スマホに会話を聞かれているな!?と思ったことありますか?

机上の空論=頭の中だけで考え出した、実際には役に立たない理論や考え。

哲学というものが「机上の空論」に過ぎない遊びである、と考える人は少なからず
いると思います。しかし、そうであっては絶対にならないと思います。

広義の哲学は、物事の根本の道理を指し示すものだと考えるからです。また、これ
をいい加減に考え、あるいは考えない、ということであれば、人間のすべての行為
が根拠の乏しい、浮き草のようなものになってしまうと思うからです。

あ、さて、

1.哲学に限らず、机上の空論というものは存在します。何故、このようなものが出
来上がるのでしょうか?

2.これぞ「机上の空論」というものを例示してください。

3.AIも、机上の空論を組み上げることはあると思いますか?

「机上の空論」の質問画像

A 回答 (20件中1~10件)

ここではにゃんポコさんはじめ話せる人がまだ居ますが、他の最近のSNSでは、悪い情報、憎悪や怒り、悲しみがバズる事が多くあって、おそらくこれは世界中で蔓延している現象なのかなと思います。


にゃんポコさんが昭和を贔屓目にしていると(少しだけ)思ってたことは申し訳ないです。猪突さんについても、日本を贔屓目に見てくれてるなあと私などは思ってしまいます。
私は外国語などあまり出来ないですから、海外情報は基本的に和訳されたものしか聴けません。ですが、にゃんポコさんの危惧している状況は、世界的な傾向であると最近感じています。この傾向がいつ生まれたのか、原因は何か、まだ私には分からないのですが、日本国内をなんとかすれば何とかなるレベルではないと感覚的に思う様になってきました。大きな潮流の中で、世界がどこからきてどこへ向かうのかと言うことについても考えなければならないのですが、私には手に余る。
にゃんポコさんと話すと平静さを取り戻せるのが良いですね。ツイッターだと、呟きというよりボヤキが多くなってしまうし、ブログだと詩みたいになってある種の自己満になったり。
私も30代と言えどアラフォーで、精神の社会化も以前よりは大分進んだ様に思います。だから、にゃんポコさんや他の年配の方の言う事がだんだん分かってきたんですね。自分が幼かったと言う事実と共に。
私は優秀なのではなく、ただ多く思索する時間が許されていて、また他者の話を真摯に聴く事が出来ていたので、少しだけ文章が書ける様になったと言うだけであって、真に優秀な若者は他にいます。いや、いてもらわなくては困る。そして、優秀な人はいても、志のある人は現代日本には少ないかも知れないなと思います。います?40未満の志士。
もう、教育が少なくとも2、30年前から形骸化してて、心を育てると言う事が出来なくなっている様に思います。師や先生がおらず、自力で見出さなければならなくなってる。その事実を、子供達にはきっぱり言うべきだと思います。型(知識)は教えてやれるが、心は自身で培うしかないぞと。
それは、簡単な事ではないのですが。
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この回答へのお礼

仰る通り、世界的な傾向ですね。それは、インターネットがあるからそうなったと
言えますから、逆に新しい潮流はインターネットによって、世界中に拡散が可能で
あると言えます。これからは、更に大量のデータがより高速に、正確に伝達されて
ゆきますから、時代の変化も速いのでしょう。

優秀な人はたくさんいると思いますが、「志士」という種の人間が育つ環境がほと
んどないと思います。
例えば、ホリエモンという人物。彼自身はもう46歳という年齢ですが、若い人たち
に大きな影響を与えていると思います。
以前はもの凄い迫力を感じたものですが、刑務所から出てきてからは「近い将来の
ことさえ分からない時代だから、考えてもしょうがない」などと言っており、信念
というものを感じなくなりました。

一般的に言って、リスクを避け、時代に合わせて生きてゆく人が多いのでしょう。
改革的といっても、既存の一分野をマイぺースで担当したい、という程度に見えま
す。

ホリエモンは孫正義には逆立ちしても敵いません。孫はすでにソフトバンク一社で
10兆の金を動かしているといいます。そして、多くの専門家を育て、株式市場から
膨大な金を得ようとしています。彼の舞台は世界ですが、日本ではもう敵なしでし
ょう。

