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自分のジェンダー(性別違和)の問題をきちんと理解いただける方を見つけ、先に進めるために、どこに、なんと相談すれば良いでしょうか。

私は社会人経験5年、男性の体をもって生まれ、男性として成長し、男性として生活していますが、心の奥底で自分の心の性別は女性ではないか、という思いがどうしてもぬぐえずにいます。

性別違和をはっきりと自覚するようになったのは小学校5~6年の頃でした。
それ以前もなんとなくですが、
・女の子らしい服装(スカートなど)にあこがれていた
・女性らしい長い髪の毛にあこがれていた、実際自分も男子にしてはやや長めの髪型だった
・ふるまいなどが女の子っぽく、同級生の中でも割と女の子扱いだった
・自分の体に男の部分がついているのでできれば取りたい、女のひとみたいにトイレがしたいと思っていた
・夢の中で男の部分が取れる夢をたびたび見ていた
などの出来事を記憶しています。

ただ、周囲の大人はそのことに気づかず、あくまでも自分は男の子として見られ、育てられていて、自分自身も「女の子っぽい部分もあるけれど、男に生まれた以上は男として成長していくんだ」と自分を納得させようとしていました。

しかし、ある程度年齢を重ねると、
・自分が男として区別されること
・男の集団に属することを強制させられること
・体が男性として育っていくこと
に強い違和感を抱くようになり、それが学校生活、日常生活の中において大きく支障をきたすようになりました。

・本来は同性である男子の暴力的な面、下品な面にどうしてもついていけなかった(実際不特定多数の男子から暴力的、精神的両方のいじめを受けていました)
・男子より女子といる方が心地よかったが、自分に理解のある女子もだんだんと、異性だから、と距離を置かれるようになっていった
・雑誌や本などで二次性徴のことを知り(特に小6~中学生あたりまで)、自分が男らしい体つきや声になっていくことを強く嫌悪し、生理や胸が膨らむ現象が起きないことがたまらなく嫌だった
ことを記憶しています。

こういうことを繰り返しているうちに、だれにも心を開けなくなり、気が付いたら学校でも家でも距離を置くようになり、これ以上傷つきたくないとの思いから集団をさけ一人で行動するようになりました。
中学・高校は体力差なく活動する文科系の部活で、集団ではなく個人で活動する機会が多い部活に所属していましたが、部員がほぼ女子だった事もあり、周りから変な目で見られ、男女両方から理不尽な嫌がらせを受けた経験も多々あります。

家を社会人になったらある程度気持ちは変わるだろうと思いましたが、5年間たった今でもその気持ちは変わらずにいます。
やはり男性の服装をすることや、集団の中で男性として属し、男性として生活することにどこか苦痛を感じています。
そして生活の中で「女性として生きたい」との思いから、
・体のムダ毛を剃ったり、脱毛器具を買って脱毛する
・女性向けの服を購入して家の中で着たり(外出はしない)
・お化粧道具を買ってお化粧を試す(外出はしない)
・女性向けのサプリを購入(ホルモンではないです)して女性らしい体型にあこがれる
などの行動に走ってしまいます。

現在、精神科と心療内科の2つを通院していますが、
・精神内科:発達障害(ADHD)の問題
・心療内科:家族からの虐待の問題
を中心に取り組んでいて、性別の問題はほとんど周囲の人に話せずにいます。

今まで仕事の転勤、主治医の方との相性などの問題もあり、学生時代を含めて十数か所、さまざまな機関に相談を持ち掛けたことがあります。
これまでの受診中でも、性別の問題については、ことあることに、さらっと話をしたことはあります。

しかしその中で感情を理解された経験はなく、
「それって男だけど、男が好きってことなの?」
「そんなことが問題にあるわけないでしょ」
「問題はもっと別のことにあるんじゃないの?」
などと、知識が乏しいのか優先的に取り組むべき事項じゃないのか、どこの機関においてもきちんとした反応、対応は得られませんでいた。
先ほど、通院中の2箇所についても、一度お話をしましたが、同じような反応でしたので、この先生には対応してもらえないだろうなと諦めています。

特に私の場合、幼少時代に出来のいい姉と比較され、姉はなんでもできる子で親から愛情を十分に注がれた反面、息子の私は親からささいなミスで注意され(のちに発達障害の問題で不得意な行動があり、それに由来するものであることを自覚しています。そしてそれを防ぐためのトレーニングを積んでいます)
時には大きな怒鳴り声で何時間も説教を受けたり、体を強く叩かれたりしていた経験があります。
また、ガンバって姉と同じ成績を残しても、姉が非常に落ち着いた校風のお嬢様学校へ進学支援したにも関わらず、私は受験も認めず地元の荒れた中学へいくことを余儀なくされ、そのほか人間関係のけあにおいても姉と差をつけられ、苦しい思いを受けた経験があります。

