どう調べればいいのかすらわかりません…
ご存知の方がいらしたら、助けてやってください

野球でピッチャーの手からボールが離れて、
ホームベース上に到達するまで0.46秒かかるそうです。
一方、バッターは
ピッチャーの手からボールが離れてから
「打つぞ」という意思決定をするまでに0.17秒、
意思決定から実際にバットを動かすという動作開始まで0.13秒、
動作開始からバットがホームベースを通過するまで
0.16秒かかるそうなのですが、その間、神経回路の中では
どのようなメカニズムで情報の伝達が行われているのでしょうか?
お勧めの文献、サイトなどありましたらお教えください。

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A 回答 (1件)

 非常に難しいですね。

専門家であれば大体見当がついて説明できるのだと思いますが・・・。大脳皮質、小脳、大脳辺縁系、延髄など絡んできて、専門書などではそれぞれの機能分担について断片的に書かれていますので、一通り理解していれば運動のメカニズムについては説明できるのだと思います。まだまだ解明されていない部分も多いので、ここではとりあえず粗筋だけを。

 筋の収縮の早さは神経の回路とはちょっと異なるので、とりあえず無視します。

 まず、小脳にはあらゆる(?)球種(カーブやスライダーなど)に対するスイングプログラムが組み込まれています(練習によって刷り込まれる)。また平行して、筋の作動バランスプログラムも線条体(大脳辺縁系)に組み込まれています。とりあえず、これらがあれば、あとは命令ひとつでいつでもスイングできるように準備がなされている訳です。

 では、命令はどこが出すか・・・。

 大脳皮質には、その決断(振るか振らないか)を非常に単純に決定するSupplemental motor cortex(?)という領域の神経細胞が知覚情報を受け取り、先ほどのあらかじめ準備したプログラムに命令を出します。

 知覚情報(この場合、視覚情報が主要なものですが、ピッチャーのフォーム、ボールの握り方、手を放れた瞬間の動きなど)は網膜から一次視覚野(後頭部にある)に入り、大脳の後ろ半分の知覚系の連合野から前半部の運動系の連合野で処理されます(どう処理されるのか私も知りたい)。これにより、瞬時にカーブかスライダーか判断して、どのプログラムを使うかを決断するようです。

 プログラムが起動すると小脳からの命令が大脳皮質の一次運動野に直接か間接かいくわけです。そして運動神経線維を通して脊髄に命令が走ります。

 この一連の流れがご質問の時間内に起こります。

 非常に乱暴な説明ですみません。

 この手の話は専門家が雑談ですることが多いので、わかりやすい文献等は思い当たりません。
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この回答へのお礼

難しい質問にもかかわらず、丁寧に答えてくださって、ありがとうございました。
回答の中のキーワードや、脳の図を、詳しく調べてみようと思います。
お礼にポイントを発行させていただきます。受け取ってください。

お礼日時:2001/07/01 20:44

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Qバッターがボールを打つまでの過程

まもなく春休みも終わり。学生の僕は宿題におわれる日々を送っているのですが、生物の宿題にどうしてもわからないところがあったので質問させていただきます。

質問 バッターがボールを打つまでの過程を説明しろ。(B5レポート用紙1、2枚)
ポイント バッターはボールが近づいてくるのを目でピントを合わせてゆく。網膜に焼き付けた像を、大脳の視覚野に送り、前頭葉で思考判断し、運動野に送る。運動野から運動神経を通って、腕の筋肉を動かしている。この事を膨らまして書け。

レポート用紙1枚分ほど書かなければなりません。詳しく教えてくもらいたいと思っています。また、お勧めのサイトなどがあればそれもお願いいたします。長文になりましたが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

すごくいい問題です。

自分で解決することがあなたのためだと真剣に思います。

短文で申し訳ありません。

Q個々の部分が無意思で形成することで意思を持った全体が成り立つ組織

個々の部分が無意思で形成することで全体が成り立つ組織のことを
どのような語句で説明しますか。
以前、複雑系の本で読んだ記憶があるのですが、語句を忘れてしまいました。
例を挙げると、以下のようなことです。
植物は脳が無いのに、部分部分が個々に動くことで自然と木の形になる。
鳥に模したポインタを、周囲の数羽かの鳥とだけの関係で動くようなプログラムを組むと、全体として本物そっくりの鳥の群れの動きを形成する。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
最も一般的な用語としては「自己組織化(Self-Organization)」で良いと思います。「複雑系科学」を扱った本ではほとんどこれが用いられています。
連鎖的な化学反応によって維持される細胞としての生命体や多細胞生物の機能的な成り立ち、気象現象、地殻変動も含めて経済動向や社会情勢における規則性、このようなものは全て、それぞれの物質や反応に固有の化学的・物理的特性ではなく、無数の因子によって構成される複雑系において初めて発生する「集団としての性質」が反映したものです。このようなシステムが自然発生的に構築され、その機能が維持されることを「自己組織化現象」と言います。

