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私は現実主義です。
神様や幽霊と言った不思議な話は、「あったら良いだろうなあ」と思うくらいで全く信じていません。

先日、友人に誘われてプロテスタントの教会に行くことになりました。
祖母がクリスチャンなので、あまり抵抗も無く行きました。

皆で歌をうたい、牧師先生が神様について熱く語られ、その後はお菓子を食べながらとても楽しい時間を過ごしました。
心が疲れていることもあり、彼らが言うように神様が本当にいたらどんなにすばらしいだろうと思うようにもなりました。

それはいいのですが、牧師先生の「神様が鞭打たれたのは私ためのためだ」「十字架に貼り付けになるためだけにこの世に下りていらっしゃった」と言う話が理解できません。
あまりに熱く語るので、正直、牧師先生が怖かったです。
そのあと数人でレストランに行きましたが、全員で食事の前にお祈りをした時、恥ずかしくて逃げ出したいと思ってしまいました。

また次回も誘われているのですが、私みたいな人間がキリスト教に入るのはおかしいのでしょうか。
恥ずかしいと思う自分と、信じてみたいと思う自分が居て、かなり葛藤しています。

教会は普通の家みたいな感じで、「キリスト教会」と言うより「宗教団体」と言う印象を受けました。中身は普通の教会でしたが……。そんな場所に通うことに抵抗があるのも悩んでいる理由の一つです。

A 回答 (4件)

両親がプロテスタントのクリスチャンだったので、必然的に中学生くらいまで教会に通っていたのですが、心の底から「すべてを信じる」ことができなかったので洗礼をうけず、だんだん教会から足も遠のいてしまったというものです。



幼稚園の頃、キリスト教における「ふしぎな話(アダムとイヴやノアの箱船など)」はあたりまえだと信じていましたが、物心つくにつれて、「そのまんま」を信じることはできなくなり、「あくまで教訓としてのたとえ話」として受け取るようになりました。

きちんと熱心なクリスチャンと論議をしたわけではないので、はっきりとしたことは言えませんが、牧師先生のおっしゃった「神様が鞭打たれた…」なども、少しそのような「たとえ」的な要素の含まれた表現と言っていいように思います。特に質問者さんが書かれているような2文などは、まるで慣用句のようにお祈りの中に使われるものです。(実際キリスト教の考え方の原点なのですが…)
牧師先生によっては、聖書から出てきたようにそのまま、「鞭打たれて…」とお話をされる方もいらっしゃるかとは思いますが、精神論としてとらえてわかりやすくお話をしてくださる方もいらっしゃいます。
(ただ、かつてはダーウィンの進化論がキリスト教に迫害されたり、といったこともありますから、宗派や先生によってもとらえ方も違うとは思います…)

それから、食事の前のお祈りなども、初めての人には恥ずかしいと思います。。私も年頃になって、そういうことがとても恥ずかしくてキリスト教から離れていったというのはあります。

教会に行って、気持ちが安らかになるのでしたら、積極的に行ってみてはどうでしょうか。恥ずかしいことは無理にする必要がありません。信じたくないところは信じなくてもいいですし、または、納得がいくまで牧師先生と話し合ってもいいと思います。
(事前にあやしい宗派かどうかはよく確認してください)
私の通っていた教会は、特にキリスト教を信じているわけではなくても「居心地がいい」というだけで、近所のヤンキーや、ちょっといじめられてしまっている子、障害のある人がたくさんたくさん集まっていました。
全員が、言われたとおりにお祈りをしたわけではないですし、全員が本当にキリストを信じていたわけではなかったと思いますが、それはそれでいいのだと思います。

キリスト教は(宗派によっても違いますが)「宗教団体」であることには違いがありませんが、いわゆる「熱心な信者になれ」というような強制はない宗教だと思います。(そうでない場合は気をつけてくださいね。献金など…)
あたたかく迎えてくれる場所、として行きたいと思う間は通ってみてもいいのでは?
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この回答へのお礼

長い文章を書いていただいて…。大切な時間をこんなに割いていただき、本当にありがとうございました。
なんとなく、どうすれば良いのかわかったような気がします。

お礼日時:2004/12/27 22:15

まず、ネット等を利用してカルトチェックを慎重にして下さい。

それで問題ないようでしたら、気持ち一つだと思います。
「自分で聖書を読むだけ」とは違って、団体に所属することは、様々な現実問題にぶつかると思いますが、もし自分に合わないと思ったら、別の団体を探すくらいの、精神的余裕を持って参加することをお勧めします。

実際、自分の宗教を探す以上に、自分の宗教団体を探すのは難しいと思う。
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この回答へのお礼

ネットではいろいろ調べたんですが、神様の素晴らしさとかしか書いてないんですよね(^^;
悩んでる人はどうすれば? ということに関しては何とも。
確かに難しいですね。困ったものです。

お礼日時:2004/12/27 22:11

えっと、まず「キリスト教会」=宗教団体だと


思うのですけど…。

>牧師先生の「神様が鞭打たれたのは私ためのためだ」「十字架に貼り付けになるためだけにこの世に下りていらっしゃった」と言う話が理解できません。
あまりに熱く語るので、正直、牧師先生が怖かったです。
なぜここで熱くなるのかって、それは
この点がキリスト教の最も大事というか
中心というか…そういうポイントだからです。

キリスト教の考え方っていうのは、
・人間は生まれながらに罪を持つ(原罪)
・その原罪は、イエスキリストの犠牲によって
 神から許された
・だからイエスを信仰することは
 神から正しいと認められる行為である
…みたいなもん?だと(私は)思ってます。
(テキトーな説明でスイマセン)

クリスチャンになるべきかならざるべきかってのは
あなた次第でしょうけども…。
今は無神論者でいらっしゃるのですよね?
(私も同じです^^;)

神を信じることは、私の意見ですけど、
人生の裏技みたいなもんだと思います。
神を信じていれば生きるのは楽になりますもん。
辛いことがあっても、神様を理由にしてしまえば
もう深く考えなくて済みますものね。
でも、本当の意味でのレベルアップは出来てない
…みたいな。
(いえ、本当に私個人の勝手な意見ですよ。)

心が疲れていらっしゃるなら、
ひとまず信じれば楽になれると思いますよ。
あなた次第でしょう。
回答になってなくてスイマセンでした。
そしてクリスチャンの方にも、失礼な発言でしたら
ゴメンナサイ。
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この回答へのお礼

あはは、きついお言葉ですね~。
無神論者だから言える言葉だと思います。でも私もこっちよりなんですよ。だから悩んでいるわけで。
「宗教団体」と言うのは「怪しい団体」と言うイメージでのことです。説明不足でしたね。すみませんでした。

お礼日時:2004/12/27 22:08

宗教とは自分の心のあり様のひとつであり、特定の団体に妄信的に「所属する」こととは違うと私は考えています。


世界中で最もよく読まれている本は聖書だということをご存知ですか?
質問者さまが神父の話が理解できなかったのは聖書を読んだことがないせいだと思うので、違和感を感じられたのもやむをえないことだと思います。
教会にいくいかないは別として、まず聖書を読まれてみてはどうでしょうか。
そこでもっと知りたい、他の人の意見も聞いてみたいと思ったらいってみるのもいいかも?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに、聖書の話は聞いたことがあります。難しい話は苦手ですが、まずそれを読んでから考えるのも大切ですね。

お礼日時:2004/12/27 22:06

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