まあ、そこまではゆかずとも、信念が強固で、目的が明確なら、5年もあれば業界の
中で頭一つ抜け出すことは可能だと思います。

中高年よ、大志を抱け、ですね。

お礼日時:2019/09/13 04:02

最近、日本の近現代についての情報を少しずつ仕入れています。


ニャンポコさんが昭和生まれだから昭和を贔屓目に見ることが多いのかなと思う節が以前はあったのですが、客観的に見て昭和時代の日本人はしっかりしてたんだなと思うようになってきました。
ネットの力もあり、最近私は両目両耳で話を見聞きすることができるようになってきてて、当時の様子をイメージする事が増えました。二十代前半くらいまでは、日本って窮屈で自由のない国だと思ってたんですよ。制服着るのさえ嫌でした。
しかしながら、全体主義と呼ばれていたものは単に皆の事を考える国民性があるということであり、個人を超えた広い世界観を持って生きてきた人々が日本人なのではないのか?と思うようになりました。
少子化もあり、平成時代、日本は停滞気味でもありましたが、それでも根本的な気質は変わってないように思います。
俺も年取ったんかな?(笑)

>そのためには、新しいものに対応できる柔軟さと、新しいことをやる勇気を持
った人間が台頭すべきでしょうね、これまでの枠組みにとらわれずに。

私が素敵だなと思う世界観の一つに、自分の先祖が、自分の子供として再び生まれ変わってくる、と言うものがあります。アボリジニかどこかの民族の伝承なのですが。
日本の古き良き魂(精神性)を持って、新しい時代を勇気を持って生きていく事、それがつまり現代を生きるという事になるのだと思います。

グレートジャーニーの頃よりこの列島に辿り着いた人々が、神話の時代を紡いで、数々の歴史を跨ぎ、今の国土を築き、そしてまた新たな時代の波を受けながら航海をしているというような、壮大なドラマを最近感じています。

そういう長い時間や広い世界を持つこととは反対の方向に、自分だけの世界に閉じこもると、頭だけで考えが空転してしまうという事になるのかなと思いました。

>企業の目的は、「合理的に利益を上げること」ということに画一化され、「そ
れ以外に何がある?」と、皆が言います。

これが、付け加えるなら、自分の利益以外は利益ではない、というようなものであるなら、まったく間違った、子供じみた、馬鹿気た見解であり、そんな生き方で楽しいの?と言わざるを得ない事だと思います。
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この回答へのお礼

私が昭和を贔屓目に見るとか、ノスタルジーに浸っているとか思われているのか、
と想像することは辛いことでした。
人間ならば、そういうことが皆無であることはないのかも知れませんが、私は贔屓
ということが嫌いです。

贔屓というものは、つまり、自分が好きなものを他のものより優れたものであると
決めてしまうということだからです。
古いものがいい、逆に新しいものが優秀だ、どちらも贔屓であり、間違いのもとに
なりえます。諸悪の根源の一つと言っても過言ではないかも知れません。

昭和の文化を悪いものとして、十把一絡げにして排斥しようとする動きの由来は、
世代間、男女間の憎しみであったと思います。
重度の障害者を殺戮したあの恐るべき感覚が、若い世代、女性を中心に生まれてし
まっていると思います。

小さな子供が、癇癪を起こし親に向かって「死ね!」と叫ぶ時代です。その沸点の
低さ、人に対する憎しみが、要するにどこからきているのか、今考えています。

キサラギさんも含めて、20代、30代の優秀な人たちが、そうした現代の病いに気付
きはじめ、少しですが変化してきたように思います。
その裏には、我々中高年のいたたまれない思いがあったことを知っていただけたら
嬉しいです。

「人間」の中に美しいものを見れなくなった時に人は、理想というものを見失うの
だと思います。年齢は全く関係ないと思っています。
理想を持った老若男女のみが、世界を「良く」変えうるのは間違いないでしょう。

人生100年の時代にもうすぐなるでしょう。そして、現代という時代は、例えば明治
維新の時代よりもはるかに複雑で難しいです。その時代に何かしようと思えば年季が
いります。
30代など、まだ鼻たれ小僧だと思ったらいいと思いますよ。(笑)

お礼日時:2019/09/12 05:12

>人々の保身の心は強まる一方。



企業は社会の公器という言葉がありますが、それを地で行ける企業の数も目減りしてきたのでしょうか。常に外圧にさらされていながら内部の事も考えるというのはある種の離れ業でありますが、大が小を養うという考えではもうやっていけないのだと思います。画一性から離脱し、一人一人の成長にスポットを当てることで、人々の内面からの力が湧き出し、もう一度社会や立ち行かなくなった人々の人生を立て直せるとよいのですが。
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この回答へのお礼

