痔になりやすい生活習慣とは?

哲学と論理学の違いって何ですか?
細かい点ではなく大きな違いについて
わかりやすく教えていただけましたら嬉しいです。
宜しくお願いします。

A 回答 (5件)

論理学:命題が,絶対に真であるか,あるいは絶対に偽であるか,あるいは絶対に真とも偽とも言えないか,について考える学問.



哲学:命題の本質について考える学問.

だと思います.哲学では,思考の過程に説得力を持たせる手段として論理学が使用されると思います.論理的に正しくない思考から導かれた結論は間違っているに決まってますからね.
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哲学と論理学の関係は科学と数学の関係に似ています。

科学にとって数学が道具であるように、哲学にとって論理学は道具です。
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私見です。


哲学は、ありとあらゆるものを疑い、その本質を見出すための過程だと思います。

論理学は、数学のように、"絶対"的な手段。なので説得力はすごいです。
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参考に


哲学と論理学に差はないと思いますが、現代的な解釈では、広い範囲の認識が哲学で狭い範囲の認識が論理学ということでしょうか。
例えば、「風が吹くと桶屋がもうかる」は哲学的で「風が吹けば雨が降る」が論理学的な認識過程ということですね。どちらも原因結果の連鎖だから論理学ではあるという意味です。例はあまりよくないけどね。
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私は、哲学は認識の主体も研究対象にしようと試みるが論理学は認識の主体は一応外へ置いておくものだと思います。

認識の主体は認識の対象になり得ないというような言い方は論理学でも扱うかも知れませんが、やはり哲学ではないかと思います。
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Q哲学と思想の違いを教えてください

哲学と思想の違いを教えてください。

私の友人が、「現代思想は好きだけど、哲学はあまり面白いと感じない」と言っていました。
そこで疑問に思ったのですが、「哲学」と「思想」は違うのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

現代思想と比べているのであれば、それは近代哲学のことじゃないでしょうか?

まず、ざっくりと

『思想』・・・人間の考えのこと
『哲学』・・・人間の考えを体系化したもの。

これらに関しては枠を決めただけの話であって、対立するものではないですよね。
ですから、これを比較するのってヘンじゃないの?と思われるかもしれません。


ですが、そういった単純な話ではなく、
ことさらに『現代思想』と言う言葉を使うのであれば、
それは上記のような単純なカテゴライズの話ではなく、
『古代ギリシア哲学』『近代哲学』という
哲学自体の歴史のお話なのではないでしょうか。

こういった意味であれば、その前提となる部分を確認すれば
誤解も解けるんじゃないかと思うのです。




まず、古代。人類社会では『(古代)ギリシア哲学』が起こり、
世界の有り様はどんなものなの?ということを探ろうとしました。
ところが、当然答えは出ませんでした。
結局のところ、『万物は火だ!』とか『見えないところに真実がある!』などと
言ったところで、証明が全くできないのです。
とはいえ、その副産物として、『弁証法(対話によって真実をさぐる)』や
『詭弁』の存在などといった物の考え方の基礎が少しずつ固められていきました。


この一見無意味にも思えた探索は数千年ほど続き、
その過程で『個』という考えが発見されると、一気に知識の爆発が始まります。
考える対象はむしろ『世界』ではなく、『人が世界をどう認識するか』
にシフトしていったんです。これが『近代哲学(近代合理主義)』であり、
今日、単純に『哲学』という場合これを指す事が多いです。
この近代哲学の合理性というのは
法学・経済学・社会学・言語学・政治学といった様々な分野に応用され、
人間社会を一気に発展させていきました。




ところが、二度の世界大戦を契機に、ある疑念が生まれます。
人間には合理性があり、同じ前提から正しい選択をしているはずなのに、
失敗や結論の違いが多いのでしょうか?
つまり、『理性』は本当に正しいのか?というわけです。


ここで登場したのが『現代思想』です。
実は『個』って、『社会』の影響を受けるんじゃない?というアプローチから
『社会』ってなんじゃい?ということを探ろうという試みが始まりました。
特色は『近代哲学』を前提に、社会学や言語学といった派生の他の学問からの
知識を還元し、より分析に重きをおいている点です。

