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イタリアの教会(例えばサン・ピエトロ大聖堂とか)を見ると、非常に手間暇かけて作られているのが分かります。
日本人的な繊細さやこだわりや辛抱強さを感じるのです。(美的センスの方向性は全く違いますが)

さて観光の途中で私は違和感を感じました。どうも現代イタリア人のイメージとこの手間暇かけた建造物が合わないのです。
なぜ陽気でいい加減なイタリア人がこんなものを作りあげることができたのか不思議でなりません。
彼らは芸術になるとこだわるのでしょうか?それとも、当時と今はイタリア人の気質がちがうのでしょうか?ルネサンスでたまたまそういう文化だったということでしょうか?

どなたか私の違和感を解消してもらえませんか?


ちなみに中国の紫禁城なんかは、細部を見るとけっこう適当だったので「やっぱり中国人だなぁ」と素直に納得しました笑

A 回答 (6件)

今は、当時のメディチ家のような、国を牛耳るほどの財力を持つ財閥がいないから


「芸術家」を抱え、アレコレと作らせることがなくなったのが要因。

今の芸術家は「自分が作りたい作品を作りつつ、時々入る注文品を収め」て
生計を立てるが、
当時の芸術家は、絵画、彫刻はもちろん、音楽家なども
特定のパトロン(スポンサー)に抱えてもらっていた訳です。

当然に、パトロンは自己の財力顕示欲のために金に糸目をつけず
「凄いモノ」を作らせていたからトテツモナイ物が出来上がっていったのです。
予算ありき、で指示されたものを作る現在とは違い、
他のヨーロッパ貴族をも唸らせる作品を作らせていたのだから
桁違いに素晴らしいものがリリースされていた訳です。
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この回答へのお礼

本当の正解はたぶん誰も分かりませんが、zipang_styleさんの回答がなんだか一番しっくりきました。

今の日本だって日光東照宮レベルのものを作れって言われても、お金の問題で無理でしょうからね。徳川幕府の強力なバックアップがあって初めてできるものだともいます。

お礼日時:2018/12/13 18:45

他の方も書かれていますが、イタリア人はフェラーリなどの職人技やルイヴィトンなどの繊細な小物などの評価が高い国ですし、ストラディバリウスのような楽器の名品工房もありますから、けっして芸術的な気質に劣る国ではありません。

むしろヨーロッパの中でも「芸術性」は高い方です。

イタリアの教会に限らず、ヨーロッパの教会が素晴らしいのは「信仰心」によって作られているからです。

信仰心によって作られる、というのは「祈ればできる」ということではなく、大工や装飾を担当する人々が「神から与えられた自分の特技(ギフト)を神に向かって感謝し、神の存在を証明するために熱心に作る」からです。

ちょっと日本人の理解では???になると思いますが、キリスト教徒は基本的に「自分が今生きているのはなぜか?→神が私に命を与えたからだ。では私に特技があるのはなぜか?→神が与えたギフトだからだ。だから『神が存在している』と言う証明のために私は与えられたギフトを使って素晴らしいものを作れば、それは『神が与えた能力であり、だから神が居るという証明になる』から一生懸命、芸術性が高まり手間も掛けて作る努力をする」のだ、と考えているのです。

中国人も儒教に基づいた職業倫理感がありますが、紫禁城は清という漢民族を支配したモンゴル系の民族王朝なので、ちゃんと作る気はなかったでしょう。だからところどころ杜撰なのだと思います。

日本人は職人を評価する文化があるため、キリスト教徒とは違った倫理観で「良い仕事」をしようとするので、細部もちゃんと仕上げるのです。
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イタリアの北部の方は南部の方と違って勤勉な方が多い印象を持ちます。


あと、全体的に凝り性(というか一つ事に力を注ぐというか)という印象もあります。

参考まで。
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日光東照宮などはご存知だと思いますが、


アレが作られた江戸時代は
今の日本とは全然違い「いい加減」な世の中だったそうです。

朝起きて「めんどくせえなぁ」と思ったら一日ゴロ寝。
仕事に行っても午後には帰ってきて趣味に没頭。
手に入れたオカネはすぐ使ってしまう。

巨大都市「江戸」の庶民の生活なので
大多数を占めていた地方の農民とは少し違うのでしょうが
その江戸庶民のうちかなりの人口が職人方であった点が
参考になるのかな、と思います。