今まで受けたカウンセラーのなかには「そういった姉に対する羨ましさから、男性であることの嫌悪感を感じているのではないか」と指摘されたこともあります。
しかしカウンセリングを進めていくうちに、姉への羨ましさではなく、自分個人の問題であるとはっきりと分別しております。

また、一度ジェンダーに詳しいカウンセラーの方に相談を持ち掛けましたが、性別のことに関して十分な話し合いはできず、結局他のカウンセラーとほとんど変わらない「目の前の仕事に取り組むにはどうすればいいのか」みたいな話し合いに終始してしまった経験があります。

診察ではなく、趣味の場で理解者を見つけようと様々な場へ出かけましたが、そこでも理解ある人は見つけることはできませんでした。
あまり深くは話せないのですが、私は体型の問題で男性的な要素が強く、男性も女性もほとんどのたかが初対面で自分の体について触れてきます。羨ましいとか、自分もそんなふうになりたかったなとか、
もし私があなたみたいな体だったらこうゆう事するのに、、などと。
まわりは褒め言葉、話題作りのために言っていて悪気はないのかもしれませんが、男性の体にひどく嫌悪感を持つ私にとっては無理解な意見だなと感じてしまい、どうしても距離を縮めることができませんでした。
一度、そういう言葉をなんの悪気もなく話すことを指摘したこともありますが「なんでそう思うの?こっちは褒めているつもりなのに」「そんな風に考えるなんて卑屈なんだね」と反論されるのみで、理解された機会は一度もありません。

集団カウンセリングやトラウマに関する自助グループに行き、相談をもちかけたこともありますが、このての集まりは女性の方が圧倒的に割合として多いのか、私の考えを理解された経験はありませんでした。
「私は逆に女であるゆえに差別された、苦しめられた」とつらい経験を語られたうえで、「あなたのほうが私よりよっぽどまし」と非難をうけたり、時間の限り中身が女らしくない、男っぽいというアピールを延々と話しつづけて「男のあなたがうらやましいなー」などどいわれたことも何度もあります。

かといって男性限定でこの手のセッションをネット上で探しても、そのような場所はみつからず(男性専門の相談機関としてで関西のP、関東のRなどがありますが、いずれもこの手のセッションは開催していないとのことでした)。
一度ジェンダーの悩みをもつ集まりに出向き、先述の私の性別の悩みを持ち掛けたこともありますが、やはり前と同じように性別の問題ではなく、別の心のトラウマの問題ではないか、と理解を拒まれてしまいました。
あと、両親にはこのことは相談はしていませんし、できません。そういう女性的な一面があることはわかっていても男に生まれた以上、男して扱われていることをわかっていますし、幼少時代に女の子に興味をもったことに由来する行動、言動について、性犯罪者や、セクハラだなど叱りをうけ強く非難を受けた経験があるからです。もう60代半ばの人間ですから、そういったLGBTの問題が世の中のもんだいとして挙がっていること自体、話しても理解できないのではないかと考えています。

今後の人生を考えると、これ以上、自分の性別の問題について心にふたをしておくことは難しいのではないか、サードオピニオンとしてジェンダークリニックに通うか、それとも理解のある場をしないと、これ以上心がついていけないと感じています。
しかし過去にそのような場所に行って、自分の気持ちを誰とも共有できなかったという思いもあり、また傷ついてしまうのではないか、という不安もあります(この質問を投稿すること自体、きちんと理解されないのではないか、と不安なところではあります)

初めにも述べましたが、自分のセクシャリティの問題を前に進めるために、どこに行き、なんと相談すれば良いでしょうか。

最終的には、ガイドラインに従って女性として生きられるよう、身体的な治療を受け、戸籍の性別を
恋愛対象については、今まで人とのかかわりを避ける機会が多かったので、男性か女性かはわかりません。
ただ、自分が男性の体のままでだれかと恋愛し、プロポーズして結婚して裸で抱き合うというのはどうしても考えられず、恋愛するなら女性として誰かとしてみたい、と考えています。
また現代の日本社会はどうしても私の体、価値観ではなじめない部分もあるので、将来的には海外に移住し、そこで一生をすごしたいと考えています。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    ご回答の程ありがとうございます。ご指摘のとおり、心の中の思想、感情というものは、結局は相手がどう理解するかであり、本人理解されたいと思っても相手から理解されるものではないと分かっています。
    受診する病院を何回入れ替えたのも、カウンセリングを始めて間もない頃は、その事に気づかなかったからです。今はなるべく変えないで、同じカウンセラーと向き合って話すようにしています。後付けと言われたらそれまでかもしれませんが。