さらには、この『社会』を変える方法はあるのか?という
方法論にまで進んでいきます。
現代の諸問題は『現代思想』に集約されているわけです。



『古代・近代哲学』より『現代思想』の方が面白いと言うのであれば、
より実証的ですし、根拠もきちんと示されている点がまず違いますよね。
それに社会の問題を解決しよう、という強い意思の力の存在が
やはり古代や近代とは異なる点でしょう。

入り口として、実生活に近いのもやはり『現代思想』であるかと思います。
『万物は火だ!』とか言っちゃっても、発展した後の世界の住人である我々の
知識からすれば、何言ってるのこの原始人?とか思ってしまいますよね。
過去の人間には否定することが不可能であっても、
現代の我々にはこれを論破することができる素地が標準的に備わっているのです。



とはいえ、現代思想はあくまで『古代』『近代』といった過程を
踏み、前提の条件を備えた上での議論を進めています。
もし、意見の違いが生じた場合は、これらの前提に立ち戻って
確認することで、多くの場合は合意が得られるわけです。
まったくの無駄、というわけではなく、我々の素地を作ってくれた点に関しては
敬意を払ってもいいんじゃないでしょうか。
(まあ、面白いかは確かに別ですけどね)

現代思想と比べているのであれば、それは近代哲学のことじゃないでしょうか?

まず、ざっくりと

『思想』・・・人間の考えのこと
『哲学』・・・人間の考えを体系化したもの。

これらに関しては枠を決めただけの話であって、対立するものではないですよね。
ですから、これを比較するのってヘンじゃないの?と思われるかもしれません。


ですが、そういった単純な話ではなく、
ことさらに『現代思想』と言う言葉を使うのであれば、
それは上記のような単純なカテゴライズの話ではなく、
『古代ギリシア哲学』...続きを読む

Q論理学とは?論理とは?

29歳勤務医です。
基本的な推論の体力や根気はあるので、ちゃんと読みますからできるだけ詳しく教えて下さい。

1。論理学の目標は何でしょうか?
~~学というのは例えば
医学であれば、ヒトの生物学的な知識、叉その人体への応用とか
数学であれば数や図形に関して正しい規則の発見と証明とか。
こんな様に実際的な目標や手段がはっきり分かれば良いのですが、論理学って一体何を目標として、何を手段としているのでしょうか?

2。また、他の学問が論理的なのは良いのです。論理的とは論理学において正しいということですよね。論理学は論理的に話をする前に「論理」の正しさはどういうように扱っているのでしょうか?論理とは何なのでしょうか。
直感的に正しいものが論理なのですか?論理は受け入れるしかないのでしょうか?
論理的である事に基礎をおいた学問はみんな直感的にしか正しさは示されていないのでしょうか?
数学で言う定義や公理のようなものは論理学には存在するのでしょうか?もしあるのなら知りたいです。
三段論法とかは証明できるのでしょうか。
自分で証明しようとしても当たり前すぎて出来ません。

3。教えてgooの物理の板で質問して仕入れた知識なのですが、現代物理学の最先端では同一の仮定から同一の結論が導き出せない事も有るかも知れないそうです。(具体的には全く同じ初期条件で宇宙を仮定しても時間と共に違う結果になる?そうなのです)そういう最新の科学の進歩によって古典的な論理学が退却を余儀無くされているのはホントですか?

本屋さんの論理学のコーナーの本は多くが、推論のトレーニングみたいな事をやっていて、このもやもやした気分には全然答えてくれません!

参考文献も挙げて頂ければと思います。
宜しくお願いします。

29歳勤務医です。
基本的な推論の体力や根気はあるので、ちゃんと読みますからできるだけ詳しく教えて下さい。

1。論理学の目標は何でしょうか?
~~学というのは例えば
医学であれば、ヒトの生物学的な知識、叉その人体への応用とか
数学であれば数や図形に関して正しい規則の発見と証明とか。
こんな様に実際的な目標や手段がはっきり分かれば良いのですが、論理学って一体何を目標として、何を手段としているのでしょうか?

