1. 日本語文におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求める中に 表題を
考えます。ご見解をどうぞ。
2. つまりたとえば:
( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。
3.これは まづは・あらかじめながら:
(α) 《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文
と捉えます。
4. このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないようです。次のようにまったく
違ったふたつの解釈が 文脈を別とすれば ふつうに・そして互いに自由に対等に
できるようです。
( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例:
・ 太郎が好きな相手は 花子だ。( Taroh likes Hanako. )
( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例:
・ 太郎を好きなのは 花子だ。( Hanako likes Taroh. )
5. 言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格
かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かをそのままで意味しうるからです。
6. つまり (a)文のハ格は 主格――Aガという主語をしめす(a-1)――となっ
たり 対格――Aヲというように主語の動作の対象となっている(a-2)――を代用した
りする。
7. 言いかえると 文の中の語句どうしの意味連絡を確かめる前の段階では ハ格も
ガ格(ガ格一般)も ともにその意味は確定しない。こういうことになります。
・・・
A 回答 (9件)
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No.1
- 回答日時:
貴方が書きたいのは『文法』であって『論理』とは異なります。
ま 長い論考を端折っているのですが 文法のあり方によって
論理の表わし方が――朝鮮語を除いてほかの言語とは――違っ
ているという趣旨です。
ご回答をありがとうございます。
つまり 主格( S )‐対格( O )‐述格( V )という意味連絡
は 論理を表わします。《何々ガ 何々ヲ 何々する。》。
けれども この S-O-V (または S-V-O 文型)の論理が 文
にそのままのかたちには 示されていない。
そういう日本語のひとつの特徴を取り上げて 考えてみようと
いう趣旨です。どうですか?
No.2
- 回答日時:
英語でも日本語でも、数学や自然科学で共通の思考方法を使います。
ある数学や自然科学のテーマを、英語で考えるのと日本語で考えるのとで、別の結論になるような事は、ありません。
そうですね。帰着するところは 同じでしょう。
――ご回答をありがとうございます。
つまり こうです。:
☆☆ 2. ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。
☆ という日本文は その文法のあり方によって 表現内容として
次のふたつの意味――それとして論理――を 同じひとつの文のま
まで 持つことがふつうに出来ています。
☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~
4. ( a-1 ) Taroh likes Hanako.
( a-2 ) Hanako likes Taroh.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 言いかえると ハ格やガ格がそれぞれ そのままでふたつの意
味を持ちます。
( a-1 ) ハ格⇒ガ格(主格)
ガ格⇒ヲ格(対格):
太郎ガ( S )花子ヲ( O )好く( V )。
( a-2 ) ハ格⇒ヲ格(対格)
ガ格⇒ガ格(主格):
太郎ヲ( O )花子ガ( S )好く( V )。
☆ これら二つの《論理》に帰着しますから 結局としては:
★ 英語で考えるのと日本語で考えるのとで、別の結論になるよ
うな事は、ありません。
☆ もっともそのためには 文脈のチカラを借りたりしなければ
ならないのですが。
No.3
- 回答日時:
狭義の論理では、命題と命題の間にある関係性を論じます。
命題を、複数の解釈が可能な曖昧な表現をするのか、1意にしか解釈できない簡潔明瞭な表現をするのか。
それは表現方法の問題です。
日本語だろうが英語だろうが、非論理的な表現、フィーリングに基づく表現、抽象的な表現というのは、あるのです。
言語の問題じゃないのです。
ご回答をありがとうございます。
★ 狭義の論理では、命題と命題の間にある関係性を論じます。
☆ ひとつの命題(判断――つまり文も(文が)それです)の内部でも
考えの筋道が 成り立っていると思います。
問い(としての主題提示)とそれに対する答え(としての論述提示)で
す。
☆☆ (α) 《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文
☆ 問い(主題)⇒ 答え(論述)
★ 命題を、複数の解釈が可能な曖昧な表現をするのか、1意にしか
解釈できない簡潔明瞭な表現をするのか。
それは表現方法の問題です。
☆ その表現の方法が 文の成り立ちとしての規則(つまり 文法)
――その各言語ごとのあり方――によって違ったかたちを採ってい
ます。
それは 《論理の表わし方》のことではないのですか?
