

No.4ベストアンサー
- 回答日時:
#3です。
尚、御家人も御目見えは出来なかったとはいえ、江戸城で将軍の直臣ですから、先程例に挙げました「陪臣」である仙台藩の石川家よりも、位は上ということになります。
お役になれれば幸いです。

No.3
- 回答日時:
お邪魔します。
江戸時代の武家の家格は「石高」で決まるのではなく、「立場」で決められていました。
例えば仙台藩の一番位の高い家臣である石川家は石高が2万石以上と、大名並みの石高ですが、幕府からみた立場は、あくまでも仙台藩主伊達家の家臣に過ぎず「陪臣」という立場です。
一方、旗本には石高が百石に満たない家もありましたが、立場的には将軍に御目見えすることが出来、仙台藩の石川家よりも位は上でした。
ご質問の旗本の重臣も、いくら石高が高くても立場は「陪臣」ということになり、将軍直臣の旗本より位は下でした。
これは公家でも同じで、昇殿が許された堂上家である例えば園池家の石高は30石と少ないですが、立場は天皇に謁見が許されている堂上家ですから、位は勿論高かったです。
以上、何かのお役になれれば幸いです。
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大名の重役が陪臣なら、将軍に近いほど格上とされたなら、直参の方が偉い。と思うのだが
石高【こくだか】
高(たか)とも。土地の生産高の表示方法で,太閤検地によって基本的に決定,江戸時代を通じて行われた。検地において面積の丈量,石盛の決定が行われた後に算出され,田畑・屋敷のほか,場合によっては特産物に至るまですべて石高で表され,大名の所領,農民の保有地の量を示す単位となる。