>植物は脳が無いのに、部分部分が個々に動くことで自然と木の形になる。

杉の木は誰が見ても杉の木で、松は如何にも松としての枝振りを這わせます。これは、「自己組織化現象」によって「フラクタル構造(自己相似性)」が維持されているからです。他にも「リアス式海岸」は何処の国に行ってもリアス式で、「鳥取砂丘」が毎日砂丘としての景観を維持しているのも、意思というものを持たない自然現象がフラクタル構造という規則性を自律的に再現してしまうからです。また、世界中で無数の人々が営む自由経済が株や為替といった世界経済の動向を形作るのも複雑系におけるたいへんはっきりとした自己組織化現象です。

>鳥に模したポインタを、周囲の数羽かの鳥とだけの関係で動くようなプログラムを組むと、全体として本物そっくりの鳥の群れの動きを形成する。

これはグレイク・レイノルズというひとが行ったコンピューター・シミュレーションで、ディスプレー上で「鳥を模したポインタ」は、これは「ボイド(Boid)」といいます。複雑系科学、人工生命研究では歴史に残るたいへん有名な実験ですね。これにより、リーダーというもののいない鳥の群れの整然とした集団行動の謎がひとつ明らかになりました。
このシミュレーションは、良く映画の中で恋人同士が感激的な再会を果たすラストシーンなどで白い鳩が一斉に飛び立ってゆくといったお約束の場面を作るために、背景のコンピュータ・グラフィックとして現在でも頻繁に使われています。このプログラムでないと、あのリアルな鳥の群れは再現できないんですね。

こんにちは。
最も一般的な用語としては「自己組織化(Self-Organization)」で良いと思います。「複雑系科学」を扱った本ではほとんどこれが用いられています。
連鎖的な化学反応によって維持される細胞としての生命体や多細胞生物の機能的な成り立ち、気象現象、地殻変動も含めて経済動向や社会情勢における規則性、このようなものは全て、それぞれの物質や反応に固有の化学的・物理的特性ではなく、無数の因子によって構成される複雑系において初めて発生する「集団としての性質」が反映したものです。この...続きを読む

Q核酸の抽出から泳動、配列決定まで外部委託したら

論文にはそのことを書くだけで済ませますか、
それとも
受託会社での作業過程を報告してもらって
実験手順を完全に書きますか。

Aベストアンサー

委託の場合は普通詳細は書きませんね。
委託先の詳細情報のみです。

Q人の意思と身体の関係について

 例えば人が自分の意思で右手を動かす時、脳内で化学物質が合成されたり、筋肉に電気的な信号が送られたりして、人体の複雑なシステムを介して右手が動くことになるんですよね。

 そのシステムが機能する一番始めの工程、つまり人が右手を動かすことを意図した瞬間に身体に最初に発生する変化は何なのでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。
ANo.5です。
長い回答をみんな読んで頂き、本当にありがとうございます。
さて、我々が行っているのは科学哲学に匹敵する究極の論議です。計らずもそのようになってしまいましたが、如何に出口の見えない究極の命題であれ、どっぷりとドツボにはまるにしましても、それが独り善がり、独善的なものであってはいけませんよね。私がこれまでに述べましたことには以下のような既存認識が背景としてあります。

