
古典文学を読んでいて、ある文章について悩んでいます。
助動詞の「たらむ」なのですが、一般的によく見られるのは、<完了の助動詞たり>に<推量の助動詞む>で「~しているだろう、~したのでしょう」という口語訳だと思います。
しかし「む」を<仮定>とする訳し方もあるようで、その場合訳し方としては「~したとしたら、~したかもしれない○○(後に体言に付く場合)」で良いのですよね?
また、推量と仮定が識別できる何か分かりやすい方法が有りますでしょうか。
古文の文法について詳しい方、どうぞ教えて下さい。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
枕草子に「思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ」という文がありますが、これなどは、「~子がいたとして、法師にしたとしたら」という「仮定/仮想」ですね。
(用語は人により違うでしょう)。この用法は、「む」の連体形に限るとされていますので、おっしゃるように、後ろに体言がつく、もしくは体言を受ける助詞があるときには、仮定を考えられるでしょう。
逆に連体形以外なら仮定にはならないはずですが…
kankororin様、御回答有り難うございました。「思はむ子を・・」の一文は、婉曲・仮定の例題として多用されますね。ところで<体言に付く>すなわち<婉曲>とは聞いたことがあるのですが<仮定>の場合も同様なのでしょうか・・・?
No.4
- 回答日時:
#3です。
遅くなりました。質問の答えですが、準体言化ではありません。
識別を分かりやすくとのことでしたので、かのように回答させていただきました。
連体形の後の体言は隠れていることが多いです。
No.2
- 回答日時:
#1です。
「仮定」というにせよ「婉曲」にせよ、現実をそのまま表現するのではないという事態になんと言うタームを当てはめるのではないかという気がします。
「竹取物語」の「たつのくびに五色にひかる玉あむなり。それもてたてまつりたらむ人には、ねがはむ事をかなえむ」の「たらむ人/ねがはむ事」の場合には、将来の、できるかできないか分からない事ですから、「仮定」とでも言うほうがいいような気がしますね。
「婉曲」という意義の定義が適切かどうかには、下記のような論考もありました。ご参考まで。
なお、「体言につく」ではなく、「連体形」にこの用法がみられるというほうがいいと思います。
参考URL:http://www2.famille.ne.jp/~sai-hsj/taikai/ha021m …
再びの御回答、ありがとうございました。「婉曲」も「仮定」も、実際行われるかどうか分からない不確定な事象を表していると言うことですね。教えて下さった論文、大変興味深く読みました。
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