ウォッチ漫画『酒男子』新連載開始!

教えてください。歴史のこと。


1.平安時代の朝廷と、鎌倉時代の幕府(武家政権)の違いについて。
2.阿氐河荘の農民の訴えと正長土一揆の違いについて(以下の二つ)
★訴えを起こした原因
★その時代の武士たちの支配体制(政治について)


と言うような形です。一問だけの返答でも大歓迎です。どうかよろしくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • せっかちで本当にごめんなさい。参考文献として、たくさんの情報が必要です。どうかよろしくお願いいたします。

      補足日時:2016/12/12 22:15
  • もう少々、情報、御願いできませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

      補足日時:2016/12/12 23:10
  • (2)番答えてくださる方いらっしゃいませんか。

      補足日時:2016/12/12 23:39

A 回答 (4件)

1、について



平安時代の朝廷を代表する政治体制は「摂関政治」です。要するに、藤原氏が朝廷を牛耳っていた時代です。
摂関政治の特徴として、皇室に娘を嫁がせるなどして婚姻関係を結び、天皇との血縁関係を背景として権威をふるったことです。しかし、この摂関政治は縁戚として利用していたはずの天皇家(主に白河法皇)に権力を逆に掌握されたために衰退していきます。

鎌倉幕府の基本は「御恩と奉公」です。幕府は御家人に対して本領を安堵する代わりに幕府への忠誠を求めたのです。つまり、血縁ではなく、利害の一致によって成立した組織であると言えます。
もう一つのキーワードは「執権政治」です。鎌倉幕府の将軍は初代の頼朝以外、すべてが傀儡と言っても過言ではありません。そのため、鎌倉幕府は(一応将軍を頂点としているものの)実質的には将軍を補佐する執権である北条氏を中心とした集団指導体制を取りましたが、やがて政敵を征伐していき、北条氏の本流(得宗家)に権力を集中させるようになりました。しかし、鎌倉時代後半になると得宗家の権威も失われ、寄合衆と呼ばれる集団合議体制に再び戻っていきます。
つまり、武家政権は貴族政権と比較して組織での運営がより多くなされている政権なのです。
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この回答へのお礼

助かりました

とても分かりやすかったです。役立たせていただきます。キーワードや、基本情報についても整理出来たので良かったです。ありがとうございました。

お礼日時:2016/12/12 23:24

平安時代は朝廷の仕組みによっていて、土地は貴族や寺社などが所有した荘園と国司が支配した公領があった。



鎌倉時代には鎌倉幕府の地頭が絡んで複雑化する。
・鎌倉幕府だけが支配した土地
・荘園・公領に鎌倉幕府の地頭がいた土地(鎌倉幕府と朝廷が重層的に支配した土地)
・荘園・公領に鎌倉幕府の地頭がいない土地(朝廷だけが支配した土地)

鎌倉時代は鎌倉幕府が日本全体を独占支配したわけではなく、朝廷もそれなりに勢力を持っていた。
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この回答へのお礼

鎌倉時代の時には、二重支配が行われていたのですね。参考になります。ありがとうございました。

お礼日時:2016/12/13 06:31

ほんと、簡潔です。



1.
平安時代の朝廷は天皇がボスで取巻きが貴族。
貴族が地方を実効支配

鎌倉時代の幕府は征夷大将軍がボスで取巻きが武士。
武士が地方を実効支配
朝廷は幕府の上で権威を振るったが、日本を実効支配したのは幕府


2.
阿氐河荘の農民の訴え
★原因:地頭の搾取と勝手な振る舞い
★支配体制:鎌倉幕府(北条時宗)

正長土一揆
★原因:不作による飢饉
★支配体制:室町時代(足利義教)
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この回答へのお礼

天才やな

簡潔に分かりやすくまとめていただきありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2016/12/12 22:18

朝廷は中央で神事祭式を司るウエートが強く、一方幕府は神事を切り分けて実質的な政治を司る統治スタイルと認識しています。

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この回答へのお礼

ありがとう

なるほど。ありがとうございます。朝廷と幕府は、そのような点でも相対性があったのですね。

お礼日時:2016/12/12 22:13

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Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
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教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
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朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

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↓(権力関係)→『公家』>『武家』
(中略).
↓(権力関係)→『公家』<『武家』
その後,織田信長政権以降,戦国時代を経て,大名という『武家』の台頭により,『公家』はないがしろにされ,天皇を含めた朝廷の権威のみを利用するという,(ほとんどの)各大名を統治した中央集権体制を確立しました.