2。また、他の学問が論理的なのは良いのです。論理的とは論理学にお...続きを読む

Aベストアンサー

最初から参考文献の話になりますが、以下の議論は
みすず書房から出ている
エドムント・フッサール著 立松弘孝訳 「論理学研究」
に全面的に拠っています。
全4巻構成で、訳書の第1巻が原書の1巻に相当し、第2~4巻が原書の2巻に相当しますが、
特に第1巻で論理学の位置付けについて、当時の論理学の基礎付けの中心的立場だった
心理学主義との対決を通して議論されています。
訳書2~4巻は哲学的認識論が中心で、現象学研究と言う点では
こちらのほうが重要なのですが、さしあたり読まなくてもいいでしょう。

古典中の古典とは言え100年前の本です。
また、フッサール自身「形式的論理学と超越論的論理学」というより研究が進んだ本を後年著しています。
こちらは未読ですし、その他に分析哲学の立場からも無視できない議論があります。
その辺りについては私は詳しくは知りませんのであしからずご了承ください。


さて、論理学の目標となると、これは理論学ということになります。
そもそも、学問は、数学にせよ物理学にせよ、または医学にせよ、
それぞれ固有の研究領域がありますが、単に個々の諸事実を集めただけでは
学問とは言うことはできません。学問へと昇華されるには、体系的統一が必要です。
その統一はいかに与えられるか。「すべてのAはBであり、XはAである、故にXはBである」
というような推論形式に従い、与えられた認識から基礎付けをしつつ新しい認識に従うとき、
初めて体系的統一が生まれ、学問が可能になります。
このとき、個々の学問の内容に関わるのではなく、内容抜きの純粋形式を問題にする
理論的学問が成立し、これが論理学であるわけです。
論理学の課題は学問一般が可能であるための条件を提供することにある、と言えましょう。
ですから、論理学は応用されれば学問論としても成立します。
(西洋哲学で「論理学」と言うと、狭義の論理学だけでなく学問論や認識論まで
意味が広がることが少なくありません。学問的伝統と言ったところでしょうか)

この理論学から出発して、規範学の基礎として論理学は使われます。
規範学とはなにか。例えば「AはBであるべし」という主張は、
「BであるAのみが善きAである」という形式に転換できます。
このときこの推論には価値評価が伴っています。
「善い技術」と言う規範的命題を言明するときに、
私たちは「善い」技術についてなんらかの概念を持っていなければなりません。
「BであるAのみがCという諸性質を有する」という理論命題に、
「Cの肯定的価値評価」が生じれば、それは「AはBであるべし」という規範命題の形を取ります。
規範学にはなんらかの理論的諸真理が必要であり、
よって、規範学の土台には理論学が存在しなければなりません。
理論学としての純粋論理学が、諸学問に土台を提供する、ということになります。

数学で言う定義や公理を論理学に求めるとすれば、
同一律「AならばA」、矛盾律「Aかつ非Aではない(Aまたは非Aのどちらかである)」、
排中律「Aまたは非A」等を挙げることになるのでしょうか。
これら論理学の定理は、それ以上さかのぼることができません。
「前提として不可欠であり、しかも循環無しに互いに還元できない公理」まで
さかのぼり、そこから三段論法等の諸定理を整備するのが純粋論理学の課題でもあります。

これで3以外の問いにはひとまず答えられたでしょうか。
3に関しては私はまったくの無知なので今回の返答は控えさせていただきます。


Q. 論理学って一体何を目標として、何を手段としているのでしょうか?
A. 目標は、それ自身では真でも偽でもない理論的真理を整備し(純粋論理学)、
他の諸学問が正当であるための基礎付けを与えるなどすること(規範的論理学-純粋論理学の応用)です。
そのための手段が、諸定理や公理系です。

Q. 数学で言う定義や公理のようなものは論理学には存在するのでしょうか?
A. 主だった定理には上述の同一律等があり、これらは公理系から導出されます。
これは適当な論理学の入門書に当たってみればよいと思われます。

Q. 「論理」の正しさはどういうように扱っているのでしょうか? 論理とは何なのでしょうか。
A. 「AならばA」はそれ以上遡行が不可能なことが明証的に把握されえます。
そこから出発し、循環無しにはそれ以上さかのぼることが不可能で、
そこから外れるとあらゆる証明が意味を失うような、
すべての理論に統一を与える純粋法則、それが論理とでも言えましょうか。