★ 日本語だろうが英語だろうが、非論理的な表現、フィーリング
に基づく表現、抽象的な表現というのは、あるのです。
言語の問題じゃないのです。
☆ 両義性(アンビギュィティ)という言葉は たしかに《あいま
いさ》という意味をも持ちますが その原義にもとづくなら 論理
(意味)がふたつの別の内容を持つということです。
しかも その二つのどちらも 決して《あいまい》ではなく 《フ
ィーリングがどうであろうと》 それぞれの意味(論理)は 一義
的に決まる文法の言語があるのです。
太郎が(または花子が) じつは《フィーリングでは》いやいやな
がらなのであっても・あるいは文字通りであっても 文の表示する
意味――ただし 日本語ではふたつあります――は まったく問題
のない論理的な内容です。
文意が・つまり話者の真意がどうであるかが 必ずしも文表現だけ
では定まらないのは おっしゃるとおり どの言語でも 同じこと
です。
No.4
- 回答日時:
あなたが論じたいのは修辞学だと思うのですよ。
論理の世界では、単語の定義、文章の解釈を一意に定めないと、議論が成立しません。
ご回答をありがとうございます。
★ あなたが論じたいのは修辞学だと思うのですよ。
☆ いえ それは カテゴリとして違います。
修辞学というのは すでに一定の文法によって成る共通の同じ言語を
用いているとき そのあと人によってその自己表現を 言葉の用法の
ゆるすかぎりで(あるいは ゆるさないと見られるときにも) さま
ざまに工夫し推し出すというときの作法です。
ハ格とガ格の用法――文法――は ひとつの言語が これこれこうい
う特徴を持った言語だと共通の認識が得られるその過程での仕組みで
あり その発見です。
人によって ハ格とガ格の用法を用いるかどうかが違ってくるという
問題ではないのですから。
★ 論理の世界では、単語の定義、文章の解釈を一意に定めないと、
議論が成立しません。
☆ 語の定義は 広い意味での辞書〔作成〕の問題です。
文章とは 文という・自己の思想表現として最小の単位体の集まりで
す。
文についての定義は すでに述べました。
《論理》ということで言えば いまここでは 文というひとつの判断
(つまり 命題)をどのように筋道立てて推し進め ひとまとまりの
文章とするか。というそこにおける推論の問題としては まだ扱って
いません。
No.5
- 回答日時:
> 人によって ハ格とガ格の用法を用いるかどうかが違ってくるという問題ではないのですから。
いいえ人によって違います。
誤解を生まないような、カッチリした文章を書こうと思うと、助詞も含めて、適切な単語を選択して組み合わせる必要があります。
ええっとですね。ご回答をありがとうございます。
☆☆ 3. (α) 《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文
☆ これは じつは 日本文だけではなく あらゆる言語にとって
基本の構文だという見方をもしています。
A(中心主題)-B(関係主題)-C(論述)
______________________________
( b ) 象ハ 鼻ガ 長い。
( c ) 私ハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。
( d ) 時ハ 〔それ=時ガ〕 金なり。
( d-Fr. ) Le temps. c'est de l'argent.
(逐語訳) The time, it-is (some of the) money.
( d-E. ) Time is money.
(分析) Time, it-is money. ( is は it-is だと決まっている)。
☆ この構文は 言語にとって初源の形式だと仮説され それはいま
別としても 基本的な成り立ちを示す表現形式なんです。
つまり 人によって使うか使わないかが違って来る問題ではないので
す。
No.7
- 回答日時:
「太郎ハ {花子ガ 好き}(だ)。
」この文の「花子が好き」は《従位節》です。(従属節とか従節とかとも呼ばれますが)
《従位節》のない単文の例は、たとえば、「太郎は{生徒}(だ)。」
このいずれも文末の「だ」は文体による選択肢でなくても文は成り立ちます。なぜかというと、この場合の主節(太郎は~だ)は動作を言っているわけではないので動詞は要らないからです。――日本語で主部と述部を連結する役目をするのは助詞であって動詞ではありません。(英語では動詞が主語と述部を連結する役目をするので、動作を言うわけではない場合も、連結語として be動詞を必要とします。)
この文の実際に意味するところは文脈によって知ることになります。誤解を招きそうなら言葉を付け足したり、言い方を変えます。言葉とはそういうものです。(文脈もなしに一文だけですべてが分かることを理想にするのは非現実的です。もしかすると、それが古代ローマ時代辺りの言語学に携わった人たちの過ちで、西欧語には単複の区別を常時表示するルールがあるのかもしれないとか勘ぐりたくもなります。)つまり、箇所が違うだけで、英語のあいまいさは実は日本語以上だったりします(あとは”使用者の問題”だったりします)。
「太郎は 花子を 好く。」
この場合は、動作動詞「好く」は、この動作の作用を受ける対象(「花子を」)を要求する他動詞で、これは単文です。(ちなみに、従位節のある文は複文と呼ばれます。)
「太郎ハ {花子ガ 好き}(だ)。」これを敢えて構造をそのままに英訳すると、
Taro is (that) Hanako is the one he likes [あるいは、the one who likes him].
