島尾敏雄の小説のタイトルに「死の棘」っていうのがありますが、これって何か昔からそういう慣用的な表現があったのでしょうか?それとも島尾さんのオリジナルなのですか? 

ふと、その言葉が気になって調べたんですけど、辞書にもないし、検索しても島尾さんばっかりで…。おまけに、その小説も読んだことがないので余計に分かりません。

もし何かに由来してるのでしたら、原典と意味を教えていただきたいのです。
本当にふとした疑問ですみません。

A 回答 (1件)

新約聖書からの1節からきています。


「『死よ、なんぢの勝(かち)は何処にかある。死よ、なんぢの刺(はり)は何処にかある』死の刺は罪なり、罪の力は律法(おきて)なり。されど感謝すべきかな、神は我らの主イエス・キリストによりて勝を与へたまふ。然(さ)れば我が愛する兄弟よ、確(かた)くして搖(うご)くことなく、常に励みて主の事(わさ)を務めよ、汝等その労の、主にありて空しからぬを知ればなり」(コリント前書-第15章55-58)
訳によって「死の刺」「死の針」とあるそうです。読み応えのある内容でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 新約聖書の言葉だったのですかー。

「死が針で我々を狙っていて、その針というのは「罪」のことであって、罪の力が律法で、だけど我々はイエス・キリストのおかげで死に勝つことができて……」、みたいな感じでしょうか。意味はよく分かりませんけど。

 この島尾敏雄の小説でいう死の棘すなわち罪っていうのが、例の不倫ってことなんですよね?
 
 由来が分かってすっきりしました。ありがとうございます。読み応えありとのこと、挑戦してみます。

お礼日時:2001/07/22 14:55

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「古希」の原典は?

広辞苑によると[杜甫、曲江詩「人生七十古来稀」]
七十歳のこと…とあります。詩の全体を、無理ならその前後を知りたいのです「新唐詩選」「中国名詩選」「唐詩選」「杜甫詩選」などを見てみましたが、出てきません。

Aベストアンサー

補足です。

 人様のホームページばかりで申し訳ありませんが、下記にいかれると訳も掲載されています。
 

参考URL:http://www.geocities.jp/sybrma/14toho.shi.koki.htm

Q英語の原典について

英文学の授業でよく先生が、原典を読め、と勧めるのですが、英語の人称は
基本IとかYouとかしかなくて、女言葉、幼児言葉等の使い分けもはっきりしません。
本も安っぽいザラ紙に雑な装丁で、買って眺める楽しみもないです。
はなはだ味気ないとおもうのですが、原典で読む魅力を教えてください。
また、紙や装丁にこだわるのは日本人だけなんでしょうか。
読んでいるとどっちが男でどっちが女かわからなくなるのが困ります。

Aベストアンサー

そのような言葉の使い方の違いは、文化の違いから来ています。何でこうなのかな?から始まって、日本は何でこうなんだろう、につながっていくものです。英語圏の文化を知ること、日本の価値を見直すことになるのだと思います。それが学問でしょう。

主語で追うのではなく、文脈で追う習慣が必要です。

英語圏は本は高価なものです。高価な上製本と安価なペーパーバックの両極端。ペーパーバックは読み捨て的なものですから体裁や保存に価値は置かれません。必要なページだけ破りとって持ち歩いて読む人もいるのだそうです。そんなだから電子書籍の普及が速かったようです。日本は文庫本などもある程度はコレクションとして保管できるものになっていますし、ここにも文化の違い、考え方の違い、歴史の違いが存在しますよね。

知ろうとすれば面白いことはたくさん出てきますよ。

Q画家が主人公の小説って、何かありますか?

すぐ思いつくのは、芥川の「地獄変」ぐらいですが、他にも何かあったら教えてください。

Aベストアンサー

持っているだけでまだ読んでいないものが多いのですが。

宮尾登美子『序の舞』
森鴎外『天寵』
辻邦夫『回廊にて』
アーヴィング・ストーン『炎の人ゴッホ』
オノレ・ド・バルザック『知られざる傑作』
O・ヘンリー『最後の一葉』
ヘルマン・ヘッセ『湖畔のアトリエ』
サマセット・モーム『月と六ペンス』
エミール・ゾラ『制作』

主人公ではありませんが、フェルメールのモデルからの視点で。

トレイシー・シュヴァリエ『真珠の耳飾りの少女』

Q人を勇気付ける慣用表現

今度、手紙にアメリカに留学しようとしている友達へ手紙を書きたいのですが、何か一言英語で慣用表現で人を勇気付けられる言葉を書きたいです。例えば「信じる心と勇気を持っていれば夢は叶う!」の様なのを英訳してみるとか。とにかく、何か教えてくださいお願いします。

Aベストアンサー

Go forward! 前に向かって進め!