ざっくり書けば,こんな感じです.

詳しくは,【執権】↓をご覧下さい.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E6%A8%A9
『武家政権』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E6%94%BF%E6%A8%A9

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#2です。
やはり本を読まれるのが良いような気がします。Q&Aではどうしても断片的になるので。先に挙げた新書の他に、井沢元彦「逆説の日本史」3,4,5巻あたり(小学館文庫)も、独特の歴史観ですがその分、わかりやすいです。本を読みなれてない方だと学者の書いた本より作家の書いた本の方が読みやすいでしょうし。

>一国に統治機関が二つあるような複雑な状況になったのは何故なのでしょうか?
>朝廷という国の統治機関がありながら、何故幕府という機関が発足したのか。

律令制の前提の公地公民(税収は国庫に入り、貴族には官僚としての報酬が支払われる)が、平安時代には貴族の私有地である荘園(および私有民)の拡大によって税収が減り、崩れます。この時点でもう、日本全体を治めるという朝廷政治は正常に機能していないわけです。天皇や皇族ですら荘園を持ち、国庫を経ずに収入を得ている。
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>当初、幕府の発足は朝廷の望むところだったのでしょうか?

朝廷としては、武士を皇族貴族の手足として使い、農民を支配するのが理想だったのでしょう。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇は親王を征夷大将軍にして武士をその配下に置こうとします。

>その後の関わり合いを見ても、非公式な発足とはとても思えないですが。
>ともすれば、利害の一致があったわけであり、お互いどのような目的で、

権威はあるが実質的に支配する能力の無い朝廷と、武力を持った武家政権との妥協ないし、武力による脅しの結果です。

幕府が朝廷を抹殺しなかったのは、一武家である源氏のちには北条氏が他の武家を支配する理由付けとして外に権威を求めたためと思います。これは日本特有でもなく、中世ヨーロッパでのローマ教皇と各国王との関係、イスラム世界でのアッバース朝カリフ(マホメット後継者)とスルタン(軍事)政権との関係も同じでしょう。奈良・平安時代の藤原氏が天皇家に取って代わらなかったことも。

>共存体制をとり、それぞれどんな役割を担う事となったのか。

実質的な支配と、その支配の根拠となる伝統権威との分担です。

#2です。
やはり本を読まれるのが良いような気がします。Q&Aではどうしても断片的になるので。先に挙げた新書の他に、井沢元彦「逆説の日本史」3,4,5巻あたり(小学館文庫)も、独特の歴史観ですがその分、わかりやすいです。本を読みなれてない方だと学者の書いた本より作家の書いた本の方が読みやすいでしょうし。

>一国に統治機関が二つあるような複雑な状況になったのは何故なのでしょうか?
>朝廷という国の統治機関がありながら、何故幕府という機関が発足したのか。

律令制の前提の公地公民(...続きを読む

Q幕府と朝廷の両立

鎌倉幕府などは承久の乱などがあって朝廷を警戒していたのに、なぜいつも天皇を残しておいたのですか?
朝廷を壊滅させればこのようなことはないと思います。
またそのころの公家などの生活費は独自に年貢を納めさせていたのですか?

Aベストアンサー

幕府も天皇制度あってのものですから。
将軍職は天皇から権限を与えられた役職に過ぎず、天皇がいなくなると自らの正当性もなくなるわけです。
たしかに武力が強ければ朝廷を壊滅させても日本国のボスにはなれると思います。
しかし単に力で抑えているだけで、正当性はないので、もし力が弱まったり、他にもっと強い勢力が現れた場合、今度は自分がやられてしまうかもしれないという恐れがあるわけです。
しかも新たなライバルから「過去に朝廷を壊滅させた」という汚名を着せられれば、味方になる者も増えないでしょうし。
こういうことを考えると朝廷を壊滅させるより朝廷の権威を利用したほうが得、ということになるのでしょう。

なお公家などはもともと自分で領地を持っていました。
しかし鎌倉幕府ができて地頭にどんどん侵略されていったようです。
ということで、生活費は独自に年貢を納めさせたいたと言えると思います。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む


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