1. あり得ないと仮説します。
2. 言葉そのものによってではなく その言葉をめぐって想い起こされるわが思いが すでに――過去においてあるいはこの今――おのれの心に逆らって成したたくらみやその振る舞いであったことを知り そこに醸し出されるやましさによって おのれの腑甲斐無さを思い知る。そのような心のよごれを意識したとき わたしはこれを悔いこれを恥ぢ わが心は傷つく。
3. よって 他人の言動によって わが心が・精神が・あるいはわが身体が 傷つくということはあり得ないと。
4 もう少し細かく精神の襞に分け入って哲学は 灰色の脳細胞をはたらかせなくてはならない。
5. というのは わが心があたかも傷ついたかのように感じる別の場合がある。
6. 愛憎の絡まって心穏やかではない人に向き合って その相手の心の状態を――ミラーニューロン現象のごとく――まづ感覚的にわが身に帯びて しかもその相手の広く人生ないし思想を見守るがごとく受け留め 〔主観的にですが〕この心の状態を鎮め治めてあげたいと思って世話を焼き 《相手を自己と同じように人間として引き受ける》というとき じつはその相手の負った心の傷を同じような状態で引き継いでいる。ということが起こり得ます。( Mitleid ? sympathy ? )
7. 《すべての人に対して――こちらはまったく自由人であるとき そうであると同時に――それぞれ相手の人と同じようになる》ことはあり得ましょう。
8. その相手の問題をともに〔ただしむろん主観的にだけです〕解決する方向にわが身を置く。のではないか。
9. そのような場合 わが身もわが心もが あたかも問題をかかえる相手の心の状態と心情において同じようになるがごとくに 傷ついたような感覚をおぼえる。
これが あり得るのではないか。
10. けれども 相手が述べたウソ・イツハリの言葉はむろんのこと 真実を伝える言葉でこちらの弱いところを指摘するものであっても その言葉そのものでこちらが傷つくということはあり得ない。
――この命題を提出し 成否・当否を問います。
*
☆ なおおまけです。
11. おのれのやましさ〔なる心とその思いや行動〕によるよりほかに 自分の心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ない。マチガヒを侵さないのに どうして心が沈むのか。
12. この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが原因で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。
13. けれども おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。
14. 猥談やハレンチ・トークを目の敵にするのは おのれの心の中のよごれに対して 反応しているのだ。
15. 精神のよごれをめぐってその場の話し合いが自分にとって必ずしも都合の良くはない情況に落ち入ったときに さらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづ ひとはおどろく。
16. しかも きよらかなおそれを すでに・つねに 持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ち そのような〔一時的・その場的という意味での〕心理的なゆらめきさえを覚える。
17. けれども 心がやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。
18. せいぜい 相手がまだ人間における心の深さや高き心に気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。
19. 心のすこやかな人間が 相手に対して おまえは最低の人間だなどと人格を規定する言葉を吐くわけがない。
20. もし心が傷ついてその場を去ったというのなら それは その去ったひと自身のあやまちであるしかない。おのれの心のよごれを意識させられ これに我慢がならなくなっただけである。ふるきひとがほろび あたらしきひとを着よということわざがある。
21. 精神が傷つくことはあり得ない。
22. 心なる海の上に波風が立つのみ。
23. 深く傷つくのは 自業自得のみ。
☆ このように重ねて問います。
A 回答 (75件中1~10件)
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No.75
- 回答日時:
No.おそらく72です、
?で、終わっていないのに
不躾でスミマセン
回答いたします。
考えるきっかけを
与えてくださってありがとうございます。
バンコク共通の心の認識についてどのように違うのか
考えたことはありませんでしが
とても重要なことですよね、
柔軟に受容したいと考えております。
日本人が世界に出たときに
コミュニケーションが円滑になると思いますし。
生きることが楽になる方も
大勢いるのでは?と
思いました。
まず自分が変化することによって、周囲への影響も変わっていく、確かにです。
自分が楽だと思っていることは
実は頭の中の思い込みに過ぎず、もっと生きることが楽になる(能天気ではなく人の為にも(笑)なる)
方法があるのではないか?
