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「明治政府は意図的に百姓を地主制に縛り農奴にした。わざと農民を貧乏にしていた。兵士の供給源にするために」と、被害者面をしている人を発見しました。
地主から土地を奪った自らに正当性を持たせるため?
百姓の工作面積と収穫量で換算すれば、当時、教師の給金の2倍の稼ぎがあったことも明らかになってます。丁稚奉公、行商などさまざまな職にもつけた。地主に土地を借り耕作を選ばずとも職業は自由だったし、耕作を選択したのは食うに困らずそこまで貧しくなかったからだ。
いつ、誰に、農奴だったと吹きこまれたのか?

質問者からの補足コメント

  • 戦時中・後、農家は食糧には困らなかったはず。
    配給制の事を言っているなら、全国一律。
    むしろ地主が付いてるなら、尚のこと飢餓には困らなかっただろう。

      補足日時:2022/07/28 08:23
  • 昔の地主は、代々先祖から伝わる土地を持つ村の庄屋や重役など無償で村の為に慈善事業やっていた者が殆どだったのだから、今の政治家とは比較にならないほど救済精神の塊だった。耕作して食べていける環境を作り、住む場所がなければ無償で提供していたはずだ。
    そこまで恩恵を受けていて、なぜ米国や社会主義に騙され、耕作地だけでなくそれに付随する水路(水利権)や宿まで奪うことを考えたのか。
    民主主義と人権、平等を叫んでいる今の若者の多くはどんな人達の子孫なのか。

      補足日時:2022/07/28 08:40

A 回答 (1件)

確かにそう思います。


多分、江戸時代には、離農もできないし、高額の年貢も搾取されていたので、そのイメ-ジが残っていたのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

江戸時代なら年貢の取り立てに苦しむ共同体を守るのが庄屋の務めだったのだから、米蔵には飢餓に備えて蓄えもしてあったし、信頼、絆、相互扶助関係は更に強かったはずだが。

お礼日時:2022/07/28 08:48

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