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江戸時代の代官の俸禄は何石ぐらいだったのでしょうか?

おろおね

A 回答 (6件)

江戸幕府の代官・郡代の禄高は「武鑑」を見ればわかりますが、禄高や任地などが記載されていないことがあります。

これを詳細に書いたものが「県令集覧」という資料です。文久3年の「県令集覧」で禄高の最も多い人、少ない人を捜してみました。
最も多いのは、
近江代官 多羅尾民部  1500石
駿府代官 伊奈半左衛門 1000石、役料300俵
逆に最も少ないのは、
倉敷代官 大竹左馬太郎 30俵2人扶持
関東代官 小笠原甫三郎 30俵2人扶持

だいたい100俵から200俵の人が多いようです。

なお「県令集覧」の文久3年版は早稲田大学の古典籍総合データベースで閲覧できます。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/
また活字化されたものが吉川弘文館から出版されていましたが現在は絶版のようです。
http://rnavi.ndl.go.jp/books/2009/04/00000120333 …
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yoshinobu_09さん、こんばんわ。





高柳金芳著江戸時代選書7「御家人の私生活」(雄山閣)によると5万石以上10万石以下の天領を支配するというということで役高が200俵だそうです。ただし、任命される人は大体200俵の旗本が任命されました。俵というのは蔵米取といい、領地ではなく、お米を直接幕府からいただくという俸給制度なので、米1俵は0.4石に相当します。だから換算すると80石になります。
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幕府の代官の場合ですが


150俵が定額の役高(役職手当の初任給)とのこと。
代官は下位の旗本(300~500俵)が就くので
持ち高300俵の旗本の例なら計450俵になります。

5~10万石の支配を任されるのには、小禄の感じ
ですが、陣屋を構え 550両 70人扶持の経費
(5万石支配の場合でこれが多いと比例して増える)
を貰えるのでまあまあですか。

稲垣史生編 「江戸武家辞典」より
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藤田覚著『大江戸世相夜話』(中公新書)の読書メモですがご参考までに。



代官の処遇は初期から低く、職禄150俵くらいで下位の幕臣である勘定と同じ。各藩の代官も低位少禄でせいぜい50俵前後、大藩で百俵。
戦国時代の大名にとって大事な家臣は戦士、代官は家事使用人。右筆は戦場で軍事文書作るので準戦士、鷹匠・鳥見も準戦士。伊豆江川家の家禄が150俵、もっとも非課税の自営農地があるとしても驚き。

韮山代官 江川英龍
http://www.egawatei.com/

代官を務めている人物が幕府から支払われる俸給(役料)は、150俵というわずかなものに過ぎませんでした(必要経費は別途支給されました)。代官は、あくまでも幕府、すなわち徳川家の領地支配を代行する役人なのです。
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奉行クラスの役高が、二千石、三千石だから



千石を超えるようなことは無かっただろう

ところで何の代官?
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9999石で旗本


1万石で大名です

かの有名な大石くらのすけが4500石で
かの有名な大岡えちぜんが6000石です

ダイカンはもっと低かったでしょうね
せいぜい500~1000石です
だから越後屋と結託して山吹色のお菓子で私腹を肥やしていたんですよ
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