と納得しております。
★ ?で、終わっていないのに
不躾でスミマセン
回答いたします。
考えるきっかけを
与えてくださってありがとうございます。
☆ いいえ。どういたしまして。再度のご回答をありがとうございます。
★ バンコク共通の心の認識についてどのように違うのか
考えたことはありませんでしが
とても重要なことですよね、
柔軟に受容したいと考えております。
☆ あぁ。えぇ。外国の考え方についても考慮することは 大事になると思います。確かに。
★ 日本人が世界に出たときに
コミュニケーションが円滑になると思いますし。
生きることが楽になる方も
大勢いるのでは?と
思いました。
☆ そのとおりでしょうね。心をめぐる日本と外国との思想の違いについて触れた回答ももらっていますがそれは ちょっとまだわたしには分かりづらいところがあります。
★ まず自分が変化することによって、周囲への影響も変わっていく、確かにです。
☆ おっしゃるとおりですし おそらくこれは けっこうむつかしいとも思っています。
この哲学カテでも なかなか話がつうじません。非力をなげくとともに どうしてなのかと考えつづけています。
★ 自分が楽だと思っていることは
実は頭の中の思い込みに過ぎず、もっと生きることが楽になる(能天気ではなく人の為にも(笑)なる)
方法があるのではないか?
と納得しております。
☆ ひょっとすると そういった前向きの姿勢で希望があるということ自体で――まだ確固とした方法を会得していなくても―― 影響力を持ち得るといった楽観的な見方も かえって あり得るかも分かりません。
長い道程であるかも分かりません。おそらくそれをもたのしむようになれれば よいのでしょう。
No.74
- 回答日時:
初めに断りを述べますが、この手の命題は宗教や個人の感覚の相違などから心理学者、精神科の先生方でも意見が分かれるところです。
それを踏まえたうえで、それほど具体性を必要としない日常生活において、ちょっと深く考えても申し分ないくらいの考察をしたとして下さい。この質問を考えるには、質問者の命題を次に言い換えて考える必要がありそうです。「言葉によって心は(ないし言葉を受け取るところおよび直接かかわる体のどこかと一緒に)傷つくことがあるか」
ここでいう、「言葉を受け取るところおよび直接かかわる体のどこか」は質問者の意向に沿い、「自分の意志や行動によって変えられないもの」としておきます。すなわち、言葉を受け取る受容体そのものが心であれば、刃を持った言葉によってそのまま傷つく、ここで受け取った人の意思や行動は介さないといったからくりです。受容体が心でなければ少なくとも自分の中を一回は駆け巡るわけですから、自分の過去の言動に原因がある可能性がぐんと高まるといったところでしょう。いま、この話題に限っては例えば精神は体を追い越すことがあるだとか、人間の心はもとから汚れているどうこうとか(性善説/性悪説の話です)、そういうのは気にしないでおきます。
ここで(この回答を見てくださっている皆様に)申し上げたいのが、ここで私の議論したい「心」は、必ずしも自分の行動とイコールではないということ。いったん分けて考えておきます。
すると、以下のような疑問が必然的に生じます。
「心は自分の意志(B)なのか、それとも相手によって作られるもの(A)か」
自分の意志が通説(考えやすい方)なのでここをBとおき、アンチテーゼAを「他人の創作物説」と置いて弁証してみます。(文字数制限がかかりそうなので)つまり自分の心がAであれば、言い換えれば他人の行動によって心が変わるのであれば他人の言動次第で心は傷付きそうなのです。
Bを仮定し、反論を探します。(ここで言葉のいじめによって自殺を図ることは反論になりません。あまりに粗野な考えだからです。)