    その上で、あえて一言だけ、気持ちを吐かせて下さい(回答者様の批判ではなく、私の独り言のつもりですが、批判と感じましたらごめんなさい)。
    自分と向き合う事はご指摘の通り凄まじい孤独感、寂しさで辛いものであり、途中でもどうしても耐えられなくなったり、誰かに分かって欲しくて仕方なくなる場面もあります。
    それに対する配慮の言葉もなく、私の気持ちを真っ向から否定された事は残念に感じました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/26 19:53
  • 早速のご回答ありがとうございます。
    恐らく回答者様はこれまでの人生の中で、世の中には(ややこしい表現ですが)理解されない事が理解されず、それすら理解されない事があるのを学び、それ以外の相手や世界に関心を向けることを人生の原則とされているのでしょう。
    そして私の文章から自身との共通項を見つけ、自身の経験を元に相手への理解に対する執着(と私の文から解釈された)から離れ、自らを客観的に見ることを私に求めているのかと思います。
    その考えは一つの意見として理解できますし、全て否定するわけでもありません。
    ただ、申し訳ありませんが、一方で回答者様の考えの全てを受け入れる事は、望んでいるか知りませんが現時点ではできません。
    私自身のこれからの人生で様々な立場の意見を集め、回答者様の意見の中に私の住む世界の正解が何割あり、私の心の中の節穴が何割あるか確かめなければならないと考えています。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/26 23:12

A 回答 (6件)

回答にならないかもしれませんが、私は質問者様がこれから生きようとしている世界に賛成です。


私自身が、今現在、自分のセクシャリティに対して正直に生きていないことに、後悔や虚しさを感じています。
でも、一度しかない人生を自分らしく生きて何が悪いんだろうとも思います。
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すみません、個人的なことを言いすぎました。


私の言い方で誤解されたかもしれないですが、
「理解」と「共感」の意味と違いを考えてみてくださると良いのかもしれないですね。
私は、自分との向き合いに、カウンセリングを学び心理療法も体験しつつカウンセラ
ーの資格も一応取り、一時は相談員もしていました。
自分自身が変化したい人には適していると思います。
私の個人的な苦悩について、理解しているいないに関係なくても信頼がおける方
2人に出会って十数年間、交流が続いています。
二人共カウンセラーです。
自分を信じて、自分との向き合いに付き合ってくれる人との関係の時間を
大切にしてみることをおすすめしたいです。
相性もあると思いますので、継続しながら、新しい出会いを通して関わり合いを模索されてください。
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>自分と向き合う事はご指摘の通り凄まじい孤独感、寂しさで辛いものであり、途中でもどうしても耐えられなくなったり、誰かに分かって欲しくて仕方なくなる場面もあります。


>それに対する配慮の言葉もなく、私の気持ちを真っ向から否定された事は残念に感じました。

否定されたと捉えたのですね。
私は応援したくて、参考になればと思ったのですが・・・・

他人と会話をしたときに、
特にあなたの場合は、理解されない、
わかってくれない、否定されたと、感じたとき、
あなた自身が自分の感じ方に対して、
自分の感じ方はどこかおかしいのだろうかと疑問を抱けないというのが
あなたの問題なのではないかと思いました。

「配慮の言葉もなく」と違和感なく当たり前に思われているとしたら、
家族や友達ならまだしも、私は、世の中には思いやりもあるけれど、
あらかじめ他人に期待しているとしたら依存ですが、
私は、そんなに社会は甘くはないと理解するせいか、
私の苦悩を他人に理解できるものだとも思わないし、
理解してもらいたいとも思いません。
私の苦悩を言葉にして話したいとも、話して楽になるとも思わないです。
私の苦悩は私ゆえの存在証明だと思います。
分かってたまるかと思っている節もあります。
苦悩は苦悩としてこころに於き、取り出すのは一人のとき。
必死で向き合いもがきましたので、それ以外の時間は病んでいたくないです。


理解を期待するなんておこがましいというか。
共感してもらいたいときは、
然るべき自己開示ができる場のみ。
こちらの自己開示を聴く体勢にある相手との場のみです。
しかし、そのような場でも、いつも共感が起こるとは思っていません。
良い悪いという聴く人の価値観だってあるし、
こころは伝わる部分はあるけれど他人のこころは「よくわからないもの」
ということを学び、肝に銘じながら、理解しました。
このような相談のサイトでさえ、色々な考え方の回答を覚悟しています。

