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穏やかな性格になるには


他の人が些細なことだと思うようなことにイラつく、何かとムッとしてしまう こういった性格を穏やかにするにはどうしたらよいのでしょうか。

穏やかな友人に「こういうことでイラついた」という話しをしてもあまり共感は得られない上に怒りっぽいのではないかと言われ、その友人の性格は私も好きで、友人のように穏やかになりたいと何度も思いました。

当たり前の事ですが、負の感情が起きてもそれを他人にぶつけることはあまり無いです。外に出さないようにしますが、疲れますし怒りっぽくて良いことなど何もないので直したいです。

しかし、感情なので何かあると反射的にムッとしたりイラッとしてしまいます。

友人とは育ちの違いでしょうか?
どうしたら穏やかになれるのでしょうか。

A 回答 (4件)

考えることを他に作らないと上手く行きません。



イラッとする、ムッとすると言うのはスイッチみたいなもので、

誰にでもあります。

その後に考えることに癖がついているわけです。

これを変える事で対処が終わります。

単なる習慣で対応していくんです。


答えを言いますと、

「全体(自分を含め周囲、所属組織など)に危険や損が生じていないか?」

をチェックするように習慣づけます。

その場その場で、全体の意味を変えます。

いまそこにいる人達をさすとしましょう。

現実に存在しない、概念としての皆ではだめです。

カフェで友達と話をしていたら、カフェにいる人や建物全てを指します。

これらについて心配をし続けると言う事です。


そして、

「みんなが安全であれば、他はどうでも良い。それが自分の主義なんだ。」

と心の中で自分に言い聞かせつつ行います。


友達と二人で話しているときも、その内容などどうでも良いとし、

二人の周囲に何らかの物理的な危険がないか?

例えば、人にぶつからないだろうか? 車はきていないだろうか?

等を考えて、会話の中身については筋を追う程度にします。


何か会議で議論をしていても、会議場所の安全と健康のみを考えて過ごします。

暑すぎないか? 寒すぎないか?

あの人は疲れていないか? 病気なのに我慢していないか?

ここで注意しないといけないのは、

相手の気持ちについて思いやるのではなく、

相手の安全と健康、そこにいる立場についてだけ思いやることです。


日常で自分の周囲、関係するもの(全体の概念を含むもの)がいつも通りであって、

安全に過ごせたかを振り返ります。

危険が特になかった場合は自分を誉めるようにします。

「もし、危険な兆候があったら、私だけが気付いていただろう。

 多分、いつも通りの私が、いつも通り、小さい危険を排除してきたから。

 だから、これは私のお陰としていいんだ。」

と考えます。

実際は違うかも知れませんが、外に向けてその様に話さなければ良いでしょう。

これは心の調整の問題だからです。


また、実際にやる(行動する)ことはそんなに無いのですが、

気を配りだすと、細かい不具合(誰もが見過ごす、または無視する)ものが沢山

あるのが分ります。

それらをそっと修正するだけで、いつもと違う流れになります。

こういう事をチョコチョコとやっている状態がとても正常なんです。

また、これが本質的に全体をコントロールする、制御するという行為に当たります。


例えば、学校や会社、自分達が使う共同施設に、ごみが床に落ちていたとします。

「誰が落としたんだ。ルールも守れないやつが多いよな。」

と反射的に考える人は、そこでエンドです。

「広い床にポツンとごみが落ちていると目立つよなあ。

 お客さんとかも気にするだろう。

 全体の評判が落ちてしまう。

 『あそこにいる人達は、ゴミすら拾わない集団だよ。』

 とかね。面倒だけど、拾って捨てておくか。」

とやります。

まさかと思うかもしれませんが、

習慣によりそれ以外の思考ができなくなります。

「ええっと、むかっときたぞ、こういうときは、

 全体、・・・危険、損得・・・だっけ?

 この場合はどうなの?」

と言う言葉には出来ない感覚が走ります。

すると、

「はいはい。待ってました。いつもご贔屓に。

 そうですね、この場合は、こういう風に解釈しております。」

と言う具合に、今まで思いもしなかった発想が浮かんでくるんです。

半年もするとできるようになりますが、

これが自然に出来たときは、自分に驚きますよ。

体調が悪くなったり、疲れていたりすると、

無意識に周囲の人の安全を図っていたり、きづかっていたりします。

この段階では、腹が立つというより、心配をするというのが楽に成っているわけです。


そして、

誰もが気付かないけど、未来が変わったわけです。

こちらが見えてくると、面白いと感じるようになります。

そこから論理性や合理性、俯瞰などの人間特有の能力が伸びていくことになります。

小さい労力でより大きな成果を得たいと考え、それを面白いと感じてしまうからです。

この興味対して、脳が答えていき、頭が良くなっていくという事です。


同じ事をこっそりしている人は沢山います。

ときどき、同じ事を考えているのがわかるでしょう。

このときに、

「ああ、私だけじゃなかったんだ。

 意識をこちらに集中している人とそうでない人。

 その二種類しかいないんだ。」

とわかります。


では逆に、

これまで述べてきたような訓練、習慣をつくらなかったらどうなるでしょう?