つまり、他人がいない状況で心を作ることができるでしょうか。こんな思考実験をします。
E1. だだっ広いなにもない世界に人(Xさん)を一人置きます。
1. Xさんはなにも感じないだろう、と思う人はBの反論完成です。なぜならこの世のものはすべてXさんのものであり、占有欲はおろか、感情がわくきっかけがないからです。
2. Xさんは孤独だと感じるだろう、と思う人はBがなりたってしまいます。しかし、よく考えると孤独を感じるのはあなたが人とかかわってきたからではないか、と考えてみるのです。すると孤独と感じることはないのでは、と思います。
(以下、複数の懸念事項がありますが質問があって答える場があれば補完したいと思います)
自分はこのE1.に対して、1.を答えとして思っています。ただ、最初に申し上げた通りこのE1.は専門家でも意見が分かれる(た)ものですがたいていは何も感じない1.だったはずです。さて、ではAが正しいのでしょうか。
さて、ここでE1.1.を後押しするE2.を考えるのですが、よく考えるとBでないAもおびやかされることになります。
E2. XさんのほかにYさんを置きます。
Xさんはなにか感じるのでしょうか。第三者がいないのに、占有欲(たとえば友情だの、恋だの、あこがれの対象だのもろもろ)が生まれるのでしょうか。
私は1.なにも感じない と思っています。これは一人で遊んでいる赤ちゃんを思い出せ、とよく言います。彼らは一人で遊んでいるとおもちゃにすぐ飽きる。でも別の赤ちゃんがそれを使い始めようとすると途端に「自分のおもちゃだ~」といって泣くのです。それと同じなのではないか、と。ここでAも破綻しましたね。(余談ですが旧約聖書のアダムとイブの件は若干信憑性がなくなってきますね。)
E3. X、YさんのほかにZさんを置きます。
おそらくXさんは何らかの感情を持つでしょう。なんらかの思考をもつに違いないと私は確信しています。YさんをZさんにとられたくない、とかZさんとは仲良くできるかな、とかYさんとZさんだったらどっちのほうが○○できるんだろう、とか。あまたの解が思いつきます。
これらを踏まえると、破綻したかに思えたAは条件付きで成り立つことが見えてきます。「心は複数人とのかかわりの中で相手によって作られる」というものです。
ここで補足を入れると、実は日本人にとっては心は自分で作ると認識されるのですが、海外では実は違うのです。これは言語によく現れます。
例 映画を見て私は悲しいと「感じた」←能動的な動詞が入ります。なんと日本人は心は自分の作るもの、として認識しているのです。
Ex. I "was sad" to see that film.←I sad とはなりませんので、「映画が私を悲しくさせた」ととらえていることがわかります。
すなわち、世界の心理学的論証からすれば、日本人の心のとらえ方が「間違っている」のです。だからここに大きな隔たりと、疑問が生じてしまうのです。
実際、日本も海外もいじめはあるのに不登校などはほとんど海外に存在しないことが言われています。日本人は心の問題は「自分の問題」であるかのように錯覚しているのですが、実際問題は周りの環境にあるのであって、ここに到底自分の意志など存在するはずがないのです。
だから私が思うに質問者は「心」を日本人的にかなり広くとらえていることになります。狭義で見れば、心は傷つく。でもそれをどう思うかはあなた次第という2段階があるはず。感情はコントロールできるわけがない。でもとらえ方、つまり心と意識の狭間が人それぞれ違うから違うように思うのではないかと思うのです。
>他人の言動によって わが心が・精神が・あるいはわが身体が 傷つくということはあり得ない
心は傷つきます。without considerationと思います。
精神は意識のこちら側にあります。だから人による。とらえ方です。