という複文が考えられます。しかし、英語ではこういう表現はしませんから、
意味と日英語の主語の概念の違いを考慮して、あり得る英文にすると、
Speaking of Taro, Hanako is the one he likes (a-1) [あるいは、the one who likes him (a-2)].
となります。
日本語の原文と同程度に普通の平易な表現はというと
Taro likes Hanako. [あるいは Hanako likes Taro].
です。しかし、これは逐語訳的には「太郎は 花子を 好く。」です。
今回の例では、日本語は同じ文字数で、Speaking of Taro, Hanako is the one he likes と言うだけのニュアンスを表現するわけですね。「は」だけで speaking of (=about) が表せたり、「が」だけで (is) the one を意味できるのが便利なようです。単文より複文のほうが叙述的なので、それで日本語では「太郎は花子が好き(だ)」と言うほうを好むのでしょう。
日本語の文法は私がこれまでに見てこれた限りでは、とかく有標で単純ですが、英語の単語数は日本語より多そうなのに基本的な単語ほど非常に多義で、単語だけでなく構造も多義なものが多く、そのうえ無標で符号的に複雑で、意味が分からないと分からないという矛盾に満ちています(自・他動詞や「してもらう」「してくれる」などの形を区別せずに動詞の作用の向かう方向の判断は意味や文脈に委ねられています)。つまり、このように文脈で分かるから、何でも同じ形、同じ単語で済ませて簡素にするのが英語です。しかし、それでも口語で普通に話す際は(=平易でぶっきらぼうでない言い方としては)、叙述的な that節のほうが、準動詞(分詞と不定詞)による簡潔な"句"より好まれます。
(因みに日本語には修飾語に時制の有無による句と節という大小の違いはなく、英語の句と節のあいのこと言えるような、手短かでかつ叙述的な表現が、単純な時制構造と助詞のおかげで可能で、これしかないわけです。この辺りは単純に収まっていますが、話者の態度や感情表現をまるで文法が要求しているかのように、文末にほぼ常時必要とするのが日本語です(日本語で複雑な箇所は言いたいことに関することということになります)。聞き知る限りでは、感情表現についてはスペイン語もそうらしいです。スペイン語はカラフル、日本語はポエティックだと形容するアメリカ人もいました。日本語がポエティックというのは言語構造というより社会的なもので、…まあ、言語構造からの影響で、数式的な英語はなにかと人が思い込みで安易にルールを作りがちなため疲弊している部分が(かなり)あって[イギリス人が書いた世界に人気の文法書がこの文法書は一部の人が良いと思う”ルール”についてではないと断り書きをしていたりします]、それに比べて、日本語という言語には確かに《表現の自由》があります【日本語のような言語を知らない英語のような言語の世界の住人であればそれが”当たり前”なわけで”そういうもの”でしかないわけですが】。[巨大な文法書、CGEL の著者の一人がカリフォルニア大学(UCSC)のホームページでインタビューに答えて、これまで人々はありもしない文法におびえてきた、19世紀の神話("myth")を掃わないままの20世紀の文法書を引っ提げて21世紀に臨もうとしていると言っています。CGEL の言う新しい捉え方が何でも正しいとも思ってませんが。日本語の言語構造を研究することが諸言語の研究をさらに進捗させることと思っています。実際、聞くところによると学説によっては最近は、目的語も補語のうちでどちらも動詞が要求する要素という点で同じと捉えます。主語も動詞が要求するひとつの要素とする考え方もありますが、これは英語とそれに似た言語ならではですね[こういう言語は、要するに、動作主であるところの主語と動詞の組み合わせを明示することでようやく、日本語で動詞だけ(叙述的に複雑で非常に表現豊かではありますが)でやってること(の一部)を表現している、というわけです]。日本語はこの辺の文法が単純で分かりやすいからですが、昔からそう捉えてきました。つまり、大きく分けて連体修飾語と連用修飾語がありますが、目的語も補語も動詞の要求に応える要素という点で同じ連用修飾語ということになります。])
