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素朴な疑問です
「忠臣蔵」の主役・大石内蔵助と
敵役・吉良上野介について
当時の武家の「石高の感覚」についてです

幕臣(旗本)と藩士(陪臣)の違いはあれ
大石
内蔵助も吉良上野介も
領地を禄として与えられていた上級武士でしたね

史実の赤穂事件を文献等でみると
大石家・赤穂藩家老:1500石
吉良家・高家旗本:4200石

ところが
大石内蔵助は
「代々家老の家柄で石高は高かった」
「四十七士は微禄の者が多かったが大身だった」
吉良上野介は
「石高は低いが高い官位を持っていた」
「高家を勤める名家だったが石高は少なかった」
等と語られる事が多いですよね

質問:大石内蔵助と吉良上野介だと
石高では吉良が大石よりも3倍近く高いのに
なぜ
大石の石高=高い、吉良=低い
と言う認識で語られるのでしょうか?

A 回答 (3件)

仰られるとおり、幕臣と藩士の違いです。

大名の家臣は思いのほか石高が低かったようです。それでも生活していました。内職を奨励していた藩も多いです。幕臣でも御家人は禄高は低かったようです。町回り同心などは薄給でした。しかし商人などの付け届けが大きく、かなりの収入になっていたそうです。牢同心はもっと禄が低く、当然付け届けなどもなかったでしょうから、どうして生活していたのでしょうね。中国では役人の給与は極端に低く、賄賂をとったり、住民から搾り取ったりして、結構いい暮らしをしていたようです。日本でもそのような事があったのでしょうか。
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田舎の武士で1500石なら、大身ですよ。



しかし、吉良家は高家として、旗本ですから
4200石では低い方です。


30年ほど前の話ですが。

当時の中国では、日本円で3千円もあれば
一家四人が一月、普通の暮らしが出来ました。

そういうとき来日した中国人バイトがおりまして
貯金が百万円になった、と大喜びしていました。

「これでお父さんより金持ちになった。
 一生遊んで暮らせる」


属する集団が違うと、基準も違ってくるのです。

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比較の問題です。



>大石の石高=高い

他の藩士と比べているだけで、吉良との比較ではありません。

>吉良=低い

比較の対象は大名で、官位と石高についてです。

大名よりは石高は低いですが、官位は大名と交じっても高い方です。
石高のわりに、官位などは高かったということです。

浅野内匠頭は5万石くらいで、位階は従五位下。
吉良上野介は石高は10分の1くらいでも、位階は四位です。
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