身体が 言動そのもので傷つかない。これは質問者のおっしゃる通りだと思います。
現代の法は、いじめをされた本人が「いじめ」と思わなければいじめではないというように決めています。それはどうもとらえ方次第であるから。
ここはある意味「心」と「自分の意識」のMitleidによります。心はどんな状態になっていても罰則のしようがない。でも意識に直接的に働く効果のある心を作った本人は罰せられる。そうでなければ罰せられない。絶対基準を作って心に意地悪くadressする行為を一律に評価できないのです。
だからある意味世間の常識を質問者は正反対だ、antitheticalだとして認識し、それに疑問を持ったのではないかと思いました。
最後の私の考えを述べれば、日本人はどうも「心」を誤解している。少なくとも感情は働く。でも心が何かしでかすのではなく、とらえ方次第で意識のほうから変えることができる。しかしそのcapacityが足りなくなった途端、破綻する。その常識的なcapacityを超え、かつとらえ方が脆弱なほうからいじめなどのようなものが発覚していく。そう考えています。
私は、心そのものに対して可、精神、身体(+α意思、意志)に対して否、と答えます。
ご回答をありがとうございます。
初めのおことわりと前提 うけたまわりました。
★ 「言葉によって心は(ないし言葉を受け取るところおよび直接かかわる体のどこかと一緒に)傷つくことがあるか」
☆ という言い換え 了解です。
・・・
――というふうに いつもの仕方で応答を始めましたが 途中で読み解きにくくなり 断念して 全体を見渡しての反応をつづることにしました。
末尾のお考え すなわち:
★ 私は、心そのものに対して可、精神、身体(+α意思、意志)に対して否、と答えます。
☆ 重要な点をしるされたと思うのに よく分かりません。
すなわち その一つ前の段落で足踏みします。:
★ 最後の私の考えを述べれば、日本人はどうも「心」を誤解している。少なくとも感情は働く。でも心が何かしでかすのではなく、とらえ方次第で意識のほうから変えることができる。しかしそのcapacityが足りなくなった途端、破綻する。その常識的なcapacityを超え、かつとらえ方が脆弱なほうからいじめなどのようなものが発覚していく。そう考えています。
☆ つまり――わたしの感覚に引き寄せますが――いまの問い求めは キャパシティに関係なく 心が傷つくかであり それは やましいかどうかで決まると考えるがどうか なんです。
脆弱な心でも ウソを発するなら――寝違えて首が痛むように神経繊維どうしのつながりが切れて――心に欠けが出来る。という仮説です。
★ ここで私の議論したい「心」は、必ずしも自分の行動とイコールではないということ。いったん分けて考えておきます。
☆ 結論ではなく 前提としての設定と受け取っていましたが どうもすでに規定されていることだったでしょうか。
こちらとしては 《心=精神は 意志によってその言動を自由にえらぶことが出来て それを実行する》という前提ではあります。
これで:
★ 思考実験
☆ についてのお応えになるかと思うのですが。
つづく
No.73
- 回答日時:
お礼をいただきまして、ありがとうございます。
No.63です。>どういう《人間関係》だと 心が傷つくことがある・・・のでしょう?
受容者の発言者に対する関心度です。
発信者への関心が高ければ、言葉を受けた時に感情の起伏は激しくなり、発信者への関心が低ければ、言葉を受けた時に感情の起伏は乏しくなります。
「産まなければ良かった」という言葉は、母親から言われたら凄く傷つくでしょうが、赤の他人から言われても、傷つく人はいないでしょう。
補足要求にこたえてくださってありがとうございます。
☆☆ >どういう《人間関係》だと 心が傷つくことがある・・・のでしょう?