話が少し横道にそれますが、

私が商売上で取引していたローカルな中小企業は、現在ほとんどが大きな
企業に統合されています。
多くの人間が馘首され、残った人間も大企業側の人間との確執(はっきり言
うと差別)に苦しんでいるようです。

そこには、愛社精神などなく、ただ自分の居場所の確保のための小さな手柄
を追う日々があるだけに見えます。

企業の目的は、「合理的に利益を上げること」ということに画一化され、「そ
れ以外に何がある?」と、皆が言います。
ところが、松下幸之助などの、昭和のキングダム達は、仰るような「社会の公
器」たるべきである等の「哲学」を持っておりました。

画一化された、人間がコストになるような哲学が変革されなければならないで
しょう。
そのためには、新しいものに対応できる柔軟さと、新しいことをやる勇気を持
った人間が台頭すべきでしょうね、これまでの枠組みにとらわれずに。

お礼日時:2019/09/10 00:12

そう。


頭で考えて分かることじゃねーだろ。って事に、納得できない。
人生の意味とか人間とは?なんて問いがその代表ですよね。これらは良い問いですが、学校の勉強を頑張った結果、人生って何?みたいな所でずっと立ち止まってりゃ世話ない。それが分かってからが本番でしょ。
分かってる人は子供の時から分かってるし、分からない人は年取ってもずっと分からない。
肝心な事が分かってないから、言われるままに、流されるままに受験を勝ち残っただけの人には学ぶ意思や目的が無いので、処置に困る"地位の高いバカ"になってしまう。
そう言うエリート()を量産してしまったのが現代日本の失敗の一つだと思います。どうしてこうなった。
素質のある人を教育して、素質の無い人には先ずは素質を身につけてもらう。
素質の無い人には降りてきてもらい、素質のある人には上がってもらう。それが理想だけど、でも人間社会では、素質の無い人に限って上がりたがるし、素質のある人に限って降りたがる。逆転するんですよね。
結果、バカが猛威を振るって賢い人は鎮静する。
年功序列ももう機能していない。年取ってたら人間が出来てるのかというとそうでも無くなってしまった。スケールのある若者も少ないし、中年は自分の人生だけで完結してるみたい。
欧米信仰とか、嫌韓とか、どうでも良いねボタンがあれば連射したくなるような事で時間食って、自国を含めた各国各地域の本音など大きく本質的なことについては秘されたまま。

人間不信、社会不信、自信の喪失が人々を覆っていて、根底的なものに意識が至る前に、時が早瀬の様に過ぎ去って行く。
根底的なものを言葉や態度に表すことは機縁によるところであって恣意的に為すことは出来ないが、世の喧騒を喧騒だと知る人が、それらを排した世の真相に迫る事ができ、また機縁を生じてその真実を知ることができ得る。

世の道理は根底的なもの(清浄とか真実とか、光とか明かりとか言われるものでドグマではないもの)に至った人々によって絶えず流れているのだが、それを知らない人々は、世に道理は失われたと言って嘆くばかり。人々が世(人々自身)の喧騒に囚われることを止めることが、先ずは初めの一歩かなと思います。
津波がものすごい力で全てを押し流す様に、地球が地上の全てを乗せてものすごい速さで周回する様に、個体は道理に抗うことは出来ない。静かなものを転覆させることは出来ない。
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この回答へのお礼

教育の退廃、それを支える世相に対する痛烈な批判、ほとんど同感ですね。

日本の教育は、教育勅語の時代から、権威に支配されることを「奨励」した
という観点から現代も変わっておらず、従って、諸外国に劣るものであると
思います。

現在でも、企業に滅私奉公し経済を維持させ、自らの生計を立てよ、という
のが文科省の哲学だと思います。
ところが、「大企業」という権威が崩れ始めている。しかし、人々の保身の
心は強まる一方。
必然的に世の中は揺れに揺れ、乱れに乱れてゆくと思います、表面的には穏
やかであっても。
そう、ベートーベン交響曲第五の冒頭の旋律のように。

>人々が世(人々自身)の喧騒に囚われることを止めることが、先ずは初めの
一歩かなと思います

現代社会は、社会の現状を冷静に分析・把握することすら「悪」になりかねな
い危険性を持っていると、実感しています。ファシズムです。

社会のあらゆる分野において、新しい哲学をもって、新しい行動を起こす人が
待望されます。
そういうタイプの人は実は少なからず、いると思っています。

お礼日時:2019/09/08 13:04

no15について。



>2
>核燃料サイクルなんてどうでしょうか?

