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単純に男女の友情有り派と無し派で分けて考えた場合、

男女の友情有り派で自分の恋人が異性の友達の家に泊まりに行っても
「友達同士だから特に問題ない。友達でも男女だからって一晩一緒に過ごして何か起こるわけでもない」
という人はいいのですが

「いくら友達といっても恋人がいるのに異性の友達の家に泊まりに行くのはマナー違反。友達同士でも一晩過ごせば何があるかわからないし」

というような人は男女の友情無し派の人がよく力説する

「そりゃ、友達同士でも男女の間であれば異性を意識するのは当然。そういう意味で男女の純粋な友情はない」
という考えと同じですよね?

結局、自分じゃなく親愛なら恋人の男女の友情にさえ疑問をもつ男女の友情有り派って矛盾していると思いませんか?

質問者からの補足コメント

  • コメントありがとうございます。


    Aさんは恋人Bを信用しているがともかく友人Cのほうは信用していないのなら「何かある可能性」を捨てきれない のは別に変ではありませんね。ということですね?

    であれば、AさんはDさんという異性の友達と男女の友情が成立していても恋人Bから疑われても
    それを受け入れるしかないということになります。結局、自分の言ってることを疑われても
    それを否定できないわけです。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/28 16:23

A 回答 (13件中1~10件)

同性だから性的な関係が無い、ということもなく。

性的な関係がないからといって心の奥底で繋がっていないなんてこともなく。
体の関係があり籍も入っているからといって、心は繋がっていないこともあり…。
難しいですね。

答えは無いんじゃないですかね。
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これは理由じゃなく、エゴの問題だからね。

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矛盾と言うか、ない派がいう友情とある派がいう友情の定義の違いでは?



「異性を異性として見ないで成り立つものが男女の友情である」と言う定義の元で「それはない」と言いっているのが「ない派」の考えで、その考えをない派に問うてみると「そりゃそうだろう」ってない派と同意見となるのではないでしょうか?

派閥が違っても、同意見な部分だってあるでしょうから。
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セックスありの友情。

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命題A:男女間の純粋な友情はあり得る


命題B:男女間であっても友情は全て純粋なもので性愛に変化する事はあり得ない

命題C:友達同士であっても男女が一晩共に過ごしたら肉体関係を結ぶ事があり得る

この場合、BとCは矛盾しますが、AとCは必ずしも矛盾しません。
「一晩共に過ごしたら、何もない場合と何かある場合、両方の可能性が存在する」
ということですから。
恋人とその友人の両方を良く知っていて、その二人の関係は純粋な友情だと認識
しているのなら、友情あり派が疑惑を持つのはおかしいでしょうけれど、恋人は
ともかく友人のほうは信用していないのなら「何かある可能性」を捨てきれない
のは別に変ではありませんね。
この回答への補足あり
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そうですね。


恋人Bが友人Cの家へ泊まりに行くことを「マナー違反」というのなら、Aさん自身が友人Dの
家へ泊まりに行くような事を「マナー違反」と責められるのも、受け入れるしかないでしょう。
それを勝手に「俺のこれはマナー違反じゃない」なんて言い出すようなら、それこそ矛盾した
物言いだと思いますよ。
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ポリアモリー


http://bit.ly/1PTPPHO
http://bit.ly/1PTPTaz
セカンドパートナー
http://bit.ly/1PTPUes
http://bit.ly/1PTPWDl
男女の友情はあり得るか?
http://bit.ly/1PTQ3P3

男女の友情があり得るかどうか、そのものよりも大事なことは、
たとえば泊まりに行くとして、自分の本来のパートナーと力関係が対等で、その上で、合意の上かどうか、じゃないでしょうか。

自分だけ勝手なことをやりたいので、言い訳に使うのは、誠実な態度とは言えないと思います。

そして、友情がありうるかどうかという質問じゃなくて、質問者さん、あなたはどうなんでしょう?
ということを逆に問いかけたいです。

何か、パートナーとの力関係問題とか、抱えていませんか?
そして、ちゃんと対等に話し合って、解決していますか?
かなりお節介なコメントでしたが・・・

もしかすると、その質問では、悩みが解決しないかもしれないと、勝手に邪推したもので・・・

少しテーマ自体は飛躍していますが、リンク先の「ポリアモリー」の考え方などは、参考になると思います。
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>恋人がいるのに異性の友達の家に泊まりに行くのはマナー違反。