「エントロピーの法則」
「散逸系」
「複雑系理論」
「不確定性原理」

どうしてこんなものが関係してくるのかと思われるかも知れませんが、世界中で「物理学者」といわれるひとたちが、このようなものを用いて「生命科学」の分野に立ち入り、見事な実績を挙げたという例は意外なほど少なくありません。
質問者さんがこのようなものをどの程度理解しておられるかは私には判断が付きません。仮にご存知なかったとしましても、まるで質問者さんはご自身の考察によってそれに近い域まで辿り着いているのではないかと思われるご発言がこれまでにもたくさんありました(このため、中々判断が付けづらかった)。だとしますならば、質問者さんの洞察力にはたいへん素晴らしいものがあると驚かされるしだいであります。
ですが、問題の性質上やはりこの先は、答えを出すということよりも、既存の科学理論も踏まえ、でき得る限り客観的な議論をすることの方が重要になると思います。とはいえそうなりますと、私の数少ないネタもここで出し尽くしてしまうということになりますが、もちろん、ここまできましたらその手間は惜しむものではありません。くどいようですが、もう一度お付き合い下さい。

>この場合、Aさんが右に進んだことについて「Aさんには選択権がなかった」あるいは「右に進んだのはAさんの意志ではない」「道の選択はBさんが行った」「Aさんが右に進むことは事前に決定していた」どの表現も間違いではないと思うんです。

いや、これは質問者さんの単なる見落としですよ。
その前に、AさんにはBさんの指示に従うかどうかの選択肢があります。Bさんの指示通りに右の道に進んだのであるならば、それはAさんがBさんの指示に従うことを自分で選択したということですよね。

>また、現在も「意志」を演算処理の結果としてのニュアンスを込めて用いることは一般的ではないと思うんです。
>その「対象」としての言葉の意味を変質させるのは正しくないんじゃないかと思えるんです。
>もともと物理や化学の世界で「意志」という言葉を用いることはあまりないと思います。
>そうであれば脳をただの物質として物理、化学的に論じるだけであれば「意志」という言葉は不要だと思うんです。

そうですね。仰る通りでした。
私もこれに関しては唐突な持論の押し付けであったと反省をしております。そして、それが単なる概念でしかないならば、このようなものを自然科学における客観的な解釈に用いるのは不適切です。
実は、個人的な興味から脳の勉強を始めまして、現在、私は行動選択の過程で発生する「意志」という現象は、一般に用いられる概念とはもう少し違った性質を持つのではないかと考えています。これが持論の押し付けになってしまったわけですね。

>そういう旧来的な(国語的な?)意味での「意志」を伴った「選択」には「選択の結果が事前に未決定」であることと、「そのものが主体的に選択する」ことが必要だと思うんです。
>むしろ「意志」の正体が演算処理の結果であったとなった場合、現在的な用法での「意志」という概念は否定されてしまうように思えるんです。

ご指摘の通り、私個人としては明らかに否定をしています。
先に述べました通り、我々の脳内に現象として発生する「意志」には、その「性質」というものがあります。何でもそうですが、まず構造や性質が明らかにされなければ、その「存在意義や理由」を知ることはできません。
意志というのは「行動選択の動機」であるというのは質問者さんにもご賛同頂けたというお返事を頂いています。では、これはどちらかといいますならば中枢系における末梢出力に対応するものですから、行動選択という制約を外し「選択の動機」とすることができます。そして、それは中枢系の反応特性という「選択性の存在」を前提とし、入力という「要因」によって成立するものです。
従いまして、それは「選択の要因」として発生するものであり、このように不必要な要素を全て取り除いたものが「意志」というものの本質的な性質ということになります。そして、これまでのように、ここに「人間が」「主体的に」「意識された」といった何が付加されましても、その本質に全く変わりはありません。

「エントロピーの法則」に従うだけであるならば、そこに選択枝はないと申し上げました。そして、意志の本質とは「選択性の存在を前提としたその要因」です。
生物を初め、この世の全ての自己組織化現象がエントロピーの減少に逆行するという選択枝を持っています。「エントロピーの必然的減少」というのが宇宙の大原則であるならば、滅びるはずのものが滅びない、絶滅するはずのものが絶滅しない、生まれるはずのないものが生まれてくる、ここに作用しているのは全てが「意志」です。
我々は良く、「自然界の意志」とか「宇宙の意志」といった言葉を使いますよね。このようなものは主体に人格というものがなく、結果は必然でしかありません。ですから、一般的な概念としては対応していないわけですが、では、単なる比喩的な表現かと言いますならばそうではありません。我々がそう感じるのは、このような現象には「意志」というものが持つ性質と同じものが間違いなく反映しているからです。

