【お題】絵本のタイトル

ユダヤ教の信仰は旧約聖書を基本とするという私の認識はまず合っていますか(間違っていたらご指摘ください)

ユダヤ教は新約聖書をどう解釈しているのでしょう?ユダヤ人迫害があったのはイスカリオテのユダの件以外に「新約聖書を否定するから」なのでしょうか?キリストが神の子であるというのは新約聖書ですが、ユダヤ教にとってそれは受け入れられないことなのでしょうか?

A 回答 (6件)

ユダヤ教は旧約聖書とトーラを基本としていたと思います。



新約聖書ではキリストが教祖になっていますが、ユダヤの歴史書にも
彼の存在を書き記されているようですが、予言者という
位置づけのようです。

キリストの死後、キリスト教は彼を神と位置づけして
教理はその基盤の上になりたっています。


ユダヤ人迫害というのがいつの時代のことを言っているのか
この文章からわかりませんが、紀元前からづっとこの少数民族は
他の力をもった勢力によって奴隷にされたりしていました。
第二次世界大戦時に迫害されたユダヤ人は、キリストの
時のユダヤ人とは民族が違います。
現在 世界を牛耳っているユダヤ人は、キリストの
時代のユダヤ人とは民族が違います。
だから、モーゼの時の奴隷時代と、第二次世界停戦の
時のドイツのユダヤ人虐殺の時の民族は違います。

イスラエルにはモーゼの時の民族と、今のロシアの地理に
あったハザール帝国の末裔と大きくわけて2種類のユダヤ人が住んでいます。

ユダヤ教とキリスト教は同じ神を信仰していますが
キリスト教ではイエスとその神は同じだという認識であり
ユダヤ教はキリストは我々と同じ人間として認識し
ユダヤの歴史の中のある時代の人物として記録されて
いるようです。

キリスト教はもともとユダヤ教の一派で、ユダヤ教は
いろいろな宗派があり、キリスト教団はその中の一つという
位置づけでした。
キリストの死後、キリストを教祖として位置づけたことで
ユダヤ教から完全離脱したのではないかと思います。
イスラム教も同じような流れで独立したんだと思います。
だから受け入れるという問題ではなく、認識の違いに
よるものだと思います。
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この回答へのお礼

皆さんのあつい解説を読ませていただきました。読み応えがありました!

お礼日時:2005/01/09 17:21

参考程度に


2000年前のユダヤはローマの支配下にあり、ユダヤの多くが望んでいた救世主は、エジプトからユダヤの民を解放したモーゼのようなたくましくて超能力をもちローマ軍からユダヤの地を開放するような救世主だったのでしょう。
ところが、「汝の敵を愛せよ」という救世主が出てきたわけですから、これは不満だったでしょう。認めるわけにはいかなかったでしょうね。イエスの弟子さえ疑って逃げましたね。
そういう意味で2000年後の今も新約部分は認めないわけです。
救世主モーゼの次が救世主イエスということ自体がユダヤ教徒には理解できなかったのでしょう。逆に現在のキリスト教者の前に救世主モーゼが現れた場合、キリスト教者は救世主として認めるだろうかと考えると、おそらくユダヤの民と同じことをするだろうと予想できますね。つまり神々にも個性があるということがいまだに理解できないことから来ていることなのです。認識力の問題ですね。この認識力の低さが多くの不幸をもたらしているのですね。
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仏教の僧籍のものなので、場違いかもしれませんが…



>ユダヤ教におけるイエスの位置づけは預言者
これはイスラムでのイエスの位置づけでしょう。イスラムではイエスは「預言者」、つまり「神の言葉を預かった“人間”」であって、キリスト教で説かれる「神の子」ではない。そしてムハンマドは、アダムやノア、モーゼ、アブラハム、イエスなどに連なる、最後の預言者であり、あくまで“人間”であるという点が重要ですね。信仰の対象はアラー(神)のみですから(なお、アラーは「神」という意味であって、アラーという神ではありません。ですから中東のキリスト教徒も神をアラーと呼びます)

・ユダヤ教・・・イエスは認めない。聖典は『(旧約)聖書』
・キリスト教・・・イエスは神の子。聖典は『旧約聖書』、『新約聖書』
・イスラム・・・イエスは預言者。聖典は『コーラン』・『旧約聖書』、『新約聖書』の共に一部

 この3宗教はいずれも唯一にして絶対なる「神」を信仰対象とします。しかしユダヤ教はキリスト教・イスラムの教義を否定します。キリスト教はユダヤ教の教義を批判はしますが、イスラムは否定します。イスラムはユダヤ教・キリスト教の教義を批判しても否定はしません。
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ユダヤ教の信仰は旧約聖書を基本とするという私の認識はまず合っていますか>>そうだと思います。



ユダヤ教は新約聖書をどう解釈しているのでしょう?>>聖典である聖書に勝手に付け加えた不当な書物、という位置づけでしょう。我々の聖典を勝手に「旧約」などと位置づけて許せん、と思っているでしょう。

ユダヤ人迫害があったのはイスカリオテのユダの件以外に「新約聖書を否定するから」なのでしょうか?>>それらを含め、キリスト教を否定するからだと思います。

キリストが神の子であるというのは新約聖書ですが、ユダヤ教にとってそれは受け入れられないことなのでしょうか?>>受け入れられるはずはないでしょう。それを受け入れたら、ユダヤ教徒ではないでしょう。
「ユダヤ教におけるイエスの位置づけは預言者」についても、どうなんでしょうか。イエスを正しい人だったという位置づけをするとユダヤ教を否定することにつながるので、そう考える立場は多くはないように思います。
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ユダヤ教におけるイエスの位置づけは預言者です。



なお、イエスは人の名前であり、キリストは救世主という意味です。

新訳聖書の相当部分が旧約聖書の内容を引き継いでいます。キリスト教ははじめユダヤ教の一分派という感じだったので(パウロが異邦人の宣教をするまえ)当然のことです。イエスの12弟子たちの考えはイエスの位置づけがオリジナルなだけで、教えなどはユダヤ教の枠内の部分がほとんどなのです。

ユダヤ教では新訳のイエスの復活やイエスがキリストであることなどキリスト教の核になる部分は信仰的にみとめてないでしょう。それから、新約的観点からの旧約解釈=旧約の預言の成就も認めてないと思われます。それに対し、教えなどにおいてユダヤ教の伝統的考えをキリスト教独自のもののように説かれるのは、内容は認めてもこころよくは思ってないかもしれません。
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この回答へのお礼

1さん2さん、よく理解できました。
かなり詳しく、わかりやすく解説いただきました。
イエスは人の名ですか。
頭の片隅に、イエスそのものもなにかの一般名詞だったと残っています。思い出せません。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/08 15:08

素人ですが、回答させてください。


ユダヤ教は旧約聖書のほうだけを信仰しており、もちろんキリストが神の子(救世主)である事は否定しています。
旧約における救世主の登場の約束に対して
・ユダヤ教は救世主はまだ現れていない(まだ待っている)
・キリスト教はキリストが救世主であると信じている
・イスラム教はもハメットが救世主であると信じている
というのが立場と思いますが。
ユダヤ人迫害との関連はわかりませんが、新約=キリストが神の子である、を否定している事でキリスト教の信仰の根底を否定している事にはなると思いますので、それは影響があるかと…。
もう少し専門の方の回答を待ちましょう。
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