ネットが遅くてイライラしてない!?

数年前から気になっている言葉の問題があります。
 自分の妻のことを「ウチの奥さん」と言うのは「誤用」という説をしばしば目にします。
【ウチの奥さん 誤用】の検索結果。
https://www.google.com/search?client=safari&rls= …

 たしかに国語辞典を見る限りは、あまり望ましい用法ではない気がします。
 ただ、もし「ウチの奥さん」が「誤用」なら「ウチのカミさん」だって同じようなものだと思います。なぜかこちらを責める主張はほとんど目にしません。
 使い古されてしまって敬意が逓減し、気にならないのですかね。
 もしかすると、「ウチの奥さん」も近い将来そういう立場になるのでしょうか。

A 回答 (8件)

話のTPOと、使う人の品位に応じて。



妻・女房・家内・細君・嫁・うちの(やつ)・奥さん・かみさん・お母さん・かあさん・かあちゃん・嫁・嫁さん・嬶(かかあ)・おっかあ・山の神・化けべそ・ワイフ・ハニー・配偶者・相方・連れ・連れ合い・同居人・パートナー
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この回答へのお礼

>話のTPOと、使う人の品位に応じて。

 そのとおりだと思います。
 通じるのであればどう呼んでもいいと思います。
 それが「場違い」だったり、発言者の雰囲気に合わなかったりしたら、異和感を持つ人もいるでしょうが。

 なぜ「ウチの奥さん」だけが目のカタキにされるのかがわかりません。
 ああ、↓には「ウチの嫁さん」が「完全に間違っている」という意見もありましたか。

お礼日時:2018/08/03 21:21

それよりも 「ウチの嫁さん」と(特に関西の芸人あたりが)いうのが完全に間違っていると思いますよ。

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この回答へのお礼

>「ウチの嫁さん」と(特に関西の芸人あたりが)いうのが完全に間違っている

 2つの側面があると思います。
 身内に「さん」をつけるのはおかしい。
 自分の配偶者を「嫁」と言うのはおかしい。
 でも「完全に間違っている」と示す典拠がありますかね。
 当方は「間違い」とは思いません。

お礼日時:2018/08/03 21:17

>なんでもかんでもそんな言葉で片づけるのはどうかと思います。


これについては全く同意見です。

が、そもそも「奥さん」という言葉自体がもう滅んでもいい時代だと思っておりますし、意識的にはそうなっていくでしょう。
そういう意味では今は変化の最中かなと思っています。
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この回答へのお礼

>そもそも「奥さん」という言葉自体がもう滅んでもいい時代

 それは元々「奥にいる人」みたいな意味があるからってことでしょうか。
 そんな意識で使っているいる人は少ないので、「滅び」はしないと思います。
 ほかの呼称と比べると、むしろ「奥さん派」が増えるような気さえします。

お礼日時:2018/08/03 21:14

うちの大蔵省、なんて言い方も時々あるのでは、似たような、のり、で使っているだけで当人も誤用?は百も承知のはずです。


親にもよりますが。「うちのクソガキ・・」なんて表現もあります。
本当に「くそ・・」なんて思っていません。親から見れば、小生意気・・・、親を超えそう・・と思えば頼もしくもあります。
どちらにも、共通するのが「うちの」に続く言葉であることです。
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この回答へのお礼

「うちの大蔵省」……ありましたね。
 これは「財務省」にはならないのでしょうね(笑)。

>当人も誤用?は百も承知のはず
 そうですかね。

お礼日時:2018/08/01 21:35

こんにちは。



言葉は常に変化し続けていますので、私も「ウチの奥さん」には違和感がありますが、
そのうち状態化していくと思いますよ。
夕飯を夜ゴハンと言ったり、流行り言葉なのか、今後はそう呼ぶようになるのか誰にもわかりません。