心と言っても、脳が担っています。

人には動物にもある小さい脳と人間特有の大きな脳、大脳があります。

どちらが活発に動いているか(血液が満たされて活性化している)で、

その振る舞いに特徴が出てきてしまいます。


例えば、誰かを挑発したり、馬鹿にしたくなる事があったとします。

これは、何となくサルに似ていますよね。

つまり、そちら(動物)の脳が常に活発に成っていると言う事でしょう。

これ(挑発)が出来ていしまうと言う事は、脳が健康な状態に維持されていません。

他にも血液が偏ってしまうことで、色んな特徴が出てきてしまいます。

人間であっても、生物コンピューターに従う機械みたいなものです。

脳の中のソフトウェアに従って機械的に思考し、行動しているんですね。


それらが分ってくる前は、

色んな動物に例え、その後の人生の顛末を示唆し、戒めていたようです。

単に道徳的に良くないということではなく、命の危険とも捉えられます。

逆に言うならば、今流行のメンタル疾患や発達障害を防止するために作られたのが

宗教であったり、道徳であったと言う事です。


うつ病が大流行していまして(自殺者が増加し問題に担っている)、

脳の状態をサーモスタットで撮影するという診断もあるようです。

血液が満たされていれば、温度が高くなります。

逆にそうでなければ、温度が低くなります。

どこが活発であるかが分かると言う事ですね。

メンタルに異常があるひとは、脳全体が青く(温度が低く)写るそうです。

そこの脳細胞たちは常に飢えており、冬眠しているようなものでしょう。

しかし、本当は大変危ないのですから、

小さなサインを見逃さず真剣に捉えないといけません。


全体を考えて心配し、道徳的な習慣を作るというのは、脳の消耗を防ぐ最低限の安全策です。

これが出来ない状態、

例えば、

「落ちているゴミを拾うのが面倒だと思って通り過ぎた。」

となったら、何らかの異常が脳に生じています。

自分に自信がなく、独力で何かをする気力がないはずです。

健康な状態ですと、それ(見過ごすことが)が出来ないんです。

このまま放置すれば、最後は人生の軌道が変わってしまいます。

その頃には、ある程度の年齢になっており、周囲には充分に生きたと思われます。


子供の頃に思いませんでしたか?

「だれもが幸せに成りたいのに、

 どうして、見たくもない、成りたくもない、汚い大人が沢山いるの?」

その答えは、

「徐々にそうなったんだよ。」

となります。


原因はそれほど大変なことじゃありません。

脳を健全に保つ習慣を作らなかったというだけです。


人間の作りは昔から変わりませんから、昔から問題があったと思います。

宗教が発達したのは、こうした問題への対応でしょう。

個人として出来ること。そういった、防止策を教えています。

たまに従う(たまに良いことをする)程度では、効果がありません。

病気が悪化しているのに、たまに薬を飲んだ、程度の効果でしょう。

すべてにおいて全体の危険や損得を考えることが、健康を損なわないコツなんですが、

たまに自分の事だけを考えて立場を主張することがあります。

これはたまに薬を飲み忘れたくらいのダメージになります。

一日に一回くらいの頻度ですと、相当なダメージになります。

せめて一年に一回くらいに押さえ込まないといけません。


全体の安全を図ったり、全体の損得を考えて心配したりすることを思いやりと言います。

これを実施するには大変なパワーが必要です。

脳全体に血液が足りていないと出来ません。

やろうとして激しい抵抗が頭に生じたり、怒りが生じたりした場合は、

大脳へ血液が正しく送り込まれなくなっており、脳の不健全な状態を表しています。

送り込もうとした血液が行き止まり、動物の脳にたまってしまい、上に行かない。

上に送り込むコツをつかめていないとなります。

そのため怒りを担う脳が充血した状態になり、理由もなく腹が立つわけです。

そちら(怒る)が活発になる道筋を普段から作ってしまってせいです。


「頭を使おうとすると怒りが生じる。」

その様に自分の脳を作り変えてしまったんです。

仏教では怒る行為を毒として例えています。

(三大煩悩、三毒の一つ)

脳が健康な状態ですと、怒ると言う行為が出来なくなります。

出来てしまったら、何かしらの健康問題が自分にあるというくらい怖いんですよ。


まだお若いのならば、いまのうちに対策しておきましょう。

半年で変わるんですから、何時やっても良いのですが。

そこまで深刻な話だと知らず、、一生やらない人が多いのも現実です。

以上、ご参考になれば。
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それがわかれば世界から戦争が無くなるくらい無理な話ではあるのですが


ある程度イライラを抑える方法は実際にありますね

体と脳に充分な栄養を
体が栄養で充分満たされていれば頭も沸騰しにくいのは良く知られる話ですね
栄養満点の肉をもりもり食べる欧米人は心が穏やかな人が多いです

食をとらずに野菜ダイエットや酒タバコで脳を紛らわせている場合は
ちょっとしたはずみてブチギレル傾向がありますね
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まずは自分自身を振り返ってみてください。


自分自身は100%の完璧な人ですか?
まずこの世には100%の人間は存在しないかと
思います。
なので、そんなに人に期待せずに、人間なんて不完全な
ものだと思ってください。
誰しも育った環境や違った家族の下で育ってますから、価値観や
考え方は異なります。
それを受け入れ理解することで、きっと多少相手を許し、寛容に
なれるかと思います。
それができれば、きっと心穏やかになるかと思います。
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イライラして人に八つ当たりして、誰が得ですか?

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