ご回答をありがとうございます。
★ 「太郎ハ {花子ガ 好き}(だ)。」
★ この文の「花子が好き」は《従位節》です。
☆ あたらしい説ですね。これまでに分かっていることは 主格補語ですね。太郎
(主格語)について 何らかの説明をくわえる補語( complement )または 属詞
( attribute )とも。
その定説(だと思いますが)によれば 次も同じです。
★ 《従位節》のない単文の例は、たとえば、「太郎は{生徒}(だ)。」
ちょっと混乱があるとわたしには見えます。
★ 連結語として be動詞
☆ これは 一般に繋辞( copula )と呼ばれる文の要素で これは省略され得ます。
(ロシア語など)。
これはいいとして 次には混乱があるはずです。
★ 日本語で主部と述部を連結する役目をするのは助詞であって動詞ではありません。
☆ 述部(論述部・述語)には ふつう動詞(動態用言)が来るのです。先ほどの繋
辞もこれにふくめます。
助詞は それが承ける体言(名詞)などの主題語が ほかの主題語とどういう意味関
係にあるかを示します。AカラBへ と言えば 起点と着点の関係をしめします。
★ この文の実際に意味するところは文脈によって知ることになります。
☆ つまりすでに話題になっているわけです。太郎と花子の関係をめぐってどちらの
気持ちを話し合っているかが分かっている。
この場合について:
★ 英語のあいまいさ
☆ はないです。
★ Speaking of Taro, Hanako is the one he likes (a-1)
[あるいは、the one who likes him (a-2)].
☆ というように いづれか一つの文にしなくてはなりませんし そういう形で明確
です。
★ 日本語の文法は・・・とかく有標で単純
☆ ハ格などの主題格(という有標)が 主題語どうしの意味連絡を明確に示します。
★ 英語 は 無標で符号的に複雑で、意味が分からないと分からないという矛盾に
満ちています。
☆ これは 語順などにもとづく文型がすでに決まっているということを意味すると
思われます。
つづく
No.8
- 回答日時:
>★ 「太郎ハ {花子ガ 好き}(だ)。
」★ この文の「花子が好き」は《従位節》です。>☆ あたらしい説ですね。
新しくも何ともありません。前から言ってることです。
あとは、どうぞ、永遠の迷路遊びをお楽しみください。
ご回答をありがとうございます。
★★ 「太郎ハ {花子ガ 好き}(だ)。」
★★ この文の「花子が好き」は《従位節》です。
☆ 複文と見ての分析ですね。すなわち:
★★(№7) ~~~~
Speaking of Taro, Hanako is the one he likes (a-1)
[あるいは、the one who likes him (a-2)].
~~~~~
☆ ただしですね。単文として出来上がったと認識できるのではないか?
単文のままでじゅうぶん捉えることができるという事態があり そのこと
は 表現のあり方から言って 自然でふつうの――あるいは初源の――形
式だという見方が成り立つはずです。
( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》
( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》
☆ という解釈が――述部が 好き‐だ と 好く の違いがあるから――
だめだとしても 《好き》を体言(名詞)として・しかもその対象をも示
す語と採ればいいのでは?
( a-1-1 ) 太郎トイエバ 花子ガ 好き〔の相手;あこがれ〕だ。
( a-2-1 ) 太郎ガ 花子ノ 好き〔の相手;意中の人〕だ。
☆ 主題を提示するハ格やガ格は あたかもそのウラにおいても 別の格
(文の意味連絡のための)を そのままで表わすことができる。――この
《事件》は 注目してよいのではないでしょうか?
