「平成」を感じるもの

論語にこんな話しが在ります。ある県の長官が孔子に「私の村には正直者の躬と言われる男がおります。その男、どんなに正直かと言えば、父親が他人の羊を盗んだ時、躬は自分の父親の罪を証言したのです」と自慢しました。

それに対し孔子は、「私の村の正直者は違います。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直、其の中に在り」と応えました。

これはどちらが正しいと思いますか。孔子でしょうか? 長官でしょうか?  あなたの意見を聞かせてください。

質問者からの補足コメント

  • 上記問題に対して私の考えは・・・

    社会が一番うまくいく方法は「私より公を優先すること」である。そうであれば長官のように親を訴えた子供を正しいとするのは公の為なのだろうか? 家族の誰かが盗みをすれば、身内であってもすぐに警察に知らせることが正しいとなれば、多くの家庭で人間関係がぎくしゃくして社会に大きなひずみが出来、やがて密告が正義となり社会が冷たい関係になりうまく回らなくなるでしょう。ゆえに長官は正しいとは言えないでしょう。しかしもし父親が人を殺しているのを見たら、身内でさえすぐ警察に知らせないといけないでしょう。

      補足日時:2019/05/04 06:44
  • それでは父親の盗みを見た時、息子はどうすればいいのだろうか。善は私欲を抑え公の為とみんなで考えることである。息子は自分一人でこれが正しいと決めて行動しないで、まず母親や家族に打ち明けてとみんなで考える。そして母は自分の子供が盗みの現場を見たと言うよりは「見知らぬ誰かが父親が羊を盗んだのを見たと言ってきた」と言う話をして、父親を説得して羊を返しに行くのがいいでしょう。あくまで息子は父の盗みは知らないとした方がいいでしょう。子供が父親の犯罪を見たと分かれば一生、父と息子との関係はよそよそしくなりぎくしゃくすることでしょう。

    結局、社会が一番うまくいく方法は常に「公の為」が正しい答えなのである。何か問題が起きれば、何が最も優れた方法なのか、公の為になるのかとみんなで考えることが一番良いのである。家族のことも社会のことも含めて考え一番公の為になるのはどんな方法なのかと考えることが正しいのです。

      補足日時:2019/05/04 06:47

A 回答 (35件中1~10件)

皆さんは論点がズレていると思います。



まず、孔子は、「直は其の中に在り」といっただけで、「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。」ことは、一言も正しいことだとはいってません。それどころか「郷原は徳の賊だ」とも言ってます。

先天の生まれつき備わった直は孔子の直で、後天の社会的に身につけた直は長官の直であるというだけです。

どちらが正しいとか正しくないとかはありません。しかし、長官など地位のある職種につくと、見失いがちになる先天の直も大切にしていきたいですね。
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この回答へのお礼

>「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。」ことは、一言も正しいことだとはいってません。<

いや長官は間違っている、俺が正しいと言っていると思いますよ。「郷原は徳の賊だ」は長官の事でしょう。

お礼日時:2019/05/09 21:11

論語物語



下村湖人  
https://www.aozora.gr.jp/cards/001097/files/4292 …

孔子と葉公

一部抜粋


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ふと彼は、数ヵ月前、役人から受けた報告の中に、非常に感ずべき事件のあったことを思い出した。
(そうだ、あれは全く珍らしい事件だった。あれなら誰が聞いても、人民に遵法の精神が横溢している結果だと思えるだろう。何しろ、親子の関係をすら超越して、国法を守ろうとしたのだから。)
 彼は夜があけると、係りの役人を呼んで、もう一度、事件の内容を委しく書類によって調べさした。書類には次のようなことが書いてあった。
「某それがしは、隣家から迷いこんで来た羊を、そ知らぬ顔をして自分のものにしてしまった。しかし、その羊が隣家のものであるということを説明する材料は、何一つなかった。そこで、この事件は、隣家の者の云いがかりだということに決定するより仕方がなくなっていた。ところが、某の息子が、わざわざ役所にやって来て、国法は曲げられません、私は正直を愛しますと、云って、羊が迷いこんで来た当時の事情を委しく申立てた。役所では、法律に従って厳重に横領者を罰すると共に、息子には規定通りの賞金を与えることにした。」
 葉公は、息子のいった、「国法は曲げられません、私は正直を愛します。」という言葉を、特に印象深く聞いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もしかして、この質問、息子が賞金欲しさに父親の盗みを申立てたという前提に立ってる?

だとしたら、OUT!

息子に規定通りの賞金を与えることにした。←息子がその賞金を手にできたと思う?

な、わけないじゃん。役人に掠め取られるのが関の山。

じゃあ何で、息子はわざわざ役所にやって来て証言したのか?

