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雇用や働き場所を作り、土地や金を貸すことで村全体の生活を考えていた大庄屋に、なぜ士族は嫉妬し、農地解放したのですか?
不平士族が革新官僚となり、大庄屋に嫉妬したため「農地改革」という中国共産党式の略奪に目をつけたのですか?
領地は国(武士)の物だという考えから、私有財産という資本主義の概念を認めたくなかったのですか?
明治以降、耕作していた士族の解釈はこのような物ですか?

「領地と人民は大名家の所有だったが、明治新政府の所有へ変更(版籍奉還)したせいで、士族が土地を失い、地主が生まれた。また、明治政府は各農地の耕作者を地主としていたが、地租改正により、税を物納ではなく金銭で納めさせることに変更しました結果、金銭を用意できない耕作者が土地を、力がある地主に奪われ、その金で税を納める結果となった事で、地主階級と搾取される小作人が生まれた。地主は、本来我々が搾取権を持つ土地を奪った敵なのだ。」

戦国時代に帰農し土地を持っていたもともとの武家(大庄屋)や、民が、今まで国(藩)から土地を借りていたような土地を持たない不平士族(プロレタリア階級)のルサンチマンに振り回されなければならなかったかを教えて下さい。

また大庄屋、豪農で耕作していた小作人よりも、生活に苦しくなったのは、家で働いてい使用人(下男、下女)馬番、庭師達だったそうです。
馬も数匹から1匹だけとなり使用人は殆ど解雇され、行く家も職もなくホームレスになりました。職を無くした使用人達を雇える家が無くなったからです。

A 回答 (2件)

時代も定義せず、複数の事象を、まぜこぜにして述べても、何を回答してよいのか?不明です。



土地は、2000年の歴史をたどれば・・・

・もともと私有だったのを、
・律令制で国有にし、
・開拓推奨で私有化を認め、
・貴族が名義貸しで独占したのを、
・武士が起こって、力で奪い取ったのです。
・それ以降は、国というか大名の所属で、
・間接的には武士のものだったのが江戸の終わりまで続き、
・明治維新は、その大名を解体し武士の特権を廃止。
・土地は、私有制を認めたが、逆に経済的に税金が払えず、
・結果として、カネをもっていた商人買い占められて、
・地主と小作人・・・・という関係になった。
・それを、戦後アメリカにより再び開放して・・・・

と、私有と公有をいったり来たりですが、今でも通常の私有の土地とは区別されて管理されていますね。

士族は嫉妬し・・って、明治初期なら、そういう思いを抱いた人はいるでしょうね。いつの時代も制度が変われば奪われる側の嫉妬はあるものです。そのことと、明治初期には未成熟かつ論理でしかなかった共産主義を紐つけても支離滅裂だと思います。また、農地開放は第2次世界大戦後のことで、アメリカの占領政策の一貫です。このとき士族はもういませんね。

時代と政策を指定して論じないと、このような無意味な話になります。
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貴殿の自論は引用文献わからない。

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