プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私にはどうにも理解し難い事があります。

メディアや家族からの会話、そして同級生からもよく耳に入ってくる話題なのですが、恋愛などについての定義(?)の様なものを話し合っているのが気になります。
特に気になるのは「リア充」と「彼氏(彼女)」についてです。
まず、リア充についてなのですがリア充とはリアル(現実)の生活が充実している人物を指すことらしいのですが、近年では恋人の有無で定義づけられる事が殆どらしいです。
少なくとも、「リアルに充実した生活」というのは私の知るメディアでも恋人の有無で充実しているか判断している様です。

これは、恋人がいなければ本当に充実した生活を送れていないという事なのでしょうか?
「恋人がいる=充実した生活」というのは、どうにも納得いかないのです。私にとっての充実とは勉強がつまづく事なく順調に出来ている事です。これは、個人によって違うはずなのに何故これを恋人の有無で定義づける必要があるのでしょう?
ましてや「彼氏(彼女)作った方がいいよ」なんて声をかけられるのも変だと思うんです。
個人的には自分の歩み方は自分の思うままになりたいものになって道を進んでいこうと思っているのに、それを恋人がいるかいないかの物差しで人から指摘されるのは癪に触るんです。
それも、近頃は周囲がそうやって定義づける人が多くて悲しいんです。
小学生の頃までは恋人などにこだわる人はいませんでした。けど、それ以降は段々とカレカノに対しての意見が出始めました。



何故でしょうか?どうしてこのように恋人に対して周りは敏感なのでしょうか?それぞれ感覚は人それぞれ違うはずです。
何故最近は恋人を意識する人が多いのでしょう?恋人中心の人が多くなってきて悲しくなってきます。

誹謗・中傷はお控え下さい。

A 回答 (1件)

ホルモン経由の快楽にはヒトは敏感なようです。ドラマ、小説、エピソードになりやすいのは恋愛ですよね。ワクワクドキドキの恋愛はドーパミンというホルモン快楽によるものですね。

あるいは、出世、セックス、パチンコや賭け事にも同じホルモン快楽の経験をするようです。ドーパミン、セロトニン、オキシトシンといった快楽ホルモンにリミッターがありません。一度、これらで得たホルモン快楽は、脳が何度でも際限なく体験しようとします。これが中毒の仕組みです。
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