「尋常でない」という表現も、本来書き言葉でしたが、今では話し言葉として定着していますね(^^ゞ

ではでは。
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この回答へのお礼

こんにちは。

 No.1のかたへのお礼をご参照ください。

「ウチの奥さん」はそのうちフツーになりますかね。
 そんな気がしないでもありません。

お礼日時:2018/08/01 21:34

>使い古されてしまって敬意が逓減し、気にならないのですかね。


敬語は、どんなご立派な表現であっても、慣れというか定着し習慣になると価値が下がり、所定の上下差を表現できなくなる宿命ですね。妙な例ですが、ボクシングの会長の接待が段々厚くなって屋上屋を重ねていったそうですが、言葉もそうです。代わりを探す、冠を被せる、尾ひれを付けるなどでしょうか。それを誤用とは思いません、敬語表現の自然です。
おかあさん・おかみさん・かみさんは立派な敬語でしたが、時代によって飽きられたのでしょう。ちなみに、連れ・連れ合い、は対等で敬意を含まない分、摩耗が少ないように思います。当方は専らこれです。
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この回答へのお礼

「連れ」「連れ合い」はいいかも。

 昔、こんな質問もありました。
【他人の配偶者を何と呼びますか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8757232.html

お礼日時:2018/08/01 21:32

言葉は時代によって変わっていきますから


今は「ウチの奥さん」も誤用と言えないようになってきましたね。
あまり聞いていて気持ちのいい使い方ではないと思いますが、そのうち慣れるのかな。
「ヤバイ」や「ムカつく」だってもうすっかり慣れましたし。
私は使いたくありませんが。
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この回答へのお礼

No.1のかたへのお礼をご参照ください。

 たしか本来の「ヤバイ」は相当昔からあったはずです。
「むかつく」も江戸時代からあったそうです。
http://zokugo-dict.com/33mu/mukatuku.htm

お礼日時:2018/08/01 21:32

固い事を言えば誤用ですが、現代においては「奥にいるわけじゃねーし、ただの記号」という考えも強いです。



だから誤用という人もいれば、そうじゃない人もいる。
そういう変化の最中の言葉と思ってるのがベストかなと思ってます。
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この回答へのお礼

最近、「言葉はかわっていく」みたいな主張をやたら目にします。
 なんでもかんでもそんな言葉で片づけるのはどうかと思います。ネットが普及して、●●の間違いが垂れ流されるせいで広まったわけのわからない言葉を、そんな言葉で擁護する気にはなれません。
 ただ、「ウチの奥さん」に限ると、敬語だったものが敬語でなくなる過渡期という気がします。

 ところで、「ウチのカミさん」は〈固い事を言えば誤用〉ではないのでしょうか。

お礼日時:2018/08/01 21:27

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Aベストアンサー

既婚男性です。
おっしゃるとおりで合っていると思います。

ただ、「妻」「女房」と呼ぶのって、なんとなく照れくさいんですよね。
私は結婚7年目ですが、未だに「妻」とか「嫁さん」とか「家人」とか、ばらばらです。「家内」はさすがにありませんが。

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今NHKの番組を見ていたら、アナウンサーが「今のVTRにも登場いただきました〜先生にお話しを伺います」のようなことを言っていました。これは正しい日本語ですか。

「ご登場いただきました」でなくて良いのですか。

Aベストアンサー

#3です。
若干追加させてください。


文化庁の<敬語の指針>のみならず、大辞泉にも

動詞+いただく

という用法は見当たらないようです。

「いただく」
8 (補助動詞)

㋐(動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて)話し手または動作の受け手にとって恩恵となる行為を他者から受ける意を表す。「これが先生にほめて―・いた作品です」「せっかく来て―・いたのですが、主人は今おりません」「一言声をかけて―・いたらよろしかったのに」

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漢語以外の場合、上記語釈に則れば、下記のような表現になります。

㋐登場していただく⇒登っていただく
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しかし、

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とは言わないはず。
文型を逸脱しているからと考えて良いのではないかと思います。
「登場いただく」を正しいとできるのは、「登場していただく」の省略形と考える場合だけではないかと思うのですが、無理筋になるでしょう。
因みに、菊池康人氏の「敬語再入門」でも、すべて検証したわけではありませんが、動詞+いただく の形は見当たらないようです。

#3です。
若干追加させてください。


文化庁の<敬語の指針>のみならず、大辞泉にも

動詞+いただく

という用法は見当たらないようです。

「いただく」
8 (補助動詞)

㋐(動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて)話し手または動作の受け手にとって恩恵となる行為を他者から受ける意を表す。「これが先生にほめて―・いた作品です」「せっかく来て―・いたのですが、主人は今おりません」「一言声をかけて―・いたらよろしかったのに」

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Q至極の音楽とか、至極の舞台という言い方?