恋人がいなくても、保護者から見るとマナー違反だな。

>友達同士でも一晩過ごせば何があるかわからないし
まぁ、殺されちゃったりすることもあるからね。

なので、恋人が居る居ないかとは無関係です。
恋人が居るいないに関わらず、マナー違反で何があるかわかりません。
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自分は、どちらかというと、男女の友情は存在する派、です。



で、友情だからといって、100%異性へのトキめきや下心がない、というわけでもない派、です。
どのような関係でも、一直線で濁りの無い感情というのは、難しい。
純粋な友情って、世間からも簡単に言われるが、
異性愛者の同性同士でも純粋な友情が成り立つか成り立ってるか怪しいし、
所詮一方通行かもしれないし、
定義が分からないし。
とにかく色々。

男女の友情が存在するからといって、100%どのような行動しても良いし、パートナー相手にされても良い、というわけではない、です。
世間の目、パートナーの価値観、自分の価値観、照らし合わせて。それでも「どうしても両方異性愛者である異性の友人同士2人きりでお泊りしなくてはならない理由」があるならば、その時説明を頑張れば良い話。
お泊りが「必ずではない程度のこと」で、「パートナーがやっぱり不安に思うかも」「人の目線を気にした方が良いかも」なら、お泊りを回避しておけばいい話で。

自分が不安に思ったり疑ったり、
パートナーに不安に思われたり疑われたりも、
別におかしな話ではないよ。仕方ないんじゃない。

パートナーによっては、「絶対ありえない!自分もしないからあなたもやめてよね!」となるなら、
別にそれに沿う形でも問題はない。
今一番大切であろうパートナーの価値観を破ってまで「異性の友人と2人きりでお泊り」を実行するほどの必要性も今のところは特になかったし。だって別に、他の友人でも良いわけだし。同性の友人でも。泊まる場所確保なら、どこかに泊まらないで帰宅できる予定をたてれば良いし、ネカフェとかだってあるし…
どうしてもどうしても友人宅!という必要性があったならば、さっきも言ったように色んな解決策を考えて説明なりなんだり頑張れば良いし。

そんなに駄目なことかなこれ。そういう自覚がなかった。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。下心はあるけど、男女の友情はあるということですね。

お礼日時:2015/10/29 07:58

いや、下心があったら、その時点で「友情」じゃないでしょう。



#3も書いておられますが「友情」とはなにか、ということを先に考えるべきだと思います。
男女の友情がなりたたない、または同性愛だと成り立たない、というのは人間対人間の付き合いの形の中で「愛」もっとあからさまにいえば、性欲(下心)があれば友情は成り立たない、と言っているわけです。

つまり「友情」の最低限の定義は「性愛に関する取引またはそれに類する行為が起こりえないこと」です。

下心を馬鹿にしてはいけません。好きな女のために人を殺すことだってありえるのが、下心の怖いところです。女性だって、毒を持ったりライバルの女性を貶めたりしますからね。こういうのがあるから、下心のある人間関係は「友情」とは呼ばないわけです。

したがって、私は「異性へのトキめきや下心」がある時点で友情とは認めません。

結局のところ「男女の友情を認めない派」は「トキめいたら友情じゃないだろう」という厳しい見方をしているのだと思います。

ちなみに、最近「男女の友情は成り立つか」というアンケートが最近ありました。
女性の68.7%、男性の56.5%が「成り立つ」と答えています。
詳細はこちら:http://girlschannel.net/topics/405226/

これで見て分かるのは、どの世代でも常に女性のほうが「男女の友情は成り立つ」と思っていることです。これに理由があります。
・幼児期から男性は「女性は男性と違って弱くて守るべきもの」と「異性は違うもの」と教えられるのに対して女性は「男性も女性も能力は同じ」と「同じもの」と教えられること
・女性のほうが性愛には原則的に受身で「下心」も持ちにくいため
・女性はBLに見られるように「純愛」または「純粋な友情」に憧れがつよいため
だと思います。

この調査において、50代で男性が低く女性が高いので差が大きくなっているのは、この世代がちょうどジェンダー運動の高まりによって「男女雇用機会均等法」の影響をまともに受けた世代だからだと思います。機会均等法の施行は1986年で「女性は男性と同等に活躍できるはず」という機運がもっとも高かった時代だからです。

しかし、時代による変化はあるものの「下心」を感じるのであれば、厳密には友情とはいえないと思います。
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