10代と話して驚いたこと

哲学と思想の違いを教えてください。

私の友人が、「現代思想は好きだけど、哲学はあまり面白いと感じない」と言っていました。
そこで疑問に思ったのですが、「哲学」と「思想」は違うのでしょうか?

教えてください。

A 回答 (8件)

現代思想と比べているのであれば、それは近代哲学のことじゃないでしょうか?



まず、ざっくりと

『思想』・・・人間の考えのこと
『哲学』・・・人間の考えを体系化したもの。

これらに関しては枠を決めただけの話であって、対立するものではないですよね。
ですから、これを比較するのってヘンじゃないの?と思われるかもしれません。


ですが、そういった単純な話ではなく、
ことさらに『現代思想』と言う言葉を使うのであれば、
それは上記のような単純なカテゴライズの話ではなく、
『古代ギリシア哲学』『近代哲学』という
哲学自体の歴史のお話なのではないでしょうか。

こういった意味であれば、その前提となる部分を確認すれば
誤解も解けるんじゃないかと思うのです。




まず、古代。人類社会では『(古代)ギリシア哲学』が起こり、
世界の有り様はどんなものなの?ということを探ろうとしました。
ところが、当然答えは出ませんでした。
結局のところ、『万物は火だ!』とか『見えないところに真実がある!』などと
言ったところで、証明が全くできないのです。
とはいえ、その副産物として、『弁証法(対話によって真実をさぐる)』や
『詭弁』の存在などといった物の考え方の基礎が少しずつ固められていきました。


この一見無意味にも思えた探索は数千年ほど続き、
その過程で『個』という考えが発見されると、一気に知識の爆発が始まります。
考える対象はむしろ『世界』ではなく、『人が世界をどう認識するか』
にシフトしていったんです。これが『近代哲学(近代合理主義)』であり、
今日、単純に『哲学』という場合これを指す事が多いです。
この近代哲学の合理性というのは
法学・経済学・社会学・言語学・政治学といった様々な分野に応用され、
人間社会を一気に発展させていきました。




ところが、二度の世界大戦を契機に、ある疑念が生まれます。
人間には合理性があり、同じ前提から正しい選択をしているはずなのに、
失敗や結論の違いが多いのでしょうか?
つまり、『理性』は本当に正しいのか?というわけです。


ここで登場したのが『現代思想』です。
実は『個』って、『社会』の影響を受けるんじゃない?というアプローチから
『社会』ってなんじゃい?ということを探ろうという試みが始まりました。
特色は『近代哲学』を前提に、社会学や言語学といった派生の他の学問からの
知識を還元し、より分析に重きをおいている点です。

さらには、この『社会』を変える方法はあるのか?という
方法論にまで進んでいきます。
現代の諸問題は『現代思想』に集約されているわけです。



『古代・近代哲学』より『現代思想』の方が面白いと言うのであれば、
より実証的ですし、根拠もきちんと示されている点がまず違いますよね。
それに社会の問題を解決しよう、という強い意思の力の存在が
やはり古代や近代とは異なる点でしょう。

入り口として、実生活に近いのもやはり『現代思想』であるかと思います。
『万物は火だ!』とか言っちゃっても、発展した後の世界の住人である我々の
知識からすれば、何言ってるのこの原始人?とか思ってしまいますよね。
過去の人間には否定することが不可能であっても、
現代の我々にはこれを論破することができる素地が標準的に備わっているのです。



とはいえ、現代思想はあくまで『古代』『近代』といった過程を
踏み、前提の条件を備えた上での議論を進めています。
もし、意見の違いが生じた場合は、これらの前提に立ち戻って
確認することで、多くの場合は合意が得られるわけです。
まったくの無駄、というわけではなく、我々の素地を作ってくれた点に関しては
敬意を払ってもいいんじゃないでしょうか。
(まあ、面白いかは確かに別ですけどね)
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思想は、「その場でその人が考えたことだけ」


哲学は、「今までいろいろな人がいて、その人たちがいろいろ考えたことがあって、その流れを受けての、その人の考えたことまで全部」
背景からすべて知らないとだめなのが哲学。だって学問だもん。
思想は、その人の考えだけで完結させてOK。だからサルトルの思想であればサルトルの考えだけでよいけど、哲学となるとこれまでの経緯とふまえて理解しないとだめ、ということになるので大変。
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思想・・・「好きなんだもん。