以下補足。
「~学が他の学問に基礎を与える!」というようなこういう立場は
いわゆる「基礎付け主義」と言って、実はそれほど評判がよくありません。
(ではなぜ紹介したのか、と言われると、基礎付け主義の絶対確実な知識は存在する、
という立場に、反論があるのも承知で個人的に共感があるからです。
個人的好みをこういった議論に介入させてまことに申し訳ありません)
こういった基礎付け主義に対する分析哲学の立場からの議論を含み、かつ比較的易しい本として
戸田山和久著 「知識の哲学」 産業図書
がお勧めできます。
フッサールの論理学研究は相当難易度が高いので、まずはこちらを当たってみるのもよいでしょう。
いずれにせよ、論理学の立場についてはいまだにこれぞという結論は出ておらず、
もっとも優秀な哲学者たちが日夜頭をひねっている、というのが現状です。

最初から参考文献の話になりますが、以下の議論は
みすず書房から出ている
エドムント・フッサール著 立松弘孝訳 「論理学研究」
に全面的に拠っています。
全4巻構成で、訳書の第1巻が原書の1巻に相当し、第2~4巻が原書の2巻に相当しますが、
特に第1巻で論理学の位置付けについて、当時の論理学の基礎付けの中心的立場だった
心理学主義との対決を通して議論されています。
訳書2~4巻は哲学的認識論が中心で、現象学研究と言う点では
こちらのほうが重要なのですが、さしあたり読まなくてもいいでし...続きを読む

Q論理学と数学の関係を教えてください。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広義の論理学では、数学はその一部になるはずだったのが、ゲーデルによって覆されてしまったため、部分的に重なり合っているといった状態でしょうか?

論理学(wikipedia)
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6
論理を研究する論理学は、昔は哲学の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学(記号論理学、または数理論理学)と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。

記号論理学に属する論理として例えば命題論理、述語論理、様相論理、直観主義論理、量子論理がある。 記号論理学は論理を単なる記号操作として扱う事に特徴があり、記号操作で表せないものは記号論理学では決して扱うことができない。 たとえば、帰納法を記号論理学は定式化できない。
(中略)
不完全性定理 [編集]
アリストテレスの論理学以来はじめて、論理学の世界に革命を起こしたのは20世紀初頭のバートランド・ラッセルである。彼は数学は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱し、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドと共著)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から数学の全体系を再構築しようと試みた。
(中略)
ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な公理系を見出すことが重要であることを明らかにし、それを見出そうと試みたが(ヒルベルト・プログラム)、実現することはできなかった。
1930年、クルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見された。 これは「自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである(ゲーデル自身は弱い形で示したが一般化された)。 すなわち、二階述語論理より強い表現力をもつ公理系(これには算術体系が含まれる)においては、立証も反証もできない灰色の領域が必ず存在することが示されたのである。これによって、論理によって万物を解き明かそうという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰えた。
<<<

広義の論理学では、数学はその一部になるはずだったのが、ゲーデルによって覆されてしまったため、部分的に重なり合っているといった状態でしょうか?

論理学(wikipedia)
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6
論理を研究する論理学は、昔は哲学の一分野であった。現在では数学的性格がより強い論理学(記号論理学、または数理論理学)と、記号論理学でない論理学とに分化している、と言える。

記号論理学に属する論理として例えば命題論理、述語論理、様相論理、直観主義論理...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qカントの「理性」

カントは「理性」をどう捉えていたのでしょうか?

