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先日も同じような質問を書き込んだのですが、その時より症状が悪化しているので、もう一度自分なりに文章をまとめて書き込ませて頂きます

私は今、嫌なことを考え込んでは気分が落ち込むという無限ループに陥っています

気持ちが塞ぎ込んでいるから考え込むのか、考え込むのから気持ちが沈むのかわからないのですが、とにかく心が重く、ざわついてしんどいのです

私は一般的に見てかなり幸せな環境にいると思います
両親兄弟大家族に囲まれ賑やかで、経済的にもある程度余裕があり自分も定職についています。人間関係も特に問題なく、悩みといえば今の職業が長く続けられる職種ではないという事くらいです。
現状特に大きな不満もストレスもなく、むしろ自分は罰当たりなくらい幸せな境遇にいると思います。 でも、だからこそそれを失ってしまったらと考えてしまいます。
今突然家族の誰かが事故にでもあって死んでしまったらどうしよう、あるいは自分がそうなってしまったら?
事故ではなくても時間が過ぎれば必ず別れはやってきます。
私はその時を考えるのが恐ろしいです。
その時自分はその悲しみに耐えられるのか、現実を受け入れられるのか、全く想像もできません。

最近ではその想像が発展して「死」そのものについてもよく考えます。思い出や感情を含めた自分の意識そのものが完全に無くなるということを想像するともう怖くて仕方がないです。「死」が本当に恐ろしいのです。

考えてもどうしようもない事と自分でも思いますし、本当に苦労されてる方からしたら馬鹿みたいな悩みだと思います。
考えても仕方のない事だと分かっているので考えないようにしようとも思います。でもそうすると今度は問題から逃げている様な罪悪感に駆られます。今向き合うべき事に目を逸らしているのではないか、このまま先延ばしにしていざその時が来てもっと後悔するんじゃないかとまた別の恐怖が襲ってきます。
どうしようもないことと分かってるからこそ出口が見えなくてどうしたらいいのか分からないのです

こんな事ばかり考えて、日常生活に支障が出るくらい今精神的に参っています。 どのように対処すればよいでしょうか?

悩み自体を解決した方がいいのか(といってもこんな悩み、出家して悟りを開くくらいしか解決法が思い当たりません)、もしくはホルモンバランスや神経など身体的な側面から精神の安定を図った方がいいのか
何でもいいのでアドバイスが欲しいです

心を落ち着ける食べ物だとか、習慣、考え方、お勧めの本などでもいいです。 とにかくいろいろな方の意見が聞きたいです
よろしくお願いします

A 回答 (8件)

私も死が恐ろしくたまに1人でお風呂なんかでやだやだやだ!と発狂しております(笑)周りの人の死に関してはあまり考えたことがないのですが、自分の死に関しては、逆に自分が生き続けたらのことを考えます。

そうすると今自分の愛する人、自分のことを知っている人はゆくゆく居なくなるわけです。生きているのに、まるで存在事態が無いような状況、それこそ恐ろしくないですか?終わりがあるから、今が幸せだと感じれます。限られた時間だから幸せになろうと努力します。私はそう考えて気持ちを落ち着かせています。昔の偉人達も死を恐ろしむ記録を色々と残しておりますので、興味があれば調べてみてはいかがでしょうか(^^)きっと何かヒントになると思います。
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それはあなたがまだ若いからです。



年齢が増すに連れ、死というものは身近になる。
それは死というものが「現実味」を帯びてくるからで、若い時には想像が過多なので、それに引っ張られているからです。

しかし人によっては、年齢が上がるに連れ、より死を意識する人がいます。
そういう方は、年齢相応に生きてこなかった、ということです。
私はまだ若い、死んでしまったら今までの自分はどうなるんだ、やり残したことがたくさんあるのに、ということです。
これは「煩」…煩悩の煩、ですね。
心を焼く火です。

誰でもがいつかは死にます。
ここで一度書いてますけど、人生というのは「絞られる弓」のようなものです。
弓の弦をギリギリと引きながら、人は生きているのです。
生きていくことは、放たれる弓の瞬間に向かってのカウントダウンであり、生きることというのは即ち「生」というエネルギーを費やしながら弦を引くこと…つまり「死への準備」というものを、我々は生まれてからすぐに始めていると言えます。