エントロピーに逆行し、散逸構造を持つ自己組織化現象には、必ず意志と同じ性質が現れます。
この内、生命現象の場合に限り、それは主体にとっての「生物学的価値判断」として働きます。しかしながら、その価値判断が生得的に定められた本能行動であるならば、それは個体の意志ではありません。ならば、生後学習によって獲得された反応特性による生物学的価値判断が自分の意志ということになります。もし更に、それが自覚された「人間の理性的な判断」でなければならないというのであるならば、私としては、これは生物学的論議として受け入れることはとてもできません。
従来の定義では、この何処までを意志と呼ぶかというあやふやな概念でしかありません。ですから、これでは意志というものの存在意義を客観的に導き出すということはできないわけです。

さて、生命現象に限っては、それが「生物学的価値判断」であるとするならば、意志というものの「生物学的意義」までは追い詰めたことになります。ならば、生物以外の現象に発生する意志と同様の選択とはいったい何のためにあるのでしょうか。更にここで折り返しをしますと、生物学的な意義までは良いのですが、そもそも生物がそれによって存続しなければならない理由とはいったい何でしょうか。どうして宇宙はエントロピーの法則に従って滅びてゆくのでしょう。そして、全ての散逸系は、いったい何のためにエントロピーに逆行して自己組織化しなければならないのでしょうか。
これをやってドツボにはまらないひとはいないと申し上げましたのは、このような理由からです。

>つまりは私が存在の有無を確認したかったのは「不確定要素」、例えば概念としての「意志」もそうですし、脳内・生命内に限らず、自然界のどこかに「完全な乱数計」的なものがあるとすればそれでもいいんですが、そういうものだと思います。

質問者さんの仰る通り、現在の科学では二つの理論によって「完全な不確定系」というものは必ず存在するとされています。ひとつは複雑系科学に類する「カオス理論」あり、もうひとつは量子力学における「ハイゼンベルクの不確定性原理」であります。
この二つは全く異なるものですが、共にそれぞれが、
「過去の現象を正確に逆算すること」
「未来の結果を正確に算出すること」
このようなことはできないと否定しています。
そして、

>だって自分ではその都度迷ったり、決断したりしているつもりでも、それは錯覚(大脳皮質の無自覚?)で、実際はあらかじめ脳内で回答は決まっているんですから。

実は、質問者さんがご心配なさっているこのようなことは、かつて科学の歴史の中で実際に起こったことなんです。
運動の法則を解明した「ニュートン力学」では、「XYZ座標」に時間や運動量などの初期値が決定されるならば、その法則に基づいて運動の結果が求められます。つまり、ニュートン力学というのは「未来の結果」を計算によって導き出すことができるわけです。
では、未来の結果が全て決定されているとしますならば、この世のあらゆる現象はただ時間と共に次々と出現するだけであり、我々が行う意思決定は何の意味も持たないことになります。そのため、17世紀に誕生したこのニュートン力学における「確定論」は、「ハイゼンベルクの不確定性原理」が提唱されるまでの間、我々の「自由意志」というものを250年間に渡って頑なに否定し続けることになります。

21世紀を迎えた現在でも、人工衛星の軌道計算にはニュートン力学が用いられています。ですが、分子・原子によって構成されるミクロの世界では「観測」という行為が成されることによって現象そのものが変化してしまいます。このため量子力学では、観測が行われ、結果が確定するまでは、それがどのような現象として現れるかは確率でしか求めることができないとされています。未来といいますのは、「発生し得るありとあらゆる可能性の集合」であり、現在に結果以外の可能性が全てゼロになるまではそれを確定することができません。この「不確定性原理」により、量子力学では「未来は未確定である」と結論付けられました。

「何でも計算できる神の計算機があれば宇宙の誕生を明らかにすることができる」と言ったのは、ニュートン力学の熱狂的な崇拝者であるフランスの数学者ラプラスというひとであります。
サイコロの落下には如何なる空気抵抗が加わり、それがテーブルの上でどちらに転がるか。更に、そのサイコロを振ったひとの手や身体がどのような生理状態でどんな力を与えたのか。このようなことが分子・原子のレベルで全て計算可能であるならば、サイコロの目は予測することができます。しかしながら、量子力学は分子・原子のレベルでそれを否定したことになります。
この世の全ての現象は無数の可能性から偶然によって選択されるものであり、未来は未確定です。これにより、ニュートン力学における「確定論」は20世紀(1927年)を以って崩壊し、我々の「自由意志」は晴れてその存在を許されることになりました。