これは珠玉の音楽、舞台の間違いと思っていました。至極というのは副詞で、至極当たり前とか、至極当然とか、形容詞を強調する使い方が正しいと思うのですが。私の感覚がおかしいのでしょうか?

Aベストアンサー

「至極」の辞書的な品詞は、「名詞」「形容動詞」「副詞」「接尾辞」です。
 名詞の意味は「極限・極致に達していること。この上ないこと。また、そのさま」ですから、「至極の音楽」「至極の舞台」といった名詞用法が間違いとは言えません。これは昔からある用法のようです。

 ただ、個人的な感覚では、「名詞」「形容動詞」は相当古くさい気がします。
「副詞」(「至極便利である」「至極ごもっとも」……etc. )
「接尾辞」(「残念至極」「迷惑至極だ」……etc. )
 としてしか使いません。
 それも、決して新しくはないので〈ギャグっぽくジジむささを出すとき〉限定です。
 詳しくは下記をご参照ください。
【突然ですが問題です【日本語編66】Yahoo!知恵袋ver.──究極 至高 至極】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-11946299627.html

 以下は一部の抜粋(重言)。

  問題は「至極」。個人的には「名詞」「形容動詞」としては使わない。「誤用」と断言するには少しだけ躊躇いを感じるけど。『大辞泉』を見てもわかるよう に、昔はけっこう使ったようだ。某専門雑誌で「至極の○○」が頻出していて、気になってしかたがなかった。まともな出版物でもたま~に目にする。当方の目 撃例は↓にあげておく。
 さらに言うと、「副詞」「接尾語」としての用法も、決して新しい感じはない。ギャグっぽくジジむささを出すとき以外はオススメできない。

 以下は新聞で見た使用例。
【朝日新聞から総索引(2002年~)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
●2003年12月~2004年6月
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-235.html
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04-1-1
【1月】
1月9日
 テレビ欄(朝刊40面)の番組紹介で「恋の至極は忍ぶ恋」というタイトルが目に止まる。紹介記事は、次のように結んでいる。
=================================
 こんな言葉が紹介される。「恋の至極は、忍ぶ恋と見立て候」。まさに、しかり。
=================================
  出典は不明。やっぱ『葉隠』なんかね(2003年7月の日記参照)と思いながらネットで検索してみると、そのとおりらしい。引用文なんだからインネンつけ てもしょうがない(正確には「しようがない」なのかな。個人的にはやはり「しょうがない」のほうが自然に感じられる)が、ヘンなものはヘン。百歩譲って、 当時はこういう用法があったかもしれないと考えてもいい。現代語ではないって点は譲りたくない。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


●2004年7~12月
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-236.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【9月】
04-9-1
9月6日
 パネリストや観客が支持した、至極の満点メニューとは何か。(朝刊40面)
 テレビ番組の紹介記事。こんなところで「至極」のこんな用法にお目にかかるとは。
 無理に解釈すると、「満点になるのが当然の」みたいな意味にとれなくはない。「当然の満点のメニュー」とか「必然の満点のメニュー」って意味。無理だね。やはり「極上」の意味で使っているとしか思えない。
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●2003年7月の日記
〈『巨人の星』に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。〉の読書感想文。
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  恋の至極はしのぶ恋にあり!(p.262)
 伴宙太ののセリフ。「葉隠」の中にある言葉らしいが、梶原一騎のことだから、真実は不明。p.344には「おそらく独自の入手先があるんだと思われる」などと書いてある。問題は「至極」の用法。某誌以外でこの使い方を見たのは初めて。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「至極」の辞書的な品詞は、「名詞」「形容動詞」「副詞」「接尾辞」です。
 名詞の意味は「極限・極致に達していること。この上ないこと。また、そのさま」ですから、「至極の音楽」「至極の舞台」といった名詞用法が間違いとは言えません。これは昔からある用法のようです。

 ただ、個人的な感覚では、「名詞」「形容動詞」は相当古くさい気がします。
「副詞」(「至極便利である」「至極ごもっとも」……etc. )
「接尾辞」(「残念至極」「迷惑至極だ」……etc. )
 としてしか使いません。
 それも、決して...続きを読む

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

...続きを読む

Q「気勢をそがれる」はなんで「気勢がそがれる」じゃないんですか?

