

No.3ベストアンサー
- 回答日時:
1、について
平安時代の朝廷を代表する政治体制は「摂関政治」です。要するに、藤原氏が朝廷を牛耳っていた時代です。
摂関政治の特徴として、皇室に娘を嫁がせるなどして婚姻関係を結び、天皇との血縁関係を背景として権威をふるったことです。しかし、この摂関政治は縁戚として利用していたはずの天皇家(主に白河法皇)に権力を逆に掌握されたために衰退していきます。
鎌倉幕府の基本は「御恩と奉公」です。幕府は御家人に対して本領を安堵する代わりに幕府への忠誠を求めたのです。つまり、血縁ではなく、利害の一致によって成立した組織であると言えます。
もう一つのキーワードは「執権政治」です。鎌倉幕府の将軍は初代の頼朝以外、すべてが傀儡と言っても過言ではありません。そのため、鎌倉幕府は(一応将軍を頂点としているものの)実質的には将軍を補佐する執権である北条氏を中心とした集団指導体制を取りましたが、やがて政敵を征伐していき、北条氏の本流(得宗家)に権力を集中させるようになりました。しかし、鎌倉時代後半になると得宗家の権威も失われ、寄合衆と呼ばれる集団合議体制に再び戻っていきます。
つまり、武家政権は貴族政権と比較して組織での運営がより多くなされている政権なのです。
この回答へのお礼
お礼日時:2016/12/12 23:24
とても分かりやすかったです。役立たせていただきます。キーワードや、基本情報についても整理出来たので良かったです。ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
平安時代は朝廷の仕組みによっていて、土地は貴族や寺社などが所有した荘園と国司が支配した公領があった。
鎌倉時代には鎌倉幕府の地頭が絡んで複雑化する。
・鎌倉幕府だけが支配した土地
・荘園・公領に鎌倉幕府の地頭がいた土地(鎌倉幕府と朝廷が重層的に支配した土地)
・荘園・公領に鎌倉幕府の地頭がいない土地(朝廷だけが支配した土地)
鎌倉時代は鎌倉幕府が日本全体を独占支配したわけではなく、朝廷もそれなりに勢力を持っていた。
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せっかちで本当にごめんなさい。参考文献として、たくさんの情報が必要です。どうかよろしくお願いいたします。
もう少々、情報、御願いできませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
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