>それに対する配慮の言葉もなく、私の気持ちを真っ向から否定された事は残念に感じました。
真っ向から否定された、と言われるので思うことは、

あなたが否定や無理解をいつも感じるとしたら、
相手が無理解と、決めつけてしまうところが、
実は、自己否定をしているのと、理解されないという一点に固執しているせいで、
人と向き合って自分を語るとき、語った後も、フィードバックすることや気づきが起こらない。
自分を理解できないままで向き合っている相手の言葉を理解することが難しいの
ではないかと思われます。
相手に感じる否定や無理解は自分にフィードバックする必要があると
かつて指摘されたことはありませんでしょうか。
自分に返すことができないとなると自分の殻の中で堂々巡りになり
被害妄想的な思い込みが強くあって、統合がうまくいっていないのかなと思うのです。
長年の環境のせいで、自分の特徴と傾向に気づきができない
パーソナリティの障害があるのかもしれないと思います。
そのようなことを言われてきて、理解されないと思われる繰り返しなのではないでしょうか。


相談をするという関わり合いですが、
あなたと相手の関係が、あらかじめ相談する側と聴く側という立場であっても
あなたも相手の人を理解しようと努力されると、それこそ「理解」されることより
大切であろう「信頼」が深まるはずだと思うのです。



>自分と向き合う事はご指摘の通り凄まじい孤独感、寂しさで辛いものであり、途中でもどうしても耐えられなくなったり、誰かに分かって欲しくて仕方なくなる場面もあります。

他人に期待があるのが羨ましいです。
私は理解されたいという期待がないです。
でも、孤独を受け入れた分、自分のこころの自由を得ました。
辛さや分かってほしかったんだとわかったおかげで開けた世界もあると思います。
辛さのおかげて得た新しい世界がありますし愛おしいものにもなりました。
この回答への補足あり
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すみません、思ったことを率直に言わせて頂きます。


失礼な言い方になるかもしれませんが、
傷つけるようなつもりはなくて、
悪い意味に受け取らないで欲しいのですが。

質問者さんは意識できているでしょうか。
誰かに「私の内面」を理解して欲しいのだと思います。
そしてもしかしたら、理解できる人がいると思っているのでは?

たぶん、お若くて、純粋だからかもしれません。
人が他人の話しを理解するとき、
どんなことが起こっているかというと、
その人は「自分を通して」相手の話しを理解しているのであって、
話す人の世界ではなくて、その人の世界を通した自分の理解なのです。
その価値感に多様性がある人は人の話しを決めつけることが
少ないです。
理解とはそのくらいのものですよ。

人の話しを聴くことを専門職にしている人に相談されても
相談者のこころ構えの方に固持した考えや決めつけがあると、
「こうあるべき」「こうして欲しい」が強すぎて、
相手の言葉の意味を受け取れはしないのですが、
当人は、自分のあり方に気づかず、この人とは合わない
この場は合わない、理解されない、という感じ方になります。
ドクターショッピングを繰り返す人は、
自分に気づきにくく、相手に対して異を感じる傾向があります。
それが自分を超えていく壁になっていることを理解し、
忍耐されて、自分の感じ方、思うがままには歪みがあることを
受け入れようとするならば、多様な視点を持って自分と相手を
見る時間を自分に課すなら、新しい自分を入手できるかもしれないと
アドバイスをしたいです。
アスリートは身体を使ってそのような練習をしています。

人の内面は混沌として複雑怪奇なものです。
自分の意識に昇るもの、すなわち、私の思い。
それが昇華され言葉になります。
この質問でも吐露している「私の思い」の部分ですね。
繰り返しますが、あなたが居た場所で時間を共有した人も
それぞれ、自分の理解があり、誰もが一致などしていないの
です。
理解を確認し合う作業がコミュニケーションです。
関わり合いを重ねるとどのような現象が自分自身に起こるかを
やる以前の段階か、もしくはやっても響かない。
それで失望する繰り返しになっていないでしょうか。

自分を言葉にしようとすると伝えきれない、もどかしさを
どの言葉でも言い表せはしないようなものを感じることはない
ですか。
理解されることも今のあなたには大切かと思いますが、
人間とは、自分とは、にシフトチェンジする方が
理解の幅や奥行きを増やす方に成長できる気がします・・・・

カウンセリングや相談は、理解される為にするものではなくて
目の前の人と私の関係から、自分に気づき、その気づきを課題にして、
自分の居場所で課題を練習しながら、こうすればこうなる的な感覚を得て
固定化した自分を捨てたり、前に進めていく作業なのです。
その過程に意味があり、地道で孤独で辛くもありますが、
自分の居場所だと思える頃にはもう超えている。
そういう機能がある生物なのです。
留まって同じところをぐるぐるしている自分に
気づいて意識とやり方を変えるのです。
この回答への補足あり
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LGBTとして過ごすには、時がたた

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LGBTの支援をしているNPO団体があるようですので、そこに理解のある医者を紹介してもらってはどうでしょうか?



色々な情報を持っていると思いますので
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