『純粋理性批判』を紐解いてみても、今一つすっきりしないのです。

「自分の『理性』のレベルでは、人間は過ちを犯す可能性が十二分にある」あるいは「自らの『理性』を過信してはいかん」

という感じで捉えているのですが、どうも自信持つことができないので。

ひょっとしたら、全く的外れなのかもしれないですが、どうか教えて下さいませ。

Aベストアンサー

 カントを読んだのは、随分昔になりますが、私見として・・・。

 人間に備わっている「ものを思考する能力」は、「絶対」を対象とすると、二律背反に陥る、これは、例えば、神の存在について、「存在する」と思考しても、「存在しない」と思考しても、同じように、理論的な提示が出来る、という例を示しています。

 カントは、人間理性のこのような限界を示すと同時に、それが、先天的に人間には備わっている、という2点を強調します。

 ここから、カントは、判断力批判において、格率、という考え方を導き出します。
 すなわち、ある一定の所与のドグマではなく、「その行為が全人類にとって、普遍妥当的であるかどうか」という観点から、自らの行動の規範を知れ、と言うわけです。

 「絶対」の前に於いての無限の無力、しかしながら、それゆえに、普遍妥当性を認識することの出来るアプリオリ(先天的)な人間理性の存在を指示することによって、彼は、最後の「人間存在の尊厳」を、証ししようと、揚言するわけです。

 因みに、カントの理性は、ヘーゲルでは、歴史的なガイストという概念によって捉えなおされ、「理性の狡知」による、歴史自体の発展の予定調和として、その先天性を保証されていくわけですが、考えようによっては、ヘーゲルのなかに既に、後年の「実存主義」の芽があるともいえるでしょう。
 

 いずれにしても、カントによって持ち出された「先天的に存在している」(アプリオリ)、という観点ですが、これは、当時の時代の一つの特徴であった、経験主義、カントの用語法によると「ア・ポステリオリ」(後天的)なもの、それのみで、神や人間理性、尊厳、真の意味での倫理規範、といったものを狭く限定的に規定することの誤りを、強く批判したかったのだと、私は、思います。

 分かりにくい言い方かもしれませんが、カントの理性批判は、上の意味で、存在論なのだ、という見方も出来るでしょう。

 
 ・・・・先天的に存在している人間理性の不可思議、について、深く相通底すると思われる、一人の天才的な思索者のことばを、引いておきます。

「しらるる際の知るからざるは、この知ることの仏法の究尽と同生し、同参するがゆえに、しかあるなり。」(道元・正法眼蔵)

 道元は、カントより500年以上前に生まれた日本人ですが、仏教には、もともと、唯識論などのような、認識論や存在論が含まれています。
 仏法、という宗教的なことばの背後に、後年付託された「宗教」という概念を被せてはいけませんよね。


 ・・・・以上ですが、カントについての詳細な解説としては、今、日本とドイツで共同出版されている、ハイデガー全集のなかに、彼のカントの講義録もあるはずです。


 

 カントを読んだのは、随分昔になりますが、私見として・・・。

 人間に備わっている「ものを思考する能力」は、「絶対」を対象とすると、二律背反に陥る、これは、例えば、神の存在について、「存在する」と思考しても、「存在しない」と思考しても、同じように、理論的な提示が出来る、という例を示しています。

 カントは、人間理性のこのような限界を示すと同時に、それが、先天的に人間には備わっている、という2点を強調します。

 ここから、カントは、判断力批判において、格率、という考え...続きを読む

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Q形而上学とは

現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
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Q「考えること」と「哲学すること」の違い

「考える」と「哲学する」とは違うものでしょうか。同じものでしょうか。
違うとすると、何か「哲学すること」に固有の技法、頭の使い方があるのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるものですね。註:天の川が北極星ですね。
「「哲学する」にはなにか固有のコツや方法があるのでは、
ということですが」 「ありますね」
そのひとつはあなたの持っている知識や常識をすべて白紙に戻して再度論理的に考えてみる方法ですね。これは何故・何故という方法ではないですよ。まず頭の中をすべて見直して納得できるものと納得できないものを分類し、納得できるものについて更に何を根拠に納得したかを見直すのです。その根拠を白紙に戻し、それを繰り返す方法ですね。納得できないものについては書を読み根拠を探すのですね。その中で納得できるものがあれば、同じ過程で見直します。
このようにしてあなたの頭の中の金歯を捜すのですね。一個もないときはすべて捨てて学びなおしですね。やってみればわかりますが殆どがごみ知識ですね。ごみ知識をふるいにかける過程を「哲学する」といってもいいですね。
追加の参考まで

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるもので...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む