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加賀百万石といいますが、どうして親藩でもない加賀藩は石高が大きいのでしょうか?
尾張徳川家や紀州徳川家も遠く及びません。
確かに前田家は織田信長の頃から力をつけてきていましたが、江戸幕府が開いた後、大大名の豊臣家は滅ぼされました。
江戸幕府としては、体制維持の為、大大名は弱体化させるように動くと思いますが。
というか石高は大名の力とは関係ないのでしょうか?

A 回答 (4件)

金沢藩初代の前田利長は関ヶ原の戦いの前から 80万石を超える所領を持っていて, かつ徳川とも協調路線をとってきた (準親藩扱いとなったのもその一環) ため, 徳川からすれば


・削る理由をあげにくい
・下手に削って敵対されると (最終的に勝ったとしても) ダメージが大きい
という判断をしたんじゃないでしょうかね. ちなみに加賀・能登・越中 3国で計 122.5万石, 加賀金沢藩としては支藩の越中富山・加賀大聖寺 (各 10万石) を除いて 102.5万石.

あと一般にいわれる石高は基本的に「表高」つまり「検地の結果として幕府に届け出た値」であり, 年貢の算出基準である「内高」とは異なります. さらに, 藩の収入にはほかのものもあるので, 石高は必ずしも大名の力を反映した値とはなりません. 例えば, 御三家筆頭である名古屋藩は表高こそ 62万石弱ですが木曽ヒノキの権利を持っていたため実際の収入はもっと大きな値になっています.

なお, 石高は家格に反映されるため, 家の格を上げるためわざと本来の石高よりも大きな値を申告した例もあります (もちろん負担も大きくなるため住人が割を食う形になります).
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/06/01 18:27

よく「加賀百万石」と言われますが、



これは、人口百万人という意味も含まれています。

その百万人を食べさせることが出来る国力がある、、ということだそうです。

石高=収入、、という意味だけではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/30 18:05

加賀藩と言う呼称は明治政府が「県」を行政単位に定めた時、「昔の行政単位を何と呼ぼう?、そうだ!藩と呼ぼう」と決めた物です。



で、加賀藩は加賀・能登・越中全域に相当する領地の合算なので、加賀の国単独の石高ではありません。

だから全部合わせた石高はそんな物です。

因みに石高も曲者です。
石高って、その領地に米がどれだけ生産できるかを表した量です。
1高=10斗=100升=1000合。

が、米の生産高と領地面積の関係は、秀吉が「検地」を行なった1回だけ。
歴史上1回しか無い。

だから、実際に米がどれだけ算出される領地だったのかとは、余り関係なく、単に領地の大きさを解り易く表したのが「石高」です。

仮に実際百万石だったとしても、石高は籾殻付きの状態の体積なので、
精米すると半分の50万石。

農民の取り分6割、年貢4割だから、領主の取り分は20万石。

精米1石=現在の5万円位だから、100億円。

加賀の国・能登の国・越中の国、全部の年間予算100億円。

家臣団の給与、行政全般、全ての予算が、たった100億円。
火の車だった事が想像できます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
その後調べたら、準親藩扱いみたいです。

お礼日時:2017/05/30 18:04

旧敵だからといって一定の勢力のあるものから領地を奪えば必ず戦争になるからですね。


島津や伊達も然り。経済力を与えることで互いに戦争をしない方が得な状態を作る。
そのかわり周囲の主要地には親藩、譜代を配置して牽制している。
御三家も同じ、経済力や軍事力を持たせれば内紛の元になるから権威だけしかない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/30 07:14

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