 ラグビーで使われる言葉です。ラグビーはボールを持って敵陣に突っ込みタックルをかわしてゴールを目指す競技です。いかなる困難があろうとも、万難排して目標に向かって突き進め、というイメージの言葉です。単純なだけ、心に残る言葉だと思います。

Q慣用表現とイメージについて

 先日、ジャンル「言語」で「猫撫で声」についての質問(249499)をしたのですが、そのときの回答を読んでいろいろ考えさせられたことがあるので、また別な形で質問をしてみることにしました。よろしくお願いします。
 要点は「慣用表現とイメージの関係」ということになるかと思います。どういうことかというと、わたしなどは「猫撫で声」という表現に対すると、そのイメージ(五感すべてを含む)が自然とそのたびに浮かぶことが多いのですが、どうも一般的には猫の影もちらつかないようです。当初のイメージが擦り切れてしまった後に、はじめて、その表現は常套句と呼ばれるに値するものになるのでしょうが、表現とイメージとの関係についてはどうやら個人差が大きいように思えます。
 たとえば「燈台下暗し」という慣用表現がありますが、あるときまでわたしはこの表現を耳にしたり、眼にしたりするたび、港の灯台を思い浮かべていたのでした。そして、ここでいわれている燈台が港の灯台ではないと知った現在でもなお、この表現に対すると、まず夜の静まりかえった港の灯台をイメージし、そのあとで、おもむろに、ああそうではなかったと自嘲気味にそのイメージを再変換しているような感じなのです。あるいはサルスベリをみるときまって間抜けな日本猿が頭を過ぎったりもするのです(あ、これは慣用表現ではありませんね)。
 そこで質問なのですが、みなさんにはそのような経験はないですか。たとえば「走馬灯のように思い出が駆け巡った」という文章で、走馬灯がいちいち脳裏にちらつくこと、あるいは「蛇足ですが」という言葉にあの爬虫類をイメージして鳥肌がたつこと(この鳥肌という単語にあの鶏の肌を思い浮かべてさらに鳥肌がたったりして……)、そんなことはありませんか。慣用表現とイメージとの関係で、個人的な興味深いエピソードがあれば教えてください。お願いします。

 先日、ジャンル「言語」で「猫撫で声」についての質問(249499)をしたのですが、そのときの回答を読んでいろいろ考えさせられたことがあるので、また別な形で質問をしてみることにしました。よろしくお願いします。
 要点は「慣用表現とイメージの関係」ということになるかと思います。どういうことかというと、わたしなどは「猫撫で声」という表現に対すると、そのイメージ(五感すべてを含む)が自然とそのたびに浮かぶことが多いのですが、どうも一般的には猫の影もちらつかないようです。当初のイメージ...続きを読む

Aベストアンサー

前回もコメントさせていただいたmartinbuhoです。
慣用表現を使うに際し、その言葉に込められた本来のイメージに悩まされた経験はほとんどありません。私の場合、大部分の慣用表現は先ず耳からはいり、数多く聞いているうちに意味がなんとなく分かり、後に正確を期すため辞書で調べるものが多かったせいだと思います。『それは間髪をいれずやることが大事だ』というとき、毎回どの程度の隙間だろうかなどと考えたりしません。間髪即ち即座にと覚えているからです。

このような表現は中国古典から取り入れられ、それが徐々に民間(庶民)にまで広がったものが多いので、どの段階(分野)で使用されるかによって意味が微妙に変化することもあります。(猫なで声の娘が先か、やくざが先かの例)。ある言葉はAからB、BからC、CからDというように時代(時間)とともに使用される分野が広がり、原典から離れて特殊な意味でのみ使われることも起こってくると思います。中には理解できない言葉と化してしまうものもあります。Cの段階で使い始めた人と
Dの段階で使う人では理解に差が生じる事もありえます。

「蛍雪」「行灯」「灯火」「灯台」「走馬灯」などの古い言葉や外来語(中国からの)を使用した慣用表現、ことわざなどは元のイメージは湧かず、辞書で意味を覚えるのが精一杯ではないでしょうか。

人それぞれですから断定は出来ませんが、あるとき「蛇足」という言葉の存在に気がつき、その意味を調べて使い始める人よりも、このような場合には大人は(或いは知識人は)蛇足という表現をつかうのだ・・と耳から覚えた言葉を自分も使い始め、その語源にまで興味をもつこともあるでしょうが、全ての言葉の語源をひとつひとつ調べる人は少ないような気がします。従って音だけで理解し、あるときとんでもない誤解に気がつくこともあるわけです。言葉の意味から入らず漢字から入った人には漢字が気になって仕方がない人もいると思います。

前回もコメントさせていただいたmartinbuhoです。
慣用表現を使うに際し、その言葉に込められた本来のイメージに悩まされた経験はほとんどありません。私の場合、大部分の慣用表現は先ず耳からはいり、数多く聞いているうちに意味がなんとなく分かり、後に正確を期すため辞書で調べるものが多かったせいだと思います。『それは間髪をいれずやることが大事だ』というとき、毎回どの程度の隙間だろうかなどと考えたりしません。間髪即ち即座にと覚えているからです。

このような表現は中国古典から取り入れられ...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報