10秒目をつむったら…

現在の標準語は京都弁であったという事を以前にラジオで聞いたことがあります。詳細がわかる方教えてください。

A 回答 (6件)

 幕末ごろまで「どすな(どすえ)」「でおます」などの、所謂今われわれが京都方言と感じる言葉はあくまで町方の話し言葉で、御所や格の高い寺院ではそれとは別の話し言葉が用いられていました(御所言葉などという場合もある)。

アクセントも上方方言とはだいぶ違っていて、語尾は「~しゃる」(される、なさるの意)が多かったようです。京都の上流階級が維新でそっくり江戸に移ったためこれが東京に移り、宮中ではもっぱら用いられるようになったとの説もあります。どちらにしろ現在の京都方言より、はるかに標準語に近い様相を持った言葉であったようです。井之口有一氏の「京都尼門跡使用の御所ことばの音声分析」など一連の論文に研究の成果が収録されています。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。大変納得性が高いとおもいます。満足しました。

お礼日時:2004/11/16 12:52

少しご質問からずれます。



現在の標準語、共通語と言うか、ラジオ、テレビのニュース等でアナウンサーが話しているのは東京の山手で話されている言葉に最も近いそうです。

このことは印刷物、ラジオで何度も見聞きしましたが、私自身は東京の山手に行ったことがないので自分の目、耳で確かめた訳ではありません。

少しでもご参考になれば幸です。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。山の手の言葉は何時移入されたんでしょうねぇ。京都との関連がわかればもっとうれしいです。

お礼日時:2004/11/16 12:50

ありんす→あります。


ごじゃる→ございます。
その当時、最も綺麗と賛美されていた京の言葉を基準にした可能性は捨てきれません。

とても、「てやんでぃ」「べらんぼう」の江戸言葉を基準にしたとは思えません。

私的に、作法は京経由と考えています。
東京の人は戦前、方言を使用していましたし、
先祖代々東京の方は数割程度だそうです。

皆さんに質問します。
維新になり、学校を作り教科書を作成した政府は、
薩摩、長州、京の人間です。
一体どこを基準に標準語を設定したのでしょうか?
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。
ここまできて、リファレンスが出てこないと言うことは私が聞いたのはどこかの教授の仮説だったのでしょうかねぇ。

お礼日時:2004/11/14 19:24

#1です。

#2さんの回答を見てなるほどそういうことかと合点がいきました。質問を取り違えていたようで、すみません。

わたしなりに、再度回答させていただきます。
現在の「方言」の分布を見ると近畿地方を中心にして遠ざかるほど古い時代の近畿地方(奈良・京都)の言葉が残っています。(参考URLは一例)

ただ、質問の「現在の標準語」について言えば、これとは事情が多少異なるはずです。

というのも、江戸時代に政治の中心が江戸に移り、江戸時代の終わり頃には、文化的にも江戸は上方(関西)とは別の独自の発展を示しました。当然、近畿の方言が周辺に伝播していくというそれまでの流れが変わり、江戸を中心とした動き(京都で発生したのではない流行語)も生じていたはずです。

現在の「標準語」はこの江戸の言葉をもとに、明治時代に作られたものですから、質問にある「現在の標準語は京都弁であった」という言い方は、不正確なところが多分にあります。
(#2さんが「標準語」でなく「関東地方の言葉」と言われているのは、こういうことを含んでいるのかも知れません。)

進化の説明として「人の先祖はチンパンジー」などと不正確な言い方をする場合があるようです。もちろん、チンパンジーが進化して人間になったわけではありません。共通の祖先を持ちながらも、それぞれ独自に進化したのです。これと同様のことが、「現在の標準語は京都弁であった」というラジオの表現にも言えると思います。

参考URL:http://ww4.tiki.ne.jp/~rockcat/kougi/hougen5.html

この回答への補足

修正回答有り難うございます。参考URLはためになりますね。#2さんへのお礼にも書いているのですが、標準語から京都弁にスイッチしたと聞いたのですよ。不思議だなぁ。

補足日時:2004/11/14 11:11
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この回答へのお礼

お礼に書いたつもりがなぜか補足に。ごめんなさい。

お礼日時:2004/11/14 19:20

方言周圏論の話だと思います。



都であった京都で話されていた言葉が徐々に周辺の地域に広まっていくのですが、京都で新しい言葉が流行するとそれがまた後を追いかけるように周辺に広まっていく。結果として京都を中心として波紋が広がるように、西と東の離れた地域に同じ語が方言として残っているというものです。これに従うと、現在の関東地方の言葉は京都からはるばる伝わってきた京都の古い流行語、ということになります。

これはもともと民俗学者の柳田国男が、カタツムリを指す言葉の分布を基にして立てた仮説ですが、しばらく前にテレビの「探偵!ナイトスクープ」で「アホ」と「バカ」(および他の多数のアホバカ表現)の全国分布について調査をした結果がこの仮説に適っているとして注目されました。この経緯を番組のプロデューサである松本修さんが「全国アホ・バカ分布考」という本にまとめられており、柳田国男の説も含めて詳しく楽しく読むことができます。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101441 …
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この回答へのお礼

早速の回答有り難うございます。「ナイトスクープ」の「アホバカ」は面白い実験でしたね。この話だと割と素直に納得するのですが、私が聞いたラジオは少し違います。かなり前なので、記憶が曖昧なのですが以下のような事をいっていたような気がします。

・対象は今の標準語
・「どす」を含む今の京都弁は標準語の後でできた
・イントネーションも含めてスイッチした
・スイッチしたのは江戸から明治の境(あやふやです。室町から江戸かもしれません)
・標準語を喋っていたとき、大阪は大阪弁だった

お礼日時:2004/11/14 11:07

「現在」ではなくて「昔」ではないでしょうか。


京都に都があり、実質的に日本の中心であった時代には、京都の言葉が「標準」であったと言ってもいいかも知れません。(書き言葉の場合は特に)
しかし、現実としては、日本で国語の「標準」が意識されるには明治時代を待たなければなりません。それ以前は当然のこととして地方により異なる方言が用いられていたのです。
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この回答へのお礼

早速の回答有り難うございます。ラジオではイントネーションも含めて京都弁が使われたという風に言ってたんですけどねぇ。

お礼日時:2004/11/14 10:57

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