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古代哲学と近代哲学はおおざっぱに言うとどんなところが違うのでしょうか。お願いします。

A 回答 (1件)

 


西洋哲学の話でしたら、時代的に大きく、古代(ギリシア・ローマ)哲学、中世哲学、近世・近代哲学、現代哲学という風に分かれます。

中世哲学は、聖アウグスティヌスで頂点に達する教父哲学と、スコラ哲学からなります。この二つともに、キリスト教の「信仰」がまず、自明的真理としてあり、それに古代の哲学(教父哲学の場合は、主にプラトン哲学、中世哲学は、アラビア・スコラ哲学を経由して、アリストテレスの哲学)を適用させているとも言えます。

近世・近代哲学の基礎は、中世哲学にあるわけで、西洋の哲学は、近世・近代でも、キリスト教の信仰や真理論、世界論、人間論というものが常に影響しています。

逆に言えば、古代哲学は、キリスト教の「信仰」における真理論や救済思想をまったく前提としていない思想だと言えます。

むしろ、教父哲学がプラトン哲学を援用したとのべましたように、古代哲学の壮麗な体系があって、それを取捨選択して中世哲学は構成されたのです。

キリスト教の教義や信仰が、影響しているのが、近世・近代の哲学です。人間観において、キリスト教を抜きにして、近世・近代哲学はかたれないのです。

しかし、古代ギリシアやローマの哲学は、キリスト教の信仰とは無縁です。古代のギリシアやローマの宗教の影響はありましたが、それはキリスト教的な救済世界観ではないのです。従って、人間観がなによりも違っています。

古代哲学では、人間は平等ではありません。自明的にそうです。中世哲学では、人間は霊魂において平等、地上の現世では、不平等です。近世・近代哲学では、現世においても、理論的には平等であるという構想です。これは大きな違いです。

救済論の有無から、もっともわかりやすい違いは、「時間論」です。古代哲学は、時間について、無限循環論でした。しかし、キリスト教は、時間の開始と終末を前提にします。両端のある線の時間がキリスト教の時間論で、古代哲学では、時間は円環構造としてとらえられます。

カントのコペルニクス的転回は、レース(もの)の超越的実在を自明のものとする、中世哲学に対する転回であり、古代哲学に対する転回ではありません。大まかに言えば、近世・近代哲学は、スコラ哲学に対する反テーゼを試みています。

古代哲学は、また別の思想や古代宗教と緊張関係にありますが、少なくとも、キリスト教の信仰的真理や人間論、宇宙論とは関係がないのです。むしろ、キリスト教の神学は、最初に言ったように、古代哲学の援用または変形として成立しています。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になした。これから時間論について少し考えてみようかと思います。また何かあったらよろしくおねがいします。

お礼日時:2003/01/17 22:51

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