★ 受容者の発言者に対する関心度です。
☆ 関心度。はい。
★ 発信者への関心が高ければ、言葉を受けた時に感情の起伏は激しくなり、発信者への関心が低ければ、言葉を受けた時に感情の起伏は乏しくなります。
☆ ううーん。確かにですが それは 広い意味での影響関係のようなものでしょうか。
★★ (№63) 名言やポジティブな言葉を聞いたら喜ぶという主張もありますけれど、同じ言葉をマルチ商法、あるいは皮肉として言われたら、喜ばなかったり、腹を立てたりといった別の反応をします。
☆ という説明をすでに受けています。
言いかえると 心の反応ということでも やはり広い範囲でのいろんな内容のものがあるというように見られます。
あっ。つづく説明が分かりやすいですね。
★ 「産まなければ良かった」という言葉は、母親から言われたら凄く傷つくでしょうが、赤の他人から言われても、傷つく人はいないでしょう。
☆ そうですね。それはそうなんですけれど・・・。
なかなか考えがまとまらず わたしの感覚は空を飛んでいるようなんですが ずばり地に足をつけようとするなら この母親の発言は やっぱり文脈があると思いました。
いきなり何もなくて 初めから息子や娘の存在じたいを否定するようなことを言うことは まづないでしょう。
だとすると 子どもが何かをしでかしたことを受けて言っている。怒っている。失望している。
よほど胸にこたえた出来事があって母親は きつい表現をえらぶまでになっている。
ううーん。わたしの自分の感覚で言い進めますが もしこの発言を子どもとして受けたとしたら どうなのか?
推測するに そのわたしは すごく酷いことをやってしまって実際反省している。だから 心を痛めている。
そして もしその酷いことがウソ・イツハリから始まっていたら 心は傷があると分かる。
つまり 神経細胞のハタラキがどこか傷があって互いの接触がわるい。このことに気づく。やっとわれに還る。
――と考えてみたばあい 心の傷は以前のも今回のも 基本は自分の心と意志とその発現としての思想(≒生活態度)にある・・・とは思うんです。母親との人間関係に必ずしもよるのではなく。ううーん。
No.72
- 回答日時:
こんばんは、
言葉によって受けたショックがストレスになって
身体の内側から(血圧が上昇や眩暈、吐き気)不調となって現れる、
ショックを受けること事態が
病しい行為なので
事前に
自分で受け流す訓練をすれば
受けないようにコントロールすることが出来るようになるはず。
仮定の話ですが、
自分の心がけ次第で出来るようになると思います。
私は心と肉体、精神は
一元論的に考えています。
単細胞(笑)
単純でシンプルなものは
壊れ難くて直しやすいから
(笑)
完全無欠になるよりも
人並みで良いとも思っています。
素敵な質問をありがとうございます。
★ こんばんは、
☆ こんばんは。ご回答をありがとうございます。
★ 言葉によって受けたショックがストレスになって
☆ というとき ちょっと待ったをかけたいです。
受け取った言葉がキッカケにはなります。というのも その語られた言葉で 自分の・早くたとえて言えば《前科》がよみがえり そのことがなおまだ清算されていないと気づいたならば それは おおごとです。
恥ぢて悔いて 心に欠けがあったことに気づきます。つまり 心の傷です。
ですが この傷は おのれの侵した・ウソに始まるあやまちです。ここから 心の損傷が来ています。
どうして 言葉によって傷つくというように――世間の一部常識では――捉えるのでしょう?
★ 身体の内側から(血圧が上昇や眩暈、吐き気)不調となって現れる、
ショックを受けること事態が
病しい行為なので
事前に
自分で受け流す訓練をすれば
受けないようにコントロールすることが出来るようになるはず。
☆ そうですかねぇ。
わたしの見方は 単純です。やましいことをおこなったから 傷が出来た。やましくないなら 心が傷つくことは ない。です。
★ 仮定の話ですが、
自分の心がけ次第で出来るようになると思います。
☆ かも知れません。
★ 私は心と肉体、精神は
一元論的に考えています。
☆ はい。デカルトの二元論は 無理でしょう。
★ 単細胞(笑)
単純でシンプルなものは
壊れ難くて直しやすいから
(笑)
☆ わたしは 能天気主義です。
★ 完全無欠になるよりも
人並みで良いとも思っています。
☆ クリスマスツリーの樅の木だけ主義です。
