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1. もし日本語が論理表現にふさわしくないというのであれば その根拠をしめして欲しい。

2. 考えられることは おそらく言語じたいの問題ではなく: 

[あ] 論理的に述べない主体の問題である。あるいは
[い] 論理的に述べようとしても 人間関係における社会的な力関係から
    かえって はばかられるという社会力学の問題である。

といった要因があるか。

3. 言いかえるとそれは 論理〔――つまりいわゆる主格( S )や述格( V )や対格( O )など格どうしの意味連絡――〕を省略しても差し支えない文の成り立ちを保っているからであろうか。
 
4. それは 主題を次から次へポンポンと提示して言い進めるかたち〔――《 A-ハ B-ガ C-ナリ / C-スル。》なる構文――〕を取っている。ただしそのかたちの中にも 英文などの S-V-O 文型におけるような論理連絡は むろん 表わされるように成っている。
 
5. つまり[2]から[4]を要するに 言語として論理表現にふさわしくないと言う根拠はないと思われるが どうか?

6. その上でさらに[あ]の問題を考えたい。すなわち 論理表現を阻む言語外の社会的な要因から自由になっても 主体じしんがなお あたかも曖昧の美学を信奉してのように 積極的にあいまいに表現しようとする。か?

7. 言ってみれば社会一般としても神道や仏教もが 人びとの漠然とした思想(生活態度)ないし言語習慣とつるんでのように 互いにそういう傾向を持つ。か?

8. すなわち言語じたいに責任はないけれども 主体じしん[あ]と社会環境[い]が歴史的に言語の表現形式をあいまいなかたちにすでに――ただしナラハシとしてのみ――固定してしまった。耶蘇教をもふくめてシュウキョウ思想は これに勝てなかった。

9. つまりそういう意味での(クウキ教と呼ばれる日本教が強いという意味での)定めなのか?


☆ どうお考えになりますか?


10. あるいはそう言うより むしろ人びとはいまだに神の定義ひとつをしないで ただ気分だけでチンタラチンタラ神談義をやっている。か?

質問者からの補足コメント

  • 11. 珍鱈節の神談義に浮かれる教徒の群れは いったい何なのか? 日本史のいったいいつからどこでこんなシュウキョウへと変容したのか。

      補足日時:2022/06/25 08:38

A 回答 (4件)

お礼ありがとうございます。



私は日本人の会話で形容動詞が単体で使われるのは、はい、いいえ、がはっきりしないので困る場面があると思いました。
大丈夫、大丈夫?
元気、元気?
親切、親切?
静か、静か?です。

bragelloneさんのおっしゃりたいことではないようなので、ありがとうございました。
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この回答へのお礼

あぁ。《単体で使われる》って聞いているんだから もうちょっと考えてみればよかったのに・・・と反省しきりです。

もっとも こういう使い方で意味が分からない・・・ということはないかとは思うのですが。

★★ (№3) 大丈夫のように
☆ というのは その使用例だったんですね。

そして:
★ 大丈夫、大丈夫?
☆ つまり:
★★ 語尾を下げればそのままの意味、語尾を上げれば意味の否定の言葉があるようです。
☆ ということでしたか。・・・

まぁ 語尾を上げれば 疑問形ですかね。つまり確かにそのままの意味を否定する方向にも移ろうとしている。なるほど。


ということで確かに:
★ 元気、元気?
親切、親切?
静か、静か?
☆ というように 形容動詞の語幹をそのまま用いて 肯定形や否定形が表わされる。・・・ということ。



あーぁ。そうか。てふてふさんがおっしゃってくれたように この場合 《論理が迷う》ことは無いかもしれない。肯定か疑問/否定かということで どちらかには定まる・・・ですかね。


すっきりしました。てふてふさん おひさしぶりです。すみません。ありがとう。

お礼日時:2022/06/25 23:35

日本語には、大丈夫のように、語尾を下げればそのままの意味、語尾を上げれば意味の否定の言葉があるようです。


形容動詞といいます。
それも、日本人はわざと単体で使いますから、会話の相手は、その場の空気で言葉の意味を判断しなさいということです。
形容動詞は会話の相手が会話の内容を考える必要があるので、相手に自己責任を求めているといえますから、主観が必要な頭のよくなる言葉ということでは、現実に即した言葉なのかもしれません。

日本語でも文法に沿って相手に正しく自分の意志を伝えようと思えば、可能ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 日本語でも文法に沿って相手に正しく自分の意志を伝えようと思えば、可能ですよ。
☆ 見解を同じくします。

論理表現ということで言えば 特に論文だとかあるいはここ哲学カテなどの学問性が要求されるところでは 推論のあり方・その合理性に根差した内容の伝達能力などが欠かせません。

鍵語となるものは 概念としてしっかりと定義することも 要請されていると思います。


そういった基本的なことについて わざわざ質問を挙げました。



★ 日本語には、大丈夫のように、語尾を下げればそのままの意味、語尾を上げれば意味の否定の言葉があるようです。
形容動詞といいます。
☆ ということのようですが じつは 分かりません。

形容動詞といった独立した品詞を立てる必要があるかといった問題は 知っていますが。

★ それも、日本人はわざと単体で使いますから、会話の相手は、その場の空気で言葉の意味を判断しなさいということです。
☆ 日本文が それは一般に省略が自由にできるので 文脈に依存しているということは よく言われます。

★ 単体で使〔う〕
☆ というのが 分かりません。


★ 形容動詞は会話の相手が会話の内容を考える必要があるので、相手に自己責任を求めているといえますから、主観が必要な頭のよくなる言葉ということでは、現実に即した言葉なのかもしれません。
☆ 文脈の問題とは別に 人によって語法や或る意味で文法が異なるといったことは どうですかね。ありますかね。


形容動詞論でしょうか。ちょっと後ろにピタッとつくことが出来ず ざんねんですが。

お礼日時:2022/06/25 22:05

日本語学・国語学・言語学の歴史は「日本語が論理表現にふさわしくない」「日本語は論理的ではない」に対する反論であると言ってよい。


QED。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ QED。
☆ って 何も証明されていないのではないですか? 長い歴史をつくって来たその反論は いまだに成功していないのでは?


それは 《Aハ Bガ Cスル/ナリ。》という構文を取り上げ そこに二重構造を捉えるという分析を行ない得なかったということです。


【Q:ハ格・ガ格問題を中心として 日本語は どういう言語か?――言語類型論の視点から――】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11268433.html?order …


あるいは 用言の法活用の成り立ちについて 大野晋の貢献をのぞけば 皆無でしょう。大野の数歩貢献からさらに展開していかなければならないでしょう。

【Q:用言の活用組織の生成――その文法は 規範か?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11279773.html

お礼日時:2022/06/25 17:26

何を問題にしたいのか、わからず、最後に行ってああ、11の問題を


話題にしたいのかと思った次第。
1~10まで抽象的で、主題に困りました。

11で仏教・神道・キリスト教などで選択に迷う。
どれでしょうか。
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この回答へのお礼

いえいえ。言うとすれば 日本教および日本教徒のことです。

特にこのカテに群れる人たちです。


ご回答をありがとうございます。


★ 仏教・神道・キリスト教など
☆ をそれぞれそのままにして大きく飲み込む総本山としての日本教版神道です。

市民・庶民の生活次元における自然神道に問題はないはずです。


あと 実際に論理をどう表現するかをめぐっての日本語という言語そのものについても問うています。

お礼日時:2022/06/25 12:54

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