「こころが豊か」だったのでしょう。
当時の版画を見ると、大変に精密なのに
人の表情が大変に豊かで人間味あふれています。
そのような感性をキャッチするだけの余裕があったのだと思いますが、
ご質問にあげた当時のイタリアも同様な感じだったのでしょう。

そこに「情熱」と言うエネルギーが入ると凄いものができる。

直近の日本においては高度成長期がそうだったと思います。
電子デバイスの発達により芸術ではなく工業製品に進みましたが
当時は子供から大人まで電気機械工作に夢中になり
それが経済大国に発展する原動力になった。
今は、ゲームとかアニメとかに方向が変わっていますけどね。

イタリアは日本以上の先進技術大国ですが
政治的に世界のイニシアチブを取れないので大きく見えません。
経済規模も日本より小さいので猶更ね。
その結果、くだらないマスゴミが発信する「ちゃらいイタリア人」
というステレオタイプなイメージだけが浸透している。
これは
欧州人が日本人を「ゲイシャとフジヤマ」と言うのと同じです。
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陽気でいい加減なイタリア人って一括りにするのもどうかなと。



日本人にも、陽気でいい加減な人もいるように、イタリア人の中にも職人魂で繊細な仕事をする人がいたって良いじゃないかと思うのだけど。
まして、教会建築と言うのは、神への奉仕の意味合いもある訳で、いい加減にできるはずがない。
真面目で繊細で、もしかしたら普通の仕事じゃコミュ障扱いされてたような人でも、教会建築でなら実力を発揮できたかもしれない。いや、むしろ、そういう人ほど、教会建築に向いている。

生活のため、お金をもらうためだけに働く人はいい加減でも、神への祈りをこめて奉仕している人は真面目。
宗教って長所も短所もあるけど、やっぱりすごいんだよ。信仰心は馬鹿にしちゃいけない。

以上、私なりの解釈でした。
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「フェラーリ」や「ランボルギーニ」「マセラティ」など、超高級なスポーツカーって、イタリア車ですよね。


「陽気でいいかげん」っていう仕事では、こういった車は作りあげることができません。
それらの車は、単なる移動手段の道具ではなく、芸術品、工芸品って感じでしょう。

スカパーの番組で「世界の巨大工場」という番組でフェラーリの工場が紹介されたことあります。

工芸品的にベテラン職人が精密な手作業でダッシュボードやシートなどを作りあげているかと思えば、最新のコンピュータシステムによって生産管理をやったり、エンジン性能を自動でチェックを行っているところもありました。
私もこの工場の様子をみて、「陽気でいいかげんなイタリア人ってイメージに合わないなあ」と思いました・・・。
拳銃のベレッタもイタリア製ですね。

また「陽気でいいかげん」っていうイメージは米国人にも、ちょっとありますよね?
たとえば、昔の会社でアップルの「MacⅡ」って高いやつを購入したことありました。
なにかの必要があって、本体を持ちあげたら「カラカラ」って音がしたので、ケースを開けてみたら、内部のネジがはずれてころがっていたんですね。「うーん、いいかげんだなあ・・・」と思ったものです。
でも、大東亜戦争において、日本が大敗北した、ミッドウエー海戦の米軍の戦いの再現映像を見ると、日本軍みたいな「必死の戦い方」をやっているのですね。
帰りの燃料が無くなって空母まで戻れないかもしれない、という状況でも、戻れないのを覚悟して、日本軍空母の探索を続けた偵察部隊もありました。
また、その後、魚雷攻撃を仕掛けるも、第一弾の雷撃部隊の全機がゼロ戦に撃墜されても、ひるまずに攻撃を続けたりしています。
(まあ、軍隊だから命令には逆らえないってのもあるでしょうが・・・)

金で雇われた傭兵部隊って、普段はいい加減な「遊びモード」で、酒、賭け事などで過ごしていても、銃声や爆発音が聞こえたら一瞬にして「戦闘モード」に切り替わってライフルを持って戦いに挑む(あるいは、逃げる?)といいます。

きっちりメリハリがあるってことではないでしょうか?
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