気勢をそがれるっていいますが、
普通の言い回しだと
気勢がそがれる、じゃないんですか?
どなたかわかりやすくお願いします…<(_ _)>

Aベストアンサー

非常におもしろい(むずかしい)質問ですね。
 おそらく、「気勢をそがれる」が正統的な使い方です。
 この点はNo.2のかたの回答のとおりでしょう。
 ただ、いろいろ例外もありそうで、正確なところはよくわかりません。もう少し時間をください。
 別の例文で考えてみます。

【1】■殴る(他動詞)1※「頭が殴られる」はヘン
A 頭を殴る(誰かが)
B 頭を殴られる(私が/自分側の誰かが)【受身】
C 頭が殴られる?

 ところが、同じ「殴る」でも目的語(と呼んでおきます)によってはCの形でないとおかしい場合もあります。
【2】■殴る(他動詞)2※「私を殴られる」はヘン
A 私を殴る(誰かが)
B 私を殴られる?【受身】
C 私が殴られる(誰かに)

 B/Cのどちらの形でもおかしくない動詞もありそうです。
【3】■壊す(他動詞)
A 家を壊す(誰かが/何かが)
B 家を壊される(私が/自分側の誰かが)【受身】
C 家が壊される(誰かに/何かに)
 同じ例文で動詞が「流す」でも両方ありそうですが、「家が流される」のほうが自然な気さえします。

 ここから先はうんと乱暴な考え方をします。
 動詞や目的語によって、【1】【2】【3】に分かれる気がします。
「気勢{ガ/ヲ}そがれる」の場合は【3】でしょうね。本来はヲだと思いますが、ガも使えなくはなさそうです。
【3】のように両方が使えるときに、ニュアンスがどう違うのかは関知したくありません。

 このテの微妙なニュアンスを問う質問はこの質問サイトでも繰り返されていますが、そんなことにこだわってどんな意味があるのかわかりません(もちろん、明らかに違うこともあります)。
 両方使えるなら、使いたいほうを使えばよいのでは。

 ちなみに、当方はこの問題について考えていて、下記のやり取りを思い出しました。
【続「する」「させる」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8998066.html

 このときの<自動詞の使役形は他動詞と同じ結果になる>という話でした。
ウ「先生の言葉が生徒を大人しくした」(他動詞用法)
エ「先生の言葉が生徒を大人しくさせた」(自動詞用法の使役形)
 ウとエはほぼ同じ内容を表わします。ニュアンスがどう違うのかは関知したくありません。

 これにならって言うなら〈他動詞の受身形は、目的語をガで受けるときとヲで受けるときがある〉ですかね。
 まったく違いますか(笑)。

非常におもしろい(むずかしい)質問ですね。
 おそらく、「気勢をそがれる」が正統的な使い方です。
 この点はNo.2のかたの回答のとおりでしょう。
 ただ、いろいろ例外もありそうで、正確なところはよくわかりません。もう少し時間をください。
 別の例文で考えてみます。

【1】■殴る(他動詞)1※「頭が殴られる」はヘン
A 頭を殴る(誰かが)
B 頭を殴られる(私が/自分側の誰かが)【受身】
C 頭が殴られる?

