るのですが現実社会では基本的にどこかから物を持ってこないと生活できないという事がプレイしてみればわかると思います。海外では投資ゲームが小学校から授業に採用されている国もあるそうですし、2に関して知育面からも説得力があるのでは。

とにかく「遊び」が無いのは豊かとは言えんですね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

#14の途中からもふくめて。
世界の話、初めて聞きました。どうもありがとうございます。
養老先生の話は、「ルールが変わるゲーム」を体験されるとまた別の視点が増え面白いと思いますが、大筋理解いたします。

投資ゲームについてはまさにそうで、アメリカの家庭では家でモノポリーを楽しむなど普通のことと聞いています。そう言うところがディベート文化のもとなのかなと。

お礼日時:2004/08/18 13:35

#11です。

再度失礼します。

#12さんがすこし触れている『ゲーム脳』の話ですが、あれはてんででたらめのようです。だまされないようにしましょう。
というか、これを根拠にゲームを批判している人がいたら誤解を解いてあげるべきです。信じてもらえるかどうか分かりませんが。。。

参考URL:http://www.tv-game.com/column/clbr05/index.htm
    • good
    • 0

今までプレイしたゲームはストラテジック・シムが多いゲーム擁護サイドです。



日本で市民権を得てプロまでいる囲碁・将棋にしても戦略ゲームですね。チェスにしてもそう。ゲームの基本は昔であれば戦いで生活権をかけたものが長い間にゲーム化したという事はご承知のとおりで、球技系スポーツなどもそうです。いわば必須の処世術であったものが長い年月を経て結局娯楽になったのですがビデオゲームはまだ年を経ていない若い文化ですから偏見を受けやすいかもしれません。認証が取れていないんですね。

「ゲーム脳」論者の言っているのは定形のルートで起こる反射行動だけが長時間のゲームによって鍛えられ感情面の発達がおろそかになるという事だと思います。そういった実例はないことは無いのですが、そのほかの環境の影響を無視してゲームだけに責任を押し付けるのはどうかと思います。子供が丸一日自然の中で自由にできる時間・場所が今果たしてあるのか?結局テーマパークにしても意図を持って作られたモノですね。全体的な教育面をも含んだ問題だと思います。

2に関してはシミュレーションなら楽しみながら思考力がつく。アクション、FPSなら反射神経がつくといえます。程度問題ですから時間制限や対象年齢を守ることは必要かと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。(#14も「含めて)
儒教まで話が進み、楽しんでよまさせていただきました。
ゲーム脳は確かに驚くべき論文でした。でも、これってゲームに限った話ではないでしょ って突っ込みたくなった自分のことはよく覚えております。
ちなみに子供が丸一日..というのは、完全なものは文明ができてからはないかもしれないですね。
強いて言うなら、文明・文化の違いに肯定できるか できないかだけの問題かもしれませんね。

お礼日時:2004/08/18 13:29

私はゲーム大好きですがジャンルが偏っています。


ビデオゲームはシューティングゲームしかしません。
非ビデオゲームですとパズル類が好きです。

ゲームの楽しさが分からない人は、好みの問題ですからどうしようもないです。
たとえば私はスポーツ観戦の楽しさが分かりません。野球もサッカーもオリンピックも見ませんし、見ても何が楽しいのかやっぱり分かりません。強いて言えばF1ならおもしろいかなあと。
私のような人にどんなスポーツを観戦させても無駄です。スポーツ観戦の楽しさを分かろうとしないのではなく、本当に理解できないのですから。

また、うまくできないので楽しくないという人もいるでしょう。こういう人には、練習させればいいと思うでしょうが、うまくできないので練習も苦痛ですからやりたがらないでしょう。
これも例えば私はスポーツをするのも楽しさがわかりません。うまくできないからです。練習しろと言われてもいやです。


ゲームが良くないと言う意見は、時代の問題だとおもいます。
かつて、映画をみるという行為はよくないこととされていました。しかし、時が熟し、今では大衆娯楽として認められ、映画を悪く言う人はほとんどいなくなりました。
ゲームは、大衆娯楽として認められるには、まだ時が熟していないのでしょう。

ちなみに、タイトルには『日本で否定的な文化である、とありますが、特にビデオゲームについては日本が最も進んでいて、世界的に見ても日本のゲームが100%に近いシェアを獲得しています。私は海外に行ったことがないのですが、どこの国のゲームセンターに行ってもおいてあるのは日本製のゲームばかりのようですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに海外の空港に行くと、セガのゲームがおいてあったこと記憶にあります。
機が熟していない論、非常に理解できます。
ではどうやったら機を熟す貢献ができるだろう?
というのが次の悩みになりますが(笑)

楽しく思わない人に楽しませるのは私も反対です。
でも楽しさがわからない人に楽しませるのはしたほうがいいのかな、と思います。個人的な感想にすぎませんが。

お礼日時:2004/08/18 13:21

「週刊ファミ通」というゲーム雑誌で以前連載されていた「ゲームの話をしよう」というコラムで、著者の永田泰大さんが述べていた意見ですが、ゲームは娯楽としての純度が高すぎるのです。