この考え」。
哲学・・・「好きなんだもん。この考え」。
本当の哲学・・・例えて言うなら、誰彼を問わず、すぐ手元にあります。
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思想≧哲学と考えていいです。



思想は哲学や文学や芸術や宗教や科学などの
様々の分野の知識体系やその根底にある総合観念です
スケールが広くて全体論的なものと考えて下さい

哲学は主に実存論や認識論や価値論を知的に分析します=抽象的理屈っぽい
実存論とは究極的に存在してるのか何か?→唯物論と唯心論とかあります
認識論とはどうして知ることができるのか?→合理論と経験論があります
価値論とはどうすべきか、どう生きるべきか?→行為の選択に関する考え方です

哲学も昔は学問の総合分野でありましが(特にギリシャ哲学など)
現代においては主に上のようなことを主題にしてます
というのは哲学から他の学問が分化していったからです(政治学や自然科学など)
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 こんにちは。




 つぎのように言われて あなたは どう答えるか?

 ( a ) 《和を以って貴しと為し さからうこと無きをむねとすべし》

 
 いくつかの手続き上の議論を端折りますが いちばんの問題は もしそれがあるとするなら このように一般に人びとに向けて言い放つという行為が どういう意味を持つか。ここにあると考えられるのではないでしょうか。

  ( b ) 《和を以って貴しと為し さからうこと無きをむねとすべし》と語った人間は 何を言おうとしているのか? なんでそう語ることができたのか?

 と。
 命題( a )は その内容を思ったり考えたりしたのだとするなら おそらくそれは 《思想》であるでしょう。――と矛先を変えて 別の問題に入りますが だとすればたぶん

 ( c ) 《思想》とは その人が生きているその実態に沿ってその生活態度を自己表現したもの

 ではないかと見られます。
 ここから

 ・ 《和》とな何か?
 ・ 《その和がとうとい》とは どういうことか? 
 ・ そのまま言えるか?
 ・ 《さからう》とは 何に誰に対してを言うのか?
 ・ ほんとうに《さからってはいけない》のか?
 ・ ・・・

 と じつはさらに《思想》があらたに展開され得ます。

 すなわち たとえば

 ・ 《和と思っていたことが乱されたとき やはり和を以って貴しと為し さからうことは一切為すことなく ことに処する》のか? 
 ・ 《和を乱したというとき 乱された和とは別の或る種の和が出来ていたとするなら そのときどう考えどう対処する》のか?
 ・ ・・・

 とさらに思想の展開はつづきます。
 というわけで――この例題については もうほっぽり出しておきますが―― けっきょく次のようになるでしょうか。

 ( d ) 《思想》も 知恵と知識とを問い求める哲学である。

 ( e ) おそらく哲学は あらゆる可能性を考慮して そのようなどんな場合にも通用する思想を――回り道をしてでも――用意しようとするいとなみである。

 ( f ) 思想とは 《生活態度》であるなら そのいま 時には待ったなしの問題に対処しなければならない場合があって そのときにもすでにつねに実践している哲学内容を言う。

 ( g ) 哲学は 言わば迂回生産という役割りを持ち いわゆる現場から一歩しりぞいたところから その現場における問題をあらゆる考察をほどこしつつ交通整理するという役目にまわるかも知れない。

 ( h ) けれども 思想も 哲学である。哲学も 思想である。

 
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哲学


真理とか、人類の共通認識とかと常にすり合わせて進められる学問のひとつ

思想
まあ人間の思いとかものの見かた、願望でしょうか。
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>哲学と思想の違いを教えてください。




思想は個々人が好き嫌いを基準に選択できるもの。

哲学は個人の好き嫌いで選択できるものでは無い部分が多い(=論理学や、哲学史など)。
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哲学:世界観と認識論を軸とした思考の体系。


思想:単なる人間の考え、思考。

哲学は必ず上述のように理論的な形をとっていますが、思想は意識の内容であって必ずしも明確な世界観と認識論を有しなくても思考を伴うものであれば十分です。現代社会を如何に生き抜くのか?現代社会と如何に関わるのか?そういう思考の結果に形成された考えは、思想に他なりません。そういう思想を世界観と認識論とで解明し論拠付けるのが哲学と考えることができます。
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