 ところが、同じ「殴る」でも目的語(と呼んでおきます)によってはCの形でないとおかし...続きを読む

Q繋がる の可能形

繋がる の可能形は何ですか。繋がられるですか。

Aベストアンサー

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れられる
で、可能形は使えませんが、「嫌なことを忘れる」なら、「忘れよう」と努力して、
    嫌なことを忘れられた/忘れられない
のように可能形が使えます。

「つながる」も、
    この路線は地下鉄につながっている
では非意志ですが、
    世界の人とつながろう!
のような用法なら意志動詞です。

「意志動詞」というのもよく分からないところがありますが、ある動詞が意志動詞かどうかというよりも、用法ごとに考えるべきでしょう。

さて、「つながる」の「可能形」ですが、ひらがな単位でやるよりも、形態論の分析はローマ字を使ったほうがいいでしょう。

   可能構文の述語動詞は、動詞の語幹に可能の接辞をつけて作られる。可能構文は、
   動詞の語幹に接辞「-e-ru」(I型動詞の場合)や「-rare-ru」(Ⅱ型動詞、「来る」
   の場合)が付加した派生動詞によって表される。
           『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

「つながる」は五段動詞(I型動詞)ですので、
   tunagar -u → tunagar -eru つながれる (「つながられる」は受身形)
です。
  例 世界の人々とネットでつながれると思ったのだが、なかなかうまくつながれない。

「可能動詞」という言い方は、五段動詞の場合、助動詞「れる・られる」の付加による
   よむ → よまれる
の形ではなく、普通は「よめる」が可能を表す形として使われるので、それを「よむ」とは別の独立した動詞として名付けたものでしょう。(すみません。この辺の事情はよく知りません。)

この「よめる」という形は、ひらがな単位での分析では「よむ」から作ろうとすると無理があるので、可能形とは呼びたくないのでしょう。

上の、ローマ字を使った(つまりは音素表記?)なら、語幹に「れる」ではなく「-e-ru」をつければいいわけです。

なお、大辞林などが「可能動詞」を付記していないのは、「つながる」の多くの用法が非意志的なものだからではないでしょうか。上に書いたように、ある動詞の用法全体が意志的(つまり可能動詞がありうる)あるいは非意志的であるとは言えないので、その動詞の「可能動詞」が[ある/ない]とどちらかに決めることは難しいのです。

以下は補足的なことです。

「つなぐ」「つなげる」の可能形は、
   tunag -u → tunag -e-ru (可能動詞)  (「つながれる」は受身形)
tunage -ru → tunage -rare-ru (元が一段動詞なので「可能動詞」はない)
です。
この二つの「つなげる」は、上は「つなぐ」の可能形(可能動詞)で、「~できる」の意味を持ち、
下は単なる他動詞です。
   恥ずかしくて手をつなげない。(つなぐことができない)
   コードとコードをつなげる。(結びつける・延長する)

可能の「れる・られる」について、いまだに国語辞典などが「五段動詞は未然形に「れる」がつく」としているのはちょっと驚きでした。
   読まれる 書かれる 泳がれる 死なれる 解かれる 持たれる 言われる 切られる
などを可能の意味で使われると、誤解が生じるのではないでしょうか。(もちろん、普通「読める・泳げる」が使われる、とは注記してありますが。)

saburoo

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れ...続きを読む

Q〇〇が取れます。 〇〇を取れます。 どちらが正しいのでしょうが。 日本語教室の先生が「が」を使うって

〇〇が取れます。
〇〇を取れます。
どちらが正しいのでしょうが。
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「〇〇が取れます」の場合、英語で「〇〇 will be got
」とのことです。
質問:
図にマークされた部分は、何で「〇〇を取れます」を書いていますか。

Aベストアンサー

1.
「が」の基本的な用法は、次の2つ。
◎主格の特定。
・彼が一番強い。
◎希望・好悪・能力・新事実の発見などの対象の特定。
・りんごが食べたい。(希望)
・ピーマンが嫌いだ。(好悪)
・英語が話せる。(能力)
・遭難者が無事見つかった。(新事実の発見)
また、「特定」とは「特に定める」という意味なので、主格や対象を強調的に明示したい場合に使われます。
「りんごが食べたい。(希望)」は、「わたしが食べたいのは、りんごなのです!」というニュアンス。
「食べたいのは、りんご(だ)」と強調的に表現している。

2.
『〇〇が取れます。』は、能力の対象の特定です。
「取れるという能力の対象=取れるもの」は何かと言うと、それは「○○(です)」と特定しているわけです。
「取れるものは○○です!」というニュアンスを強調的に表現することができる。
たとえば、先生が非常に複雑な手順を解説した後でおこなわれる、次のような会話が想定できるでしょう。
先生:「このようにすれば、〇〇が取れます。」
生徒:「おお!!!なるほど~。これはすごい手だ!!○○が取れるとはまったく気づかなかった」