これは机上の空論じゃなくて完全にその逆でしょ。
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私は素人なので、素人なりの観点で。



1
人が論ずることには、大なり小なり抜けや漏れ、もしくは想像もつかないことが要素から排除されているということがあって(恐らくこれは避けられない)、導き出される結果(予想)が、多くの人が望むもしくは興味をそそられるもののうち、大きく期待外れになる(なった)ものが机上の空論と呼ばれるんじゃないかと思います。

2
核燃料サイクルなんてどうでしょうか?

3
AIの正体はブラックボックスの関数です。今のところ、特定の入力から導き出される解に納得することはあっても、関数そのものに説得力は見出だせていません。なので、「机上の空論を組み上げる」云々というのはアプローチが逆で、出来上がった関数を人が理解できるようになったときに初めて机上の空論であるかどうかを判断できるものだと思います。
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この回答へのお礼

1.当面の結果から判断されるのが、世の常というものですね。

2.あまり詳しくは知りませんが、現実を無視した強引な正論なのでは
ないかと思います。「誤魔化し」も感じます。

3.ふむ。

お礼日時:2019/09/08 12:26

机上の空論とはちょっと違うかもしれませんが、何でも頭で分かった気になってしまうとか、分からなきゃ気が済まないとか、そんな束縛を受けているせいもあるかなと思いました。

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この回答へのお礼

>そんな束縛を受けているせいもあるかなと

教育により、ですか?

失敗、苦労をしていない日本のエリート、こういう連中は実に厄介だと思う。

お礼日時:2019/09/07 03:22

ここで、この質問と回答の遣り取りが、机上の空論。

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>№5(2)の指摘については、どう思われますか?



机上の空論という表現は、もそも侮蔑的であって、侮蔑的でないニュートラルな表現としては形而上学という立派な術語がございます。

神を論ずることはそもそもが形而上学なのであるから、№5(2)は何も新しいことは言っていないよ。
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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございました。

お礼日時:2019/09/04 10:57

多分、机上の実論を見て、それが理解出来ない人が、理解したつもりになって空論を展開するのだと思います。



例えば魔術に使用する魔法陣。何の意味もないが、そこに意味を持たせてさまざまな儀式を行う風習が一部の人間達にはあった。
おそらく起源は、機械か幾何学か、地図か戦陣かなんかの設計図や図式(実論)があって、それを見た子供か誰かが面白がって形だけそれっぽいのを描いて真似たのが魔法陣(空論)の始まりだと思ってます。

今でも、意味のわからない言葉を理解した気になって使う人って居ると思う。そう言うことをすれば話は紛糾するんだけど、でも、意味もわからずするモノマネが悪いかと言うとそうでもないとも思う。モノマネする内に、その真意を悟る場合があるからです。

言ってしまえば、想像力が空論を生み出してて、そんな想像を通じて知識の片鱗を見出すことがあると言うことです。

3.については分かりません。AIに想像力があれば空論を構築する事は可能だと思います。
AIはお医者さんごっこをするか?
と言うような事ですね。
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この回答へのお礼

>机上の実論を見て、それが理解出来ない人が、理解したつもりになって空論を展開
するのだと思います

現実から離れた空疎な理論が生まれる一つの主たる理由だと思います。「理解したつ
もり」ということが、結論を決定してしまい、本来厳密な検証を行うべきところを、
主観的な論理的整合性のみで押し切ろうという態度になってしまうのだと思います。

そう考えますと、何としても真実をつかみたいと、厳密な検証作業を続ける科学者たち
の態度を「天晴れ」と称賛したいですね。

若かりし頃、「朝まで生テレビ」を真剣に見たものでした。初めはいいのですが、段々
と白熱してゆき、しまいには意地の張り合いですね。暴言まで飛び出し、いやはや…
主題はいったいどこへ行ったしまったかと、イライラしながら見ていて、そのうち飽き
ました。

今の若い世代では、そのあたりクールに見えますが、日本人には「決めつけ」のところが
どうもあるように思います。

AIについては知識がちょっと足りないので、勉強しないといけないと思っています。私に
はどうも納得できない部分があるからです。要は信用できないということです。

お礼日時:2019/09/04 05:05

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