役人に脅されて、出向かざる(偽証せざる)を得ない状況だったと考えるのが妥当。

家族が人質に捕られてる(十分あり得る)

この時代、民は人であって人でないように扱われ

権力を持つ者のおもうがままに弄ばれてたんだよね。

「国法は曲げられません、私は正直を愛します。」⇒「 国法は曲げられません / 私は正直を愛します。」

国法は曲げられません←権力者には逆らえない

私は正直(父)を愛します。←(偽証への悲痛な訴え) 

父は子の為に隠し、子は父の為に隠す

直きこと、其の中に在り



過ちては則ち改むるに憚ること勿れ

子曰ク、「君子重カラザレバ則チ威アラズ。学ベバ則チ固ナラズ。忠信ヲ主トシ、己ニ如カザル者ヲ友トスルコト無カレ。過チテハ則チ改ムルニ憚ルコト勿レ」ト。(『論語』学而)
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この回答へのお礼

>役人に脅されて、出向かざる(偽証せざる)を得ない状況だったと考えるのが妥当。<

そんなにひねくれて取られてもこまりますw

>私は正直(父)を愛します。←(偽証への悲痛な訴え) <

面白い意見ですけどたぶん違います。

お礼日時:2019/05/09 20:58

孔子の名言の中には明らかに間違いだと感じる内容が多いと思いますが、これについてはポイントになる部分、「なんのために羊を盗んだのか?」という部分が不明のため、どちらが正しいか判断できない、というのが正しい答えだと思います。



 孔子は、本能に縛られる感情の部分と理性的な大義の部分をしばしば混同してしまうため、人生訓としては危険な部分が多いような気がします。日本の刑事訴訟法では身内の罪をかばえるようになっていますが、現実世界では本人のために罪を暴き罪の償いをさせないと、隠ぺいしたことにより後あと大きな禍根を残すことも多いと思います。

孔子の名言の中で、明らかな間違いだと断言できるのは、「少年老い易く学成り難し」だと思います。私は「年寄りは年取らんのか?時間は全ての人間に平等だろうがよ、バカかお前!俺は若いころ大嫌いだった歴史に30歳過ぎてから興味を覚え学ぶようになったぞ!」と食ってかかりたくなります。

 そういえば、「40にして惑わず」というのも非常に危険で、私に言わせれば40歳代の若造が最も危険だと思います。40歳ごろに正しいと思ったことの半分は、60歳になるともっと深い意味があることを知り、残りの半分は全くの誤りもいいとこです。
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この回答へのお礼

>孔子の名言の中で、明らかな間違いだと断言できるのは、「少年老い易く学成り難し」だと思います。<

何の間違いもありません、あなたが間違っているのですよ。

>そういえば、「40にして惑わず」というのも非常に危険で、<

孔子とあなたでは相当違いますから仕方がありませんよ。世界の三大聖人ですよ。

お礼日時:2019/05/09 20:56

親が人として普通に子供を育んでいたのならば、子供が通報することはありえません。


人は優しさに接して正義を知るのです。
普通ができなければ子供は惑います。
これ以上は、人には理解できない。
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この回答へのお礼

しかし中国では普通に子供を育てたのに文化大革命で密告などやあんなに残虐こともやりましたからね。

お礼日時:2019/05/09 20:53

欲を捨てたら何も残りませんね。

公の為に考える原動力も失う。
自由は奪われたくない。私欲だね。
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この回答へのお礼

>欲を捨てたら何も残りませんね。公の為に考える原動力も失う。自由は奪われたくない。私欲だね。<

じゃ、一度欲を捨ててみたら。欲を捨てずにそう言われてもね~。自由を奪われたくない?自由の意味は何だい? あんたの言う自由は自由気ままってことだろう。それでは本当の自由って何だい。自由は奪えるものなのかい。

お礼日時:2019/05/05 19:51

#28です。



>子供が父親の犯罪を見たと分かれば一生、父と息子との関係はよそよそしくなりぎくしゃくすることでしょう。

見てない振りをすれば息子の心にわだかまりが残る、とはお考えにならないのでしょうか。

公の為には嘘をついても良い、ということですね。
絶対善は嘘を許容するのだ、と。
孔子と同じでは?
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この回答へのお礼

>見てない振りをすれば息子の心にわだかまりが残る、とはお考えにならないのでしょうか。<

息子が親父の万引きを見た、という問題で最もいいのはどうすればいいのか。「私欲を抑えて公の為」と考える。
公の為とは親父さんや自分の家族の為という事。息子のわだかまりを優先するのか親父のプライドを優先した方がいいのか。どちらが家族の為になるのかと考えて答えを出せばよい。

お礼日時:2019/05/05 06:46

孔子が正しいなら 今スッカリ廃れそうな孔子の教えを啓蒙しなければなりません。



しかし皆さんもう諦めてある様で。孔子、イエス、ゴータマ・シッダルタ、ソクラテスの教えを

上手くブレンドして子供たちに教えないと ろくな社会に成りません。
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この回答へのお礼

>孔子、イエス、ゴータマ・シッダルタ、ソクラテスの教えを上手くブレンドして子供たちに教えないと ろくな社会に成りません。<

彼等のすべての教えの本質が絶対善「私より公を優先すること」だから、これをしっかり教えればそれで済む話。私欲を抑えよ、そして公の為とリーダーの立場に立って責任をもって考え行えよ、ってね。

お礼日時:2019/05/05 19:50

#24です。



>しかしあなたの目指す所はどこですか? あなたには見えていますか?