人は死ぬために生きるのです。
だからこそ、人生は楽しく生きたいし、その時間を十分に意識していたいと思います。
人生が有限であることに気付くなら、人は間違った方向には早々進みはしません。
間違った方向に進んでいくのは、死という絶対の現実を無視したり、見誤ったり、横目をそらしてしまう人です。
「いつまでも若く、元気で」というのは、一見楽しく前向きに見えますけど、よくよく考えれば「老い」への否定でもあります。
目を現実から逸していくことでもあります。
スポーツマンが突然「鬱」に襲われたりするのも、そういった考え方の上ということもあると思っています。

誰でもが公平であり、誰にでも差別ないのが「死」という現実です。
怖がることなんかありません。
周りの人が消えいくのは、当然の帰結です。
それが生まれた時に定められた、自然の摂理です。

一人だけで生きるのが辛ければ、そばで共に生きていける人を見つけること。
こればかりは、誰しもが手伝ってあげることの叶わない、あなた自身が解決するしかない問題です。
死への恐怖に囚われること無く、有限でしかない人生の中で、あなたがどう生き抜いていけるのか。
人は、ただ生きるということが難しい生き物です…だからこそ、考え、行動をしていかなければいけません。
生きることって、あたり前のことじゃ無いんです。
そこを根っこから自覚していくようにして下さい。
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このような格言があります。


<あなたは苦難の日に自分が失望していることを
明らかにしたか。あなたの力は乏しくなる。>
この格言を逆に考えると、希望をうしなっていな
ければ、力は乏しくならないことになります!
将来には次のような希望があります。
<また神は彼らの目からすべての涙を拭い去って
くださり、もはや死はなく、嘆きも叫びも苦痛も
もはやない。以前のものは過ぎ去ったのである。>
これらの言葉は、聖書の中におさめられています。
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私も時々死や宇宙や時間のことを考えて恐ろしくなったりするので共感します。


ただ、ひとしきり恐ろしくなった後ゲームやアニメに夢中になると、怖ろしさもいつの間にか忘れているので不思議です。
実際事故や病気の経験から想像すると、恐怖など感じる間もなく死ぬ気がするので、きっと全くの杞憂なのだろうと思います。

一方で死を考えるのは自分が深まる感じが若干するのも事実です。まあ、厨ニの頃の話ですが。今はただの無駄な時間だと思います。
それでも時々は考えるのですが。

亡くなった親戚はいませんか?人は意外と丈夫ですが意外とよく死にます。私はきょうだいが生きてるうちにきょうだいで遊んでおこうと日ごろから意識しています。
変な宗教や自己啓発本、健康食品にハマり出すと死よりも残念な形で家族や自分と別離が来ると思います(笑)
その無駄な時間できょうだいにムダなちょっかいをかけてる方が楽しい時間が過ごせます。
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死から逃れる方法を手に入れたいが消えてしまうことは分かっている。

消えて無くなるというのは実感が掴めない。これを悩みます。はたして、済んでから判明することの、どこまでを理解できるというのでしょうか。
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こんな歌もあります。



右側で歌われている加藤和彦さんは2009年自殺されました。
そして改めてもう一度、同じ曲をもう一度。
https://www.youtube.com/watch?v=AeOaGygadZY&list …
曲後の きたやまおさむ さんの言葉を聞いてください。

また、映画「おくりびと」の原作者であり、自らも納棺師であった青木新門さんの著書「いのちのバトンタッチ」「いのちの旅」とかも読まれるといいのかもしれません。他にもAmazonで、同氏の著書が何冊かありますので、ご参考まで。
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死後の世界はあるよ。

肉体は滅んでも、今の魂や心、感情だけがそのままあの世へ行く。そこで家族や友達と再会する(地獄へ行かなければ)。
とまあ、超越したことを書くとキチガイに思われるかもしれないが、霊能力者の中にはあの世を透視できた人も歴史上いる、らしい。スウェーデンボルグ、だったかなあ。
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私も若い頃はそうでした。


死ぬのが怖いと思うのは、みんなが通る道だと存じます。
そして年を重ねるうちに、いつしか考えなくなります。
それは自分に守るべき相手ができたからではないかと考えています。
死ぬのが怖いと思っている時は、自分のことしか考えていないのです。
意識を自分から他人に移すと、死を意識することが減りますし、死への恐怖心が無くなります。
大切な人の幸せを願ったり、喜ぶ顔を想像したり、自分にできることを考えてみたり。
是非あなたもやってみてください。
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