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町方の与力はかなり付届など副収入があったと聞きます。
並みの大身旗本くらいの収入になったとか…
実際、町方与力はそんなに羽振りが良かったのでしょうか?

人間、そんなに家禄以外の収入が多いと高価な買物をしたり、運用して増やそうと考えそうなものです。何かそういった逸話はありますでしょうか。

A 回答 (1件)

まず、与力の俸禄ですが、内与力のうち公用人(6人)が100石、目安方(4人)が50石であり、このふたつは町奉行が辞めれば、辞めることが普通でした。

それに対して、普通の与力は新任が150石から160石で、年功で200石まで加増されます。その中でも同心支配役になると30石加増になります。
そのうえ、多年の年功で5人扶持の加増があることがあったようです。
与力が南北それぞれ25騎づついましたが、天和2年から内与力を置くことになり、2名づつ少なくなりました。
与力の特典は毎朝女湯に無料で入ることができ、髪結が回ってきて調髪、髭剃りをしてくれるそうです。
役目柄付け届けが多く、4000石から5000石クラスの生活ができたそうです。
どうやら、普通の200石取りの旗本や諸藩の藩士のように見栄を張る必要がなく、純粋に生活のためにお金が使えたということのようですね。

参考:歴史群像ライブラリー3「江戸町奉行」
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この回答へのお礼

五千石クラスの生活となると相当な額ですよね。
不浄役人と罵られても、同じ与力でも大番与力などとは天と地の生活をしていたのですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/03/17 13:53

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