あなたの表現をお借りするなら、「私」に無理の生じない範囲で「公の為」の範囲を広げていくことですかね。
補足も拝見しました。
この場合の私見は以下のとおり。

・家族全員が餓死寸前であった。
・且つ、そうした状況を救済すべき他の手段が存在していないような社会であった。
といったシチュエーションを前提とすれば、孔子説を支持します。
そして、後々、私的の状況が改善してから借りを返す。
しかし、そうした切羽詰まった状況でなければ、長官説を支持すると思う。
これまた食肉業界の話になってしまうのですが、以前、ミートホープという会社が牛肉と偽って他の肉を混ぜたりしていた事件がありました。
詳細は不明ですが、たしか身内からの内部告発だったと思います。
記者会見では、社長に対して長男が、すべて正直に話すべきだ、と諭していたのが印象に残っている。
即座に会社はつぶれましたが、致し方ないかと。
しかし、おそらくですが、彼らは現在、生活に困っているわけではないはず。
要するに「適度な善」を基本としつつ、「適度」の度合いをあげていくしかないのではないか、ということです。
民度と言っても良いし、国民のレベルと言っても良いかもしれないが、個々の自覚に委ねるしかない。
個人でできることがあるとすれば、少なくとも詭弁や不合理な論理を安穏と見過ごすことをしない、ということかと。
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この回答へのお礼

>孔子説を支持します。<

私は孔子を支持していませんよ。盗んだことはちゃんと責任を取らせなければなりません。母親が父親を説得して謝罪に行かねばならないでしょう。勿論相手が承諾しなければ裁判になるでしょう。しかしそうなれば家族が壊れるかもしれません、それは公の為にならないと言うことです。みんなで社会にとって一番いいような、公の為になる答えを出せばいいのです。

>牛肉と偽って他の肉を混ぜたりしていた事件がありました。<

それは公の為ですか?適度の善で妥協することは本当に公の為ですか?そんなことのない社会にしなければなりません。くそ官僚の天下りなどがなくならない限り良い社会は作れません。本来公務員は公の為にやらねばなりません、しかし現在の官僚は私欲優先です。ですから私が言うように絶対善「私欲を抑えて公の為」を広めなければならないのです。私の言うことに何の矛盾があるだろうか。

お礼日時:2019/05/04 20:03

補足欄を見ての問題点:



1. 理念から演繹してひとつの規範を決めようとしている。

① その倫理規範をただひとつの判断の基準にしようとしている。
② 判断は 対立する二項の中からどれかひとつをえらぶ形を採り 
そのように白か黒か 善か悪かの選択でしかないと閉じた形でまと
めてしまっている。


2. ひとつの規範による二者択一のかたちだが つねにフィード
バックをして考えを積み重ねていると反論されるだろうが そのと
きにも やはりつねに善悪の一刀両断になる。



3. ★(補足欄) 子供が父親の犯罪を見たと分かれば一生、父
と息子との関係はよそよそしくなりぎくしゃくすることでしょう。
☆ ひとの心をも 対立する二項によってのみ捉えようとしている。

人間関係をも 良し悪しのどちらか一方として持たれるしかないの
だと決めつけている。

一生 相手を・つまり互いが互いを 引き受けるという行き方を身
につけることが 大事だ。

一生悩み苦しみ汗を掻くのである。

スイカをつねに一刀両断していないと 落ち着かない様子に見えて
しまう。
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この回答へのお礼

私の言う絶対善は絶対的に正しい方法でありこれ以上の物はない。これで考えることこそ最も正しい答えに辿り着けるのである。勿論、知恵のない者たちが話し合って決めても良い結果は出せないかもしれない、しかしそれでも問題を考えるにおいて絶対善である「私欲を抑えて公の為と考えること」以上に正しい方法はない。未来永劫、絶対善で考えることが絶対的に正しい方法である。これ以上に正しい方法があるなら答えてほしい。絶対にないだろう。
絶対的に正しい方法を使わない選択などあろうはずはない。何故、最高の方法を使うことを拒否するのか?

お礼日時:2019/05/04 20:02

父親が人を殺しているのを見たら>窃盗と殺人の間には明快な区別はない。

例えば飢えた者から食物を奪えば時間をかけた殺人に他ならない。つまりあなたの議論には何の意味も無いことになる。
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この回答へのお礼

万引きと殺人ではレベルが違う。物事は限度を知ることが大事である。限度を超えればもう我々の手には負えない。万引きぐらいなら我々庶民の間で解決できる問題であり、それが公の為であろう。しかし殺人を我々庶民だけで解決することは公の為ではなく悪である。

お礼日時:2019/05/04 20:01
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