★ 素敵な質問をありがとうございます。
☆ それは よかったです。そう言ってもらえてうれしいです。
No.71
- 回答日時:
質問タイトルが、秀逸です。
相当、頭がいいはず。No.70
- 回答日時:
言葉の受け取りが直ちに脳死や死を引き起こすことはないが、言葉の受け取りを契機とする主体的心身的行為によっては脳死や死がありうる、という内容なら妥当です。
また新実存主義のように心に実体がないとみなすと傷つきようもないかもです。
(「新実存主義とは、『心』という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしないという見解である。」マルクス・ガブリエル『新実存主義』)
★ 言葉の受け取りが直ちに脳死や死を引き起こすことはないが、言葉の受け取りを契機とする主体的心身的行為によっては脳死や死がありうる、という内容なら妥当です。
☆ ええ。
《言葉の受け取り》は 《脳死や死の引き起こし》を直接みちびいた・・・のではないという見方です。
かろうじてキッカケにはなったかも知れない。けれども やはりなお 言葉は中立なのではないか・・・という見解に傾きます。
なぜって 《やましさ》は 心の内からそういう意志行為にかかわって起きるのですから。言葉〔による表現〕もむろん心の内から出て来ます。
わるいのは――心を傷つけるのは―― 心のひねくれです。ウソ・イツハリがすべての原因です。
すなわち:
★ 言葉の受け取りを契機とする主体的心身的行為によって
☆ です。
★ また新実存主義のように心に実体がないとみなすと傷つきようもないかもです。
(「新実存主義とは、『心』という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしないという見解である。」マルクス・ガブリエル『新実存主義』)
☆ おそわりました。
そうですね。でも ひと言でいえば 《心に実体がないとみなす》のは 心であろうと思います。
▲ 『心』という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしない
☆ ぢゃあ 《あらゆる〈現象や実在〉なる現実》が 人間それぞれの心に対応していると言えばよいのでは?
意識は 現実の意識ですし 世界と対応しているはずです。と思うのですがねぇ。
No.68
- 回答日時:
思うのですが、
イエスは
パリサイ人や
その他の抵抗勢力の訴訟で
捕まり
十字架にかかりましたね。
でも
今はキリスト教という形で
世界各地に
沢山の
信者を持つ
宗教教祖に
なりましたな。
えーと
ブラサンは
信者さんですか。
それとも
神父さんでしょうか。
まあ無理には聴きません。
聞いていけない人もいますから。
云いたくないことは
いわなくても
いいという
弁護士や
判事さん
テレビに
出てきますね。
ごめんなさいね。
★ 思うのですが、
イエスは
パリサイ人や
その他の抵抗勢力の訴訟で
捕まり
十字架にかかりましたね。
☆ はい。
★ でも
今はキリスト教という形で
世界各地に
沢山の
信者を持つ
宗教教祖に
なりましたな。
☆ そういった宗教組織をつくり 教祖にまつりあげる一群の人びとがいるということだと見ます。
イエス・キリストは 宗教とは無縁だと見ます。
普遍神をつたえた(指し示した)のみと。
★ ブラサンは
信者さんですか。
☆ 水による洗礼を受けたことはありません。
★ 神父さん
☆ ではないです。
こんな感じですが。
No.66
- 回答日時:
再度のお礼ありがとうございます。
一貫して感じるのは全てと言って良いほど強者の理論だなぁと思います。
私も強者ですが、世の中には弱い人も普通の人もたくさん居て、その状態で社会が成り立っている訳です。
それを理解してあげられないのが【人の気持ちが解らない人】と言う事になっちゃいますね。
100の経験をし、大した事では動じない人も居れば、5しか経験してなくて傷つきやすい人も居ます、それを100の人に基準を持って行くとこれは間違いなく成り立ちません。
人を変える事は出来ませんし、今回のように定義づけてしまうとそれを外れた人は【弱い、あんたが悪い】みたいに石頭になってしまいます。
なので、本人たちが感じ、訴える事を聞いてあげて、優しくアドバイスするなら良いけど、ヤクザのルールを一般人に持ち込むような感じになるとこれまた自分の枠を抜けきれない頭の固い人になっちゃいますね。
