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最近の展示会や過激コンテンツのマニアを目にしていて、表現の自由のために、死にたい人が世の中には多過ぎるように感じます。

命が狙われていると騒ぎ立てるのに、救われる方法を実践しない、あるいは実際に多数の犠牲者が出たのに、委縮しない、負けない、などと、自ら危険を招いているような人が多くいます。

救われる方法として例えば、マスメディアの前で、議員、主長、主催者、製作者、支持者などが、「自分たちの表現や考えが間違っていました。多くの方を傷つけてしまい、申し訳ないです」と泣き崩れながら、土下座して、何度も頭を地面に擦り付けながら謝罪すれば、傷ついた人々も許してくれるでしょうに。
あるいは、辞任したり、表舞台から去ったり、マスメディアの前でアトリエや事務所、製作所の資料や道具、作品、著作物、等を自らの手で破壊しながら、謝罪すれば命まで狙われることもないでしょう。

なぜ、死なない方法が沢山あるのに、行わない人がいるのでしょうか?

そして昨今、表現の自由のために、死にたがる人が多いのは何故なのでしょうか?

そこまで、大事なものですか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    >あんな脅迫、嘘と見抜いてるからです
    関西のアニメ会社の火災があった時に、「君の名」で有名となったアニメ監督が、ひるまず、やめず、作品を作り続ける、と新作の舞台挨拶で言ったり、犯人が影響を受けた作品のモデルとなった吹奏部は府大会へ出場したり、などの第二、第三の犯行を招くような言動や表現を行っています。

    実際に大量の死者が出ているのだったら、新作をお蔵入りさせたり、部を解散したり、するのが普通なのではないでしょうか?

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/07 17:00

A 回答 (12件中11~12件)

人間というのは、個人としての命と、集団としての命があるんですよ。



世の中には、独裁者として恐れられた人物が何人もいます。スターリンや毛沢東やポルポトなど。戦時中の日本もそうでしたね。彼らを前にして表現の自由はありません。彼らが気に入らないと思ったら、アリを踏み潰すより簡単に人を殺せる。そういう社会でした。

そんな風に虫けらみたいに簡単に殺される社会にならない為に。その為に自由があり人権があるんです。表現の自由も、その1手段です。香港の人達が今、命がけで戦っているのは、自由と権利を守り抜かないと、虫けらみたいに殺される社会が待っているからです。チベットやウイグルの現状のように。

そして、そういう社会にならないように、個人の命を犠牲にして、集団としての命を守ろうとしているんです。
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それを阻害されたら、思想的に戦前や戦中に戻るからでは?


また一部の偏重的な思想集団に、有形・無形の弾圧をされることに対する正当的な主張ということでしょう。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>思想的に戦前や戦中に戻るからでは?
死ぬよりも、嫌なことなのでしょうか。

お礼日時:2019/08/07 16:33

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