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こんにちは

昔放送していた時代劇で千石取りを目指す浪人がいましたが、実際には知行千石の武士というのはどれくらいの格式だったのでしょうか?
大藩の場合と中小藩の場合、旗本の場合などいろいろ違うと思いますが自分で家臣(陪臣)は何人くらい召抱えていたのでしょうか?
屋敷なども複数所有できるくらい裕福だったのでしょうか?

それではよろしくお願い致します。m(_ _)m

A 回答 (1件)

江戸時代に家禄千石の御旗本であれば、家数でいえば上位16%に入りますから、まずまずの家格でしょう。


軍役でいえば21人(小者も入れて)の義務があります。
但し、21人もの家来を雇うと家計は火の車ですから、これは建前として考えたほうが良さそうです。
大名の場合、知行の3分の2が家臣の知行だったそうで、家臣に千石出せるのは知行5万石以上の大名ではないでしょうか?戦国時代には石田三成のような例もあるようですが。
>屋敷なども複数所有できるくらい裕福
は、御旗本の場合、功により下屋敷を拝領する場合もあります。
>千石取りを目指す浪人
を時代が認めたのは戦国時代までであって、江戸時代にそういった人物を出すのは考証上無理がありますね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
千石で上位16%なのですね。勉強になります。
知行の3分の2が家臣の俸禄だと大名家の家計も大変だったのでしょうね。

お礼日時:2004/09/02 22:22

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