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楠木正成が朝廷に味方して、朝廷が政権を復活させるみたいなやつで、朝廷が力を持った瞬間、朝廷に裏切られたみたいな話を聞いたことあるんですけど、それと承久の乱ってまた違いましたっけ?

A 回答 (3件)

承久の乱は、後鳥羽上皇が執権北条義時に対して討伐の兵を起こし敗れて隠岐に配流された乱で、鎌倉時代の初期。


楠木正成が自害した戦いは建武の新政の失敗が生んだ建武の乱で、鎌倉幕府滅亡後の話で後醍醐天皇の朝廷と足利尊氏の足利氏との戦い。
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楠木正成は鎌倉幕府打倒に応じて挙兵。

足利尊氏・新田義貞も応じて挙兵。
後醍醐天皇が綸旨。幕府は倒壊。南北朝時代開闢。

承久の乱とは時代が異なる。この時は後鳥羽・順徳両上皇が綸旨。土御門上皇は止めたが、成功せず、結果は思いのほか集まる武士少なく、鎌倉軍が京を占領して敗戦。
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承久の乱は鎌倉時代の事です。



ついでに、楠木正成はそこいら辺の土豪なので、影響力は小さいですよ。
源氏の分家で有る、足利尊氏や新田義貞は、今の東海地区や関東、東北まで
影響力がありましたです。
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