☆☆(№5お礼欄) ~~~~
A(中心主題)-B(関係主題)-C(論述)
______________________________
( b ) 象ハ 鼻ガ 長い。⇒ 象ノ鼻ハ長い。
( c ) 私ハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。⇒ 私ノ注文ハうなぎだ。
( d ) 時ハ 〔それ=時ガ〕 金なり。
( d-Fr. ) Le temps. c'est de l'argent.
(逐語訳) The time, it-is (some of the) money.
( d-E. ) Time is money.
(分析) Time, it-is money. ( is は it-is だと決まっている)。
~~~~~~~~~~
☆ 文例( b )も( c )も ( a )と同じく 複文として解釈する
ことが出来ます。
No.9
- 回答日時:
日本語というか、日本人は相手を思いやる気持ちが強いですからね。
文脈上省けることはできるだけ省くことが美徳と考えられています。そのため、言葉も文脈依存性が強いのでしょう。だから、文だけでは意味が確定しないんですよ。その最たる例が「私はうなぎだ」ですね。なぜ日本人において相手を思いやる(空気を読む)気持ちが強いかというと、おそらく日本が島国だからですね。長年、異文化人が入り込む機会が極めて少ないので、同じような風貌・思考の人が多かった。だから同じ言動をしないと、とても浮いてしまう。そんな社会で生きていくための処世術として、空気を読むようになった。そして、それに伴って言葉も省略されていくようになったのでしょう。
ご回答をありがとうございます。
★ 日本語というか、日本人は相手を思いやる気持ちが強いですからね。
☆ 言い回しの問題ですが わたしなら:
日本人は互いに生活のあり方が分かり合っていて そのぶん いちい
ち言葉にして表わさなくても 話し合いは成り立つ。
とでも言います。つまり:
★ 文脈上省けることはできるだけ省くことが美徳と考えられています。
☆ についても 《美徳》とたたえ合う前に 意志疎通に必要な部分だ
けを述べる。――のではないかと。
★ そのため、言葉も文脈依存性が強いのでしょう。
☆ となりますね。
★ だから、文だけでは意味が確定しないんですよ。
☆ はい。
★ その最たる例が「私はうなぎだ」ですね。
☆☆(№8お礼欄)
( c ) 私ハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。⇒ 私ノ注文ハうなぎだ。
☆ というふうに取り上げました。
★ なぜ日本人において相手を思いやる(空気を読む)気持ちが強いか
というと、おそらく日本が島国だからですね。
☆ ですね。
★ 長年、異文化人が入り込む機会が極めて少ないので、同じような風
貌・思考の人が多かった。
☆ 一定地域――たいていは村々の一定の集まり――の外へ出たり外か
ら入って来たりすることは 少なかったらしいです。島国のその内部に
おいても。
★ だから同じ言動をしないと、とても浮いてしまう。
☆ たぶん 《浮いてしまう》人間は ムラそれぞれに一人くらいはい
て その人間を包容しつつ 同質性を保っていた――のでしょうね。
★ そんな社会で生きていくための処世術として、空気を読むようにな
った。そして、それに伴って言葉も省略されていくようになったのでし
ょう。
☆ 必要以上に言葉を出して伝えなくてもよかった。
そして クウキについては これは 社会が言わば二階建て構造を採る
ようになったときに 現われたのではないか?
お二階さんたちは 偉いということに成っていた。じっさい威張ってい
たんでしょう。人びとは 生活や生命の危険にまでおよぶおそれがある
とき お上にさからうことを控えます。さらには 《忖度》するように
さえ成り その心の中の思いがクウキとして漂うように成ったのでしょ
う。
クウキに対しては 《水を差せばよい》らしいです。
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の向かう方向の判断は意味や文脈に委ねられています)。
☆ さだまった文型にそのような意味合いを表わすかたちがないのだと見られます。
★ 時制
☆ 言いかえると 用言(動詞)の時点にこだわった活用形については 英語のほう
に一日の長があるようです。
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★ CGEL
☆ は使い勝手がいまひとつだそうですね。
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☆ 間接目的語は 補語とも言えますね。
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☆ 意見を異にします。連用修飾語(副詞)は文の成分として 基本(必須)では
ないです。目的語(対格)は 他動詞にとって必要です。