★ 一貫して感じるのは全てと言って良いほど強者の理論だなぁと思います。
☆ 理論は 理論と呼べるなら 《強者の》だとは思います。
★ 私も強者ですが、
☆ はい。
★ 世の中には弱い人も普通の人もたくさん居て、その状態で社会が成り立っている訳です。
☆ いや。理論というなら みなさんみんなをひっくるめて当てはまります。
★ それを理解してあげられないのが【人の気持ちが解らない人】と言う事になっちゃいますね。
☆ おそらくそれは へたな同情であり間違った温情ではないかと。
《よわい人・普通の人》でも ウソをついたか否か・わるいことをしたかどうかは――本人が よく――分かることです。例外はありません。
あっ。ちなみに わたしは強者ではなく 甘えたがりのよわい人です。基本は 能天気ですが。
★ 100の経験をし、大した事では動じない人も居れば、5しか経験してなくて傷つきやすい人も居ます、それを100の人に基準を持って行くとこれは間違いなく成り立ちません。
☆ ですから 付和雷同したり同調圧力がかかればそのまますーっと相手の言いなりになる場合 けっして心が傷ついたわけではないです。とだけ言い続けています。
★ 人を変える事は出来ませんし、今回のように定義づけてしまうとそれを外れた人は【弱い、あんたが悪い】みたいに石頭になってしまいます。
☆ ならば 一人ひとりに訊いてみてください。世間に対してよわいという振る舞いしか出来ない人たちに。心が傷ついていますか? と。
そのとき 心がただ不安であり不確かであり――海の表面に波風が立っているだけなのに――その動揺を 心の傷つきと錯覚していないか? と。
★ なので、本人たちが感じ、訴える事を聞いてあげて、優しくアドバイスするなら良いけど、ヤクザのルールを一般人に持ち込むような感じになるとこれまた自分の枠を抜けきれない頭の固い人になっちゃいますね。
☆ では あなたはなぜ・どういう理由で 弱い人たちは《心に傷つく》と言えると思うのですか?
その説明を聞かないうちは そちらの論理のほうが ヤクザですよと問い返します。
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№57お礼欄をおぎないます。
お礼としてのべたことは この質問を【Q:不倫をされて ひとは傷つくか】と勘違いしていました。すみませんでした。
言葉によってひとは 傷つくかでした。
趣旨説明欄に 長い説明を述べていますので できれば参照ねがえればさいわいです。
№74お礼欄つづき1
ふたたび:
★ 実は日本人にとっては心は自分で作ると認識されるのですが、海外では実は違うのです。これは言語によく現れます。
☆ この件が まだ読み取れません。
★ 例 映画を見て私は悲しいと「感じた」←能動的な動詞が入ります。なんと日本人は心は自分の作るもの、として認識しているのです。
Ex. I "was sad" to see that film.←I sad とはなりませんので、「映画が私を悲しくさせた」ととらえていることがわかります。
☆ わたしの反応: たとえ受け身であってもその受け取った内容を吟味し自分の考えとして発言するのですから 心は心で心として成り立っていると思うのです。
★ すなわち、世界の心理学的論証からすれば、日本人の心のとらえ方が「間違っている」のです。
☆ というのが 飲み込めないのです。
つづく
№74お礼欄つづき2
★ 実際、日本も海外もいじめはあるのに不登校などはほとんど海外に存在しない・・・。日本人は心の問題は「自分の問題」であるかのように錯覚しているのですが、実際問題は周りの環境にあるのであって、ここに到底自分の意志など存在するはずがないのです。
☆ 重要な問題だと受け留めつつ 意志がない・自分の問題ではないというところが どうしても分かりません。
★ ある意味世間の常識を質問者は正反対だ、antitheticalだとして認識し、それに疑問を持ったのではないか・・・。
☆ しかるに:
★ 世界の心理学的論証からすれば、日本人の心のとらえ方が「間違っている」
☆ とすれば 質問者の見解が 世界的である。となるはずなのに:
★ 私が思うに質問者は「心」を日本人的にかなり広くとらえている。
☆ と 論はすすめられています。いまいちどの説明をねがってもよろしいでしょうか。