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祖父はだいぶ前に亡くなり、一緒に行っていた祖母は痴呆症のためもうわかりません。

戦時中、祖父は新天地での生活を夢みて、地元を捨て祖母と一緒に中国へ行きました。
そこでは「日本人村」のような集落で暮らし、お手伝いさんは中国人だったので、祖父は多少中国語を話したそうです。(中国人は日本語を話すようでしたが)

町は中国北東部ではなく、内陸の方のまあまあ大きい町で、祖父はその場所のことを中国語読みだか日本語読みだかわかりませんが、「ユージ」だか「ユージン」だとか言ってました。

この祖父が暮らしていた場所が分かる方、もしくは歴史的にこのような事実はあったのかお分かりの方がいらっしゃったらお教え下さい。

A 回答 (2件)

第二次大戦中日本人がある程度集まった中国の地域に山西省の楡次(ユジ)があったそうです。


当時「楡次神社」さえあったそうですからかなりの日本人がいたのだろうと思います。
いま急には出せないのですが、前にネット上で楡次の載った山西省地図を見たこともあります。
また以下のサイトの伊藤桂一さんの『雲と植物の世界』の第二章にも「楡次」は登場します。

参考URL:http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/itou …
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この回答へのお礼

そうです!たぶん楡次です!
以前、祖母宛にそこの村でお世話になった方から葉書が来て「楡次での暮らしは・・・」と書いてあったような気がします!
楡次には日本人がいたんですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/22 13:21

遼寧省のフーシン市ではないでしょうか。


厳密にいえばここも中国東北部満州といわれた地域の一部ですが、最も玄関口のほうに位置するため、おじい様の認識では東北部ではないという認識だったのだと思われます。

当時の日本人が入ったのは、満州あたりがやはり多く、上海や青島にも多くの日本人がいましたが、いずれも海岸部の町。
フーシンは東北部でないという認識をされたのもなんとなくわかる立地でかつそこそこ大都市で、内陸の都市で、そして当時日本人入っていたであろう都市ですので。
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この回答へのお礼

漢字で書くと「阜新」でしょうか??
確かに内陸といっても、満州といわれた所だったのかもしれません。。。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/21 00:47

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