たとえば、同じ娯楽とはいえ、読書や映画鑑賞には「知識の吸収」というニュアンスも含まれているのに対し、ゲームは楽しいだけです。

そして同コラムのインタビューで、精神科医・香山リカ先生(この人はゲームファン)はこう語っています。
ゲームを悪いものだと信じている大人たちの多くは、自分たちが機械に弱いというコンプレックスみたいなものをもっており。子供たちの心が得体の知れないヘンな機械に奪われていく不安を無意識に抱くケースがあかもしれない。それで、何か異常な犯罪の原因がどうやらゲームみたいだぞと聞いた途端「ほらみたことか!」という反応をしてしまう。
ゲームが悪いものだというイメージの報道しかされていないけど、ある一方ではゲームをやる子供の方がやらない子供よりも社交的だというようなデータも報告されてる。と。
 
 
このふたりの意見は非常に興味深かったので覚えています。



ですが、(僕もそうですが)ゲームファンも「ゲームは悪いものではない」と過信してしまうと、ゲーム否定派の人たちと同じレベルになってしまうと思うんですよね(笑)

なので、僕はゲーム否定派の人にゲームの良さを理解してもらおうとはあんまり思いません。「ゲームはあんまり好きではない」というぐらいの人には、「結構面白いよ」程度は言います(笑)

長文失礼しました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ゲームに知識の吸収の要素がないというのは、まだ数多くのゲームをこなしていないからだと勝手に思いますが、言いたい趣旨は理解できます。

実は僕もゲームは悪い要素をもつものだと思います。
ルールをもって楽しむものであるので、逆の観点だと、ルールに束縛されてしまう、というのが一番危険だと思います。なので「現実」というゲームの方が面白いよ というのは賛同します。

お礼日時:2004/08/18 13:17

>1 について


否定的な方々はゲームが嫌いなのでしょう。これが前提で、否定する理由は、主にバーチャル・リアリティーの悪影響を危惧しているものと思います。

1)「ゲームで人を殺したり、かつ簡単にリセットできたりすることに慣れてしまい、人命を大事なものと考える意識が薄れる。それがひいては少年犯罪の増加につながる」ってな感じですね。

2)体力を使う遊びではないので、子どもがこれに「ハマッて」しまうと、体力・視力の低下の危険性があり、また、一部の例外を除いて「一人で遊ぶ」ものなので、協調性を育てることができない。まあ、#2の方の意見とほぼ同じです。

これらをふまえて >2 どうしたらいいか

1について。そもそも「生命の大切さ」はゲームで覚えるものでも授業で教えるものでもなく、日々の生活から感じとっていくもの。生き物を飼うとか、病人や老人に日常的に接して労わるなどの環境をつくっていく方が大事。「ゲームが現実と混ざってしまうからゲームはよくない→だからとりあげる」というのではなく「ゲームと現実は違う」ということを教えるのも大事な教育のひとつ。…ということを説得する。

2について。つまりは程度の問題。やりすぎはよくない。これはゲームの本質的な問題点ではない。極論を言わせてもらえば、勉強でさえ「やりすぎ」はよくない。…ということを説得する。

オマケ 実は私自身は、ゲームをほとんどやらないし、好きではありません。…ていうか、コンピューター苦手なんですよ(笑)。だから、ゲーム好きの人って、PCにくわしくって、格好いいなあって思います。PCに「習うより慣れる」為にもゲームは有効だと思います。ただ、なんとなくコンピューターアレルギーみたいなものがあるのも判る気がします。そういうのって、理屈じゃなくて感情なんですよ。「趣味の問題」だから、好きな人もいれば、嫌いな人もいる。ここのところにも理解をしめしていただければ幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます。
非常に参考になりました。
実は私もコンピューターゲームはそれほど得意ではないんですよ(まぁ最低限は抑えているつもりですが)

やりすぎはいけないという考え、非常に共感を覚えます。自分についても反省。

まぁ、NAMCOさんの福祉にゲームをとりいれる働きなど、社会が体力等の低下に偏った見方をしていないといういのが救いですね。
ちなみに、趣味の問題のところは全く同感です。

お礼日時:2004/08/18 13:08

>ゲームが楽しいということがわからない


>とか
>ゲームを楽しむことはよくない
>という方々の考え方です。

回答でなくて申し訳在りませんが、
私は、テレビゲームはともかく、ゲーム全てを
否定する人に逢ったことがありません。
そんな人々が本当に日本に存在するのですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

誰 ということは覚えていないのですが、
そういう人はいます。

その場合も二種類いて、ゲームの良さを理解しつつ否定する方と、ゲームの良さを見ないで否定する方です。

前者の立場は理解できます。(ゲームの良さが伝わらない and/or Needsにあわなかったから だろうから)

なお、個人的には、何によらず、全否定する人間にだけはなりたくないですね.

お礼日時:2004/08/18 13:00

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!