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一万石 大名には家来は何人ぐらいいたのでしょうか
また 家来は毎日どのような生活をしていたのでしょうか

A 回答 (2件)

諸大名の所領・石高で準備しておく、一定の兵員と武器は「軍役」という制度で最低の線が決められています。


備える義務のある兵員は石高50石につき一人で、1万石では最低200名が必要とされ、軍役・武器は馬上(侍)10騎・鑓30本・旗30本・弓10張・銃20丁が規定として課されています。
慶安2年(1649)の軍役規定を見ますと、1万石の大名は馬上(侍)10騎・徒歩侍16名・弓・鉄砲・鑓持ちなどの足軽や中間等が209名の計235名とされています。
この人員が軍役として必要とされる人数ですので、基本的にはこの人数が大名家の抱える家臣ですが、「中間」は武士階級でないので、この人数を引いた数が武士としての家臣です。
中間などを約100名として、1万石の大名家の抱える武士は120名~150名ではないでしょうか。
また1万石の大名の参勤交代の行列は馬上3騎・足軽20名・中間人足30名となっています。
江戸における幕府からの拝領屋敷地は2500坪。
なお幕末時点で城持ちの城主大名家が158家あり、無城大名家(陣屋敷のみ)が100家あります。この無城大名家の総石数が151万石なので1家平均1・5万石となります。
この様に1万5千石以下の大名は陣屋敷のみの大名が多く、1万石大名で城持ち大名家は松前城の松前家、美濃苗木城の遠山家の2家のみです。
(以上、コピペ)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …



家来は毎日どのような生活をしていたのでしょうか
  ↑
藩にもよりますが、無役、つまり何もしないで
遊んでいる武士が多かったとされています。
つまり、仕事が無いのです。

仕事がある人も、ほとんどが三日に一日
出勤とかする程度が多く、釣り三昧、という
家来も多くいました。

仕事は、藩という地方自治体の官僚と同じ
ような仕事です。
一部の幹部は忙しかったようです。

仕事に就かないと出世も出来ませんので
仕事を得る為の猟官活動が盛んでした。
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この回答へのお礼

有難うございました 私の住む(現在人口7000人)近くの山に1300年に一万石の神楽城が築城されました 30年後城主が代わり抱城となりました 約150人分+家族の米と備蓄米=一万石とすれば ほぼ我が町だけで賄えたと思えます またこの地には大きな川が3つあり魚が沢山のいました 武士の生活が少し見えたようにあります

お礼日時:2016/06/03 09:05

まあ江戸時代ぐらいでないと差が激しすぎるので、その辺だとして。


1万石というと、最小規模の大名になります。

狭山藩(現在の大阪狭山市辺り)とかがその規模ですね。
家臣(藩士)の数は、130名〜140名といったところのようです。
(地元に100名強、江戸屋敷に30名前後)

日々の暮らしは、役職によって大きく異なります。
江戸時代にはすでに戦は無くなっていましたので、
ほとんどの藩士は事務員でした。まあ、今の公務員と大差ありません。
基本は毎日登城し、仕事をして帰宅し、武芸の鍛錬をしたり、書を嗜んだりする。
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この回答へのお礼

有難うございました 一万石大名と生活を調べていました。参考になりました

お礼日時:2016/06/03 09:21

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