プロが教えるわが家の防犯対策術!

まさしきく我が家の上空を真っ黒にするくらいの飛行機の編隊が、釣りをしている少年の頃の父が東京へ向かって飛んで行ったと言っていました。飛行機で空は真っ暗。沖縄の騒音どころではありませんよね。この事実を皆さんどう思われます。夜は、東京方面火事で真っ赤。それも見えたと幼い母も言っていました。そして原爆ふたつも。この悲劇、北のおバカのおふざけどころではないはずですね。あのドイツ、ハーケンクロイツさえ降伏したのに、わが国はさからう理由があったのでしょうか。でも何々条約とかは持ち出さないで下さい。試験受ける訳ではないので。軽い世間話程度でお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    トキオ=日本ではないんですね。
    じゃ、広島 長崎は更なる捨て石ですね。

    戦没者の方には、お悔やみ申し上げます。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/05 12:20
  • うーん・・・

    戦争もお金次第ということですね。
    でも、この回答に石油という言葉がありません。
    戦争のキーポイントではないでしょうか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/05 12:25
  • つらい・・・

    貴方、鬼畜米英ですね。今の方にはこれでは戦争の悲惨さは、伝えられないと思います。いくらお説教しても無理です。私の父の伯父さん、私にとっては大叔父さんがよく言っていました。奴らに一泡吹かせたいと。そしてそのかたは、昭和の皇后様が崩御されたら、柿の木で首つり自殺しました。真意は定かではありませんが。こんなかたがまだいるんでしょうね。裕福で何の苦労もない(戦時中と比べたらですが)まろやかに伝えたほうが、聞く耳もつと思います。
    あしからず。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/05 12:42
  • HAPPY

    文章が幼いのは否めません。常に指摘されます。お恥ずかしい限りです。あのトラトラトラは、真実だったんですね。アメリカ国民が大日本帝国を憎む様に、承知で攻撃させた。小耳にはさみますよ。
    たとえ、沢山の犠牲をはらっても。

    最期に。では大日本帝国に石油をはじめ資源が豊富にあってら、我が国はどうなっていたと思いますか。私の意見は言いません。所詮、貴方から比べると幼稚なので。ただ、無条件降伏のほうがいい様な気がします。出来ればもう少し、お話したいですね。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/05 12:58
  • HAPPY

    ここは、東京に近いので低空飛行に移っての飛行だと思います。
    なので、まるで雨雲が通り過ぎるみたいだったのでしょう。
    なので、騒音もかなりあったと思います。地響きみたいな。
    飛行機の低速&低空飛行って今のスマートな飛行機でも、気持ち悪いですよね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/05 13:32
  • じゃ、お答え致します。
    日本(当時は大日本帝国)君が代 そして日の丸
    この君は君主の君ともとれるし、我々国民一人一人ともとれます。
    その解釈は、ケースバイケースでいいと思います。私は、さざれ石がいわおになって苔が生えても、この国は、天皇あっての国です。この解釈も良いと思います。例えば、オリンピックで金メダルとった選手が、国旗掲揚の時君が代歌いながら、今上天皇の事を思うでしょうか。家族 友達 お世話になったかたではないでしょうか。最近、この話題が問題になりませんね。戦争の張本人は日本人なのでは、特別な人がいたからではないと思います。ヒトラーだって、ドイツ人です。ドイツ人の中のたった一人です。今ならおバカでお騒がせの北のおデブちゃんです。いつまで、アメリカとつばぜり合いするんでしょう。

    戦争しないと、進歩しない人類って愚かですね。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/05 14:15

A 回答 (6件)

神風が吹くと本気で思っていたのでしょう。



B29は一万メートルあたりを飛んでいたそうですから騒音は少なかったでしょうね。
…と敵国を擁護してどうなる(笑)
この回答への補足あり
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お父さん・お母さんが戦争末期に10歳だったとしても80半ば?


質問者さんは50過ぎですか?そのわりには文書が子供じみていますが。
釣りをしていたのは少年の頃のお父さんではなく、いまのあなたですか?

そもそも東京大空襲や原爆投下、沖縄戦などを引き合いにだして
戦争の悲劇をうんぬん言っているのはナンセンスです。
あれは戦争被害ではなくたんなる虐殺による被害ですから。
そして大東亜戦争を日本が起こさなければ、アジアは欧米の植民地政策から脱却できず
日本でさえアメリカの植民地になって、もっと沢山の人が殺されていたかもしれません。
(もちろん、殺されなかったかもしれませんけどね)

そのあたりが歴史の機微であり、先の大戦を肯定する気はもうとうありませんが
結果としてあの戦争がその後の70数年間、大戦争がおきていない契機になったと感じています。
日本がたちあがったことはけして無駄ではなかったのだと。
間違いだったのはアメリカがあれほど日本人を平然と虐殺することを見抜けなかったことです
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私はちょうどお父さんと同じくらいの年代です。


申し訳ありませんが、お話の主題は、私たちにとっては「軽い世間話」では済まないのです。確かに今ではそういってすましておられる方が多いのでしょうが、そのことを私は本当に悲しく思います。
私はとある山里に集団疎開をしていました。後ろにそれほど高くはありませんが山脈が連なっていて、その切れ目をB29の編隊が、少し誇張すれば、操縦席の人間が見えるくらいの高度を保って、後から、後からと飛んでゆきました。平野の大都市、中小都市はその爆撃によって、夜間は全くの火の海になりました。私たちは、少し小高い丘の上から、それをなす術もなく見ているしかありませんでした。
次の日、先生から、都会にあった私たちの学区のほとんどが爆撃にあって焼失し、私たちの家族の安否は不明であると聞かされました。この時の気持ちを想像していただけますか?
もはや、どのように見ても戦争の帰趨は分かっていたにもかかわらず、日本の政府はポツダム宣言の受諾を拒みました。その主な理由は「国体の維持」が明らかになっていないから、というのでした。せめてあの時、受諾していれば、原爆での何十万人かの死、ソ連の参戦による、シベリア抑留を含む多くの人の悲劇だけは避けられたのです。
今になっても、政府の高官は、あの時受諾を遅らせたから、「国体の護持」が出来たのだ、英断であったと言い張っています。彼らはもちろん、戦後の生まれです。
私たちの気持ちが分かりますか?
変なことを持ち出すようですが、私は現世で迫害されていた人々が死後の世界で怨念を抱き、「祟りを成す」というようなことはあるはずがない、と思っています。もしあったら、あの戦争に責任ある人々が無事にその後も生涯を終えるなど、あるわけがないでしょう。
つい思い出してしまいました。おそらく、生涯を終えるまで続く悪夢なのでしょう。
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当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。


GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。

イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

日本にその気がなくても
米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

・ 1989年パナマ侵攻 名目はアメリカに麻薬を密輸するパナマのノリエガ将軍の逮捕であったが、明らかに国際法違反で、国連総会で非難された。真の目的は、第2パナマ運河の権益がアメリカ以外の国に渡ることを防ぐことだったと言う説がある。なお、パナマ侵攻後に、麻薬の対米密輸は減るどころか2倍以上に増えているという。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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東京は日本から捨て石にされましたから。

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いろいろなご意見があるのは当たり前です。

ただ、私の回答の趣旨を読み間違えておられる方がいらっしゃると思いますので、一言だけ。
私が米国、英国を恨んでいるとお考えならば、全くの間違いです。そう読めましたか?
私の批判の対象は、もっぱら、日本で戦争を起こした人々、それをどうしようもなかった国民です。
戦争をだれが誘発したのか、というような議論は問題になりません。国際政治のあり様として、手練手管があるのは当たり前です。どのようなことがあってもあの悲惨な体験を国民にさせてはいけなかった、という悔恨の念が、今、それを体験されたことのない方々にはどうやっても伝わらない、それを悲しく思っているだけです。
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