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家系図ある家って珍しいらしいです。
何故ですか?
うちにもありませんでした。先祖が多分下っ端の百姓だからです。
公家やサムライの家系じゃないと家系図を作ることはなかったのでしょうか?

A 回答 (8件)

明治以降の日本は身分制度がほぼ消滅し、相続税の問題から家柄を重視する風土も薄弱になりました。


もう公家や武家も惣領家以外は家系図なんて無いでしょうし、家系図を有難がる風土も希薄なので家系図を捏造しようという人も滅多にいません。
たぶん、貧乏農家出身の豊臣秀吉が人臣最高位の関白になれたので、家柄を重視する風土が薄れたのではないかと思います。

隣国は貴族の両班の家柄だと称する家が相当な割合に達し、立派な家系図も持っている家が多いらしいですね。
秀吉の朝鮮出兵で、下層民たちが王宮の戸籍簿を焼き尽くしたことと、戦後の財政難から、両班の身分を朝廷が売りまくったことと、闇の捏造された家系図が大金で売買されたことが原因と言われています。
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珍しくないですよ


ウチの親戚にあったぐらいですから
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家系図って必要があったから作られるものです。

日常的に作られているものじゃないんです。必要性が無ければ名家でも作りません。ほとんどの公家は自分の家の家系図なんて持っていません。世襲で間違いなく家が続いているから作る必要が無いのです。
家系図を作る必要があるのは、出仕をしたり新規に官職を得るために、先祖の由緒書きを提出して「自分はそれに相応しい出自だ」と申請する時。
家の存続が危うくなってきてアイデンティティを確立するため。
現在ある家系図のほとんどは江戸時代以降に作成されたものです。それ以前に作られた家系図ってほとんどありません。室町期の大名だって、まず作ってません。彼らは家系図を作らなくても先祖伝来の文書を沢山持っていましたから、自分が正統な家督継承者であることを証明できましたから。
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歴史を書き残す目的がないからです。


また、農民は識字率が低かったから。
江戸時代、日本は世界で最も識字率が高かったとよく言われますが、江戸に限った話です。
地方の農村では読み書きができる人は20%程度だったと言われています。
江戸時代以前だと、識字率はさらに下がります。

公家や侍ではありませんが、うちには家系図があります。
地方の商人の家です。
読み書き算盤ができたこと、残す財産があることなどが、家系図を残した目的でしょう。
江戸初期に先祖が得体の知れない埋蔵金を掘り起こしており、その記録が今でも図書館に残っている。
そいつが家系図の大元です。
突如財産を手にして一躍有名になった田舎もんが、虚栄心から家系図を作り始めたんだと思う。
