1つだけ過去を変えられるとしたら?

旧約聖書のアダムとエヴァの話についての質問です

大雑把に言うとこういう話です

神はエデンの園中央の木の実だけは食べてはいけないと言った
蛇はエヴァに「食べても死にませんよ」と言い
エヴァはその実を食べ
アダムにも、食べるように言い、アダムも食べた

二人が禁じられた実を食べたことを神が知ると
アダムは
『あなたが私とともにいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」
と言い訳する
(この言い方だとエヴァと神さまのせい、みたいですよね)
エヴァは蛇に騙されたのだと言う
(これは間違い。蛇は「食べても死なない」という事実を言っただけ)

これ、禁じられたことをした、ということに加え
自分の罪を責任転嫁していることも悪いのだと思うんですよね

で、質問ですが
もし二人が責任転嫁ではなく
「自分がエヴァと一緒にいなかったから、悪いのは自分です」
「死なないと知って、食べてみたくなり、さらに夫にまですすめてしまった、夫は悪くありません」
とかって正直に自分の罪を認め
さらにお互いを庇ったら
神さまは許してくれたでしょうか?

神学的にはいろいろあると思うんですけど
みなさんのご意見をお聞かせください
でもふざけた回答はいらないです
ちゃんと考えた回答を望みます

質問者からの補足コメント

  • 皆さんの回答を見て、私が考えたのは、こうです

    二人の罪は
    「禁止された実を食べたこと」
    だけでなく
    「自分の罪を他者のせいにし言い訳した」
    こともだと思います

    正直に罪を認め、さらにお互いをかばったとしたら
    後者の罪はなくなります
    でも、禁止したことをしてしまった、その罪は残る

    ので
    「禁止した実を食べたお前たちは
    エデンから追放する」
    けど、自分の罪を認めお互いをかばったことは
    良いことなので
    これからもそうするように
    って話になって
    労働と出産の大変さも
    ちょっと軽減されるんじゃないかなあ、と…
    砂漠のような土地ではなく
    もうちょっと暮らしやすい土地に行かされるとか

    (もちろん個人の勝手な想像です)

      補足日時:2018/05/26 15:19

A 回答 (27件中21~27件)

そういう仮定の話は四角四面に言えば成立しないだろうなぁ。


だってアダムとエヴァがお互いを庇い合ってたら、アッラーに許されちゃうと思うから、許されちゃったら以降の人間ストーリーが成立しなくなっちゃうもんね(;´Д`)

でもこの質問は『聖書のどこどこを読め』とか『よく知らないお前が勉強不足!(みたいな言い方で責める)』とか、そういう事じゃないような気が…

このシーンだけを仮定で考えて!というなら私は『アッラーなら許してくれる』と思いますよ。
だってアッラーは心優しい神様だから(^^)
クルアーンにも要約すると『人間のちっちゃいミスくらい許してあげるよ!』って書いてるし。

これはふざけた回答…にはならないよね?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

ということは
「正直に自分の罪を認めたら
神さまはゆるしてくれたんじゃないかな」
ってことですよね?

こういう回答を、待ってたの(泣)

個人の想像でいいんだよお

お礼日時:2018/05/24 23:36

まずありていに言えば、そうなった場合この寓話は消滅することになる。


なぜならこの話は人間の原罪を明らかにし、それを自覚させることを目的としているからだ。
それがキリスト教の教義とも合致したからこの話は残っているのである(この寓話はキリスト教成立以前の旧約聖書の話である)
これを質問のように変更した場合、この話は葬られるか、キリスト教自体が大乗仏教化するというドラスティックな道をたどることになる。

正直言って前後の文脈がないと神様がどうするか想像すらできない。
なぜなら先にも述べたとおり聖書はキリスト教の教義に沿って整備されたものであり、その意味でその構成も解釈も指導者の意図に左右されることになるからだ。
もちろん神様の在り方についてもだ。
指導者が「神様は寛大であるほうがよい」と判断すれば神様は許すだろう。
指導者が「こういう場合神様は峻厳である」と判断すれば神様は断罪するだろう。
なので、指導者がどう思っているのかを推し量るだけの材料-前後の文脈-が必要なのである。
(ここでいう指導者とはカトリックの司教以上を想定している)

よって、申し訳ないが、これだけでは推量すらすることができない。
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この回答へのお礼

推量することが出来ない

ということですね

ありがとうごさいます

お礼日時:2018/05/24 23:35

主なる神は言われた。

「見よ、人はどこかの国の官僚のひとりのようになり、忖度を知るものとなった」。(創世記3章22節)
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます

なんかちょっとよくわからないのですが…

お礼日時:2018/05/24 23:34

追記・・ 「木の実を食べる」 ・・この意味を あなたが知らないので あなたが 望んでる回答なら あなたも含め 全て ふざけてるだけ

・・
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この回答へのお礼

ここまでいっちゃうと
解釈の問題になりますよね?

私は
クリスチャンでもない(クリスチャンでもいいけど)
聖書を読んだこともない方でも
(読んだ人でもいいけど)
そういうひとがどんなふうに感じるのかを
知りたかったのです

「これは比喩だから」という見解ならば
それでもいいのです
比喩だとして、あなたはどう考えますか?ってことを聞いてるわけです
radiさんは
「無知なものには説明できない」
と言ってるんですよね

だったらそれはいらないですってことです

もー

お礼日時:2018/05/24 23:24

ごめんなさい


もういいです
そういうの、いらないっす」←でもふざけた回答はいらないです
ちゃんと考えた回答を望みます」←と なってるから ふざけては いけないのなら あなたが 本当の事を 知る必要がある・・

それで 無いと どれが ふざけてるのか 正しいのかは 判断出来ないでしょ?

あなたの方が ふざけてるだけだが?
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この回答へのお礼

再々度
ありがとうございます

ふざけてるとは思ってませんが
別に私と話す必要ないと思うのですが
どうですか?

お礼日時:2018/05/24 23:20

比喩とたとえの話だとして、ですよ?」←まず。

。あなたが 命の木 善悪知る木 善悪知る木の実 蛇・・等の意味を知る必要があるだけ・・

で 無いと 話に ならない・・
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この回答へのお礼

ごめんなさい
もういいです
そういうの、いらないっす

お礼日時:2018/05/24 19:03

聖書は 比喩と 譬えの多い書物です・・



「命の木」 と 「善悪知る木」も 同様・・譬えですよ・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます

比喩とたとえの話だとして、ですよ?

お礼日時:2018/05/24 18:05

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