複雑系科学ではこれとは少々異なり、現象の積み重ねによる「誤差の指数関数的増大」を不確定の要素としています。
有名なのは「パン生地の折り畳み」という思考実験ですが、やわらかいパン生地に食紅を垂らし、二回、三回と折り畳みながらそれをこねてゆきますと、精々十数回当たりで食紅はパン生地全体に分布してしまい、もはやここから初期の状態を逆算することはできません。
逆算することができないならば、初期状態から未来の結果を予測することもできないということになります。ところが、絶対に予測できないにも拘わらず、これによって発生する未来というのは、よほど違ったやり方をしない限り、どれもこれも「パン生地に食紅が混ざった状態」というみな同じ結果として現れることになります。
これは、繰り返される作業によって発生する「現象の軌跡」が、ある時点からみな同じところを通るようになるからです。このような周期を持つ現象の軌跡を「アトラクター」といいます。
誤差というのは必ず発生するわけですから、同じ軌道を通るということは絶対にあり得ません。ですが、同じ周期で繰り返されますので、時間が経てば、やがてそのアトラクターは特定の「フラクタル構造」を持つようになります。このアトラクターの性質が練り上がったパン生地の状態を決定しています。ですから、何度やっても同じものが出来上がるというわけですね。
台風というのは再現性のある現象ですし、波には「波の形」という約束事があります。無数に集まった空気や水の分子の営みには計り知れないほどの誤差が発生します。にも拘わらず、それは初期状態に端を発する指数関数的な増大を経て台風となり、波となりますが、それ以外のものになることはありません。これは、無数の因子によって構成される複雑系に形成されるアトラクターが「集団の性質」を決定しているからです。

1957年、ソビエトのスプートニクが人類初の人工衛星として軌道に乗ったときのことです。かのノーベル賞物理学者である湯川秀樹博士がこう仰ったそうです。
「これ以上のニュートン力学の証明はないね」
このとき、既にミクロの世界を扱う量子力学の分野では「ハイゼンベルクの不確定性原理」は発表されており、ニュートン力学における「確定論」は否定されています。ですが、やはりマクロの世界では人工衛星はニュートン力学で飛ぶのです。
我々の脳の最小単位である神経細胞も、更に突き詰めれば不確定性原理の適用されるミクロの世界の現象によって成り立っています。ですが、片や脳は無数の因子によって構成される複雑系であり、指数関数的な誤差の下に特定の反応を幾度でも再現します。そして、この性質はエントロピーの減少に逆行し、生命としての機能を司る役割も担っています。このため、そこで行われる情報処理の結果は必然的に生命活動の実現と適合することになります。そして、マクロの部分では様々なパターンの入力に対する論理的な演算処理によって具体的な結果が選択されています。
脳がコンピューターと違うのは、同じ反応を繰り返すことはできても、全く同じ結果を導き出すのは不可能であるということです。そして、人生が映画と違うのは、未来が未確定であるということですね。

私のネタもいよいよ尽きました。しばらく生理学や生物学の回答しかしていませんでしたので、こんなことを考えるのは久しぶりです。記憶がちょっと危ういので、もしかしたら間違った説明もあるかも知れません。

こんにちは。
ANo.5です。
長い回答をみんな読んで頂き、本当にありがとうございます。
さて、我々が行っているのは科学哲学に匹敵する究極の論議です。計らずもそのようになってしまいましたが、如何に出口の見えない究極の命題であれ、どっぷりとドツボにはまるにしましても、それが独り善がり、独善的なものであってはいけませんよね。私がこれまでに述べましたことには以下のような既存認識が背景としてあります。

「エントロピーの法則」
「散逸系」
「複雑系理論」
「不確定性原理」

どうし...続きを読む

Q自分の心臓を自分の意思で直接とめるには

自分の心臓を自分の意思で直接とめるには
常識的には 無理っぽい が、しかし、 
 素人には
生命機構が複雑すぎて、
 その理由と仕組みが見えてきません。
。。。
 安静の 状態で 念じるだけで
 ハートがハルト
 可能不可能いずれにしても
理由を 教えてください

Aベストアンサー

心臓には自律的に動くペースメーカーである洞房結節があること

体性神経系ではなく自律神経系の支配を受けていること

支配している中枢が延髄であること

の三点ですね


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