一方、
『〇〇を取れます。』の「を」は、「取れる」という能力の対象として、○○が単純に示されているだけ。
「取れるものは○○です」と淡々と述べている。
この場合想定されるのは次のような会話。
はじめて囲碁をする生徒に、先生が石の基本形を教えている。
先生:「この図のように、○○の周囲をすべて囲うと、○○を取れます。これは、囲碁のもっとも初歩的な決まりです。」
生徒:「わかりました。相手の石の周りをすべて囲むと、その石を取れるという規則なのですね。」
取れるものが○○であることを特に強調する必要が無い場面です。

3.
ただ、「が」と「を」の使い分けは極めて微妙です。
なぜなら、まったく同じ場面であっても、強調的に表現したいか否かは、あくまで話し手の気持ち次第で決まるからです。
むろん、どちらを使っても良い場合も多くありますが、使い分けないと不自然になる場合もあります。
ご質問のケースでは、どちらを使っても問題はありません。
話者(筆者)の意図次第で違ってくるだけです。
ただ、「~天地左右を黒が囲えば、白石を取れます」という文のようなので、「が」の重複を避ける意味で「を」のほうが違和感の無い表現になるでしょう。
むろん、たとえ重複があっても「が」を使うほうが良い場合は多い。
この文の場合は、特に「が」を使う必然性が見当たらないので、重複を避けるという手法を適用できる、ということです。

1.
「が」の基本的な用法は、次の2つ。
◎主格の特定。
・彼が一番強い。
◎希望・好悪・能力・新事実の発見などの対象の特定。
・りんごが食べたい。(希望)
・ピーマンが嫌いだ。(好悪)
・英語が話せる。(能力)
・遭難者が無事見つかった。(新事実の発見)
また、「特定」とは「特に定める」という意味なので、主格や対象を強調的に明示したい場合に使われます。
「りんごが食べたい。(希望)」は、「わたしが食べたいのは、りんごなのです!」というニュアンス。
「食べたいのは、りんご(だ)」と強調...続きを読む

Q「を」か「が」

すみません、これを教えていただけますでしょうか。

下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。

1)日本語の新聞が読めます。
  日本語の新聞を読めます。

2)私は英語が少し話せます。
  私は英語を少し話せます。

それかどちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。
 どちらも同じように使えます。どちらを使っても構いません。

>どちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。
 大丈夫です。

 時々同じような問題があります。
 いろいろ違いを説明する人がいますが、多くの場合、微妙な違いしかありません(厳密に考えればほんの少し違う気もしますが、他者に押し付ける気はありません。無視してよい程度のことです)。
 個人的には、こういう可能を表わすときはガを使うようにしていますが、それは個人の趣味の問題です。他者に押し付ける気はありません。
 ただし、近くに同じ助詞がある場合は別です。
 この点は、No.7のかたのコメントに賛成です。

1)日本語の新聞ヲ読むことガできます。
2)私は英語ヲ少し話すことガできます。

 どちらも、すぐ後ろにガがあるので、ヲを使うほうがよいでしょう。
 下記の例でも同様です。

1)A(中国にあるこの喫茶店は)日本語の新聞ヲ読める点ガ セールスポイントです。
 すぐ後ろにガがあるので、ヲを使うほうがよいでしょう。
1)B(中国にあるこの喫茶店は)日本語の新聞ガ読めることヲ セールスポイントにしています。
 すぐ後ろにヲがあるので、ガを使うほうがよいでしょう。

 近くに同じ助詞がある場合は、避けるべきです。
 こういう書き分けができるのは、ヲとガが同じように使えるからです。仮に「ヲとガでは意味が違う」と考えるなら、こういう自由な書き分けができなくなります。

 詳しくは下記をご参照ください。同じ質問でよくわからないやり取りになったときに書いたものです。
【自動詞と他動詞〈6〉 ヲガ交替(←オイ!)〈1〉〈2〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12359746188.html

>下記の文章について「を」を使った方がいいですか。「が」を使った方がいいですか。
 どちらも同じように使えます。どちらを使っても構いません。

>どちらでも日本語的に大丈夫でしょうか。
 大丈夫です。

 時々同じような問題があります。
 いろいろ違いを説明する人がいますが、多くの場合、微妙な違いしかありません(厳密に考えればほんの少し違う気もしますが、他者に押し付ける気はありません。無視してよい程度のことです)。
 個人的には、こういう可能を表わすときはガを使うようにしています...続きを読む

Q国語力が低い割に他人の文章に噛みついて来る回答者が多いですね。これは何故だと思いますか?

回答者に限らず、ネット民全般についての回答でも構いません。国語力の低い人は、国語力が低いことをバカにされ続けてコンプレックスが強まって攻撃的になっているのでしょうか

Aベストアンサー

自分の意見を理解してもらいたいだけの事だと思いますよ。ただ
その思いが相手にうまく伝わらないから噛みつくしかないですよね。
小さな言葉を話せない子供が
言葉より先に手が出たり噛みついたりするのと同じようなものだと思います。
意思の疎通が出来ないから噛みついて相手にわからせようとするしか手段がないのでしょうね。

Qこのサイト、日本語を理解できないバカが、質問者を罵倒してくること多くないですか

http://news.livedoor.com/article/detail/16029841/
「国際成人力調査」
日本人1/3は日本語が読めず小4以下の数的思考力

Aベストアンサー

多いかどうかは分からない。統計もないからな。

質問者の質問に疑義が生じている状況は、個人的には多いと思う。単語を並べているだけだったり、助詞の使い方が滅茶苦茶で複数の意味に解釈できるものだったり、人の関係が整理されていなかたりとなると、「日本語で書いてくれ」と依頼することはある。これは「日本語を理解できない回答者」ではなく「日本語を理解できていない質問者」に苦情なり、捕捉を求めている図。

質問者が単なる同意厨だったりする状況も結構多い気がする。オカルト話に持っていくのが目的の奴、中韓朝の利益誘導が目的の奴は多い。脱法、とくに行政に錯誤させようとする質問も、絶対数は少ないけど個人的に接する範囲では多い。運営は理解できないと見えて放置しまくりだし、治安の懸念もあるから、個人的には行政官庁にURIを送ったりして注意喚起はさせている。

あとは自慢厨かな。結論を出していて「どう思いますか」って聞いてくるんだけど、結論を出す課程のソースが大誤りだったりする奴で、指摘なんかしようものなら「それは一般論」とか「大多数は」なんて逃げるんだけど、更に正すと難癖付けて運営に削除させる奴とか。

>「国際成人力調査」
>日本人1/3は日本語が読めず小4以下の数的思考力

多分だけどさ、これ、日本人を日本国籍所持者とはしていないよ、「日本語を母語として生活する日本在住者」なんだと思う。「読めず」も文法読解力なのか、単語の理解力なのかもよく見るべきだと思う。読めないなら書けないというのも自明であって、書くほうが難しいから「日本語を理解できないバカが、質問者を罵倒してくること多くないですか」も、もしかしたら「日本語を理解できない馬鹿が作った質問文を、理解できないと罵倒してくること【が】多くないですか」なんでしょうし、理解できないと罵倒するのは、質問者の文章構成能力が低いからかもしれませんし、回答者の文章読解力が低いからかもしれません。

何にせよ、あなたの質問が成立するためには、あなたの日本語文章構成能力が一定以上あるという前提が必要です。その立証が最初ですね。
というわけなので、助詞は省かないようにしましょうね。

多いかどうかは分からない。統計もないからな。

質問者の質問に疑義が生じている状況は、個人的には多いと思う。単語を並べているだけだったり、助詞の使い方が滅茶苦茶で複数の意味に解釈できるものだったり、人の関係が整理されていなかたりとなると、「日本語で書いてくれ」と依頼することはある。これは「日本語を理解できない回答者」ではなく「日本語を理解できていない質問者」に苦情なり、捕捉を求めている図。

質問者が単なる同意厨だったりする状況も結構多い気がする。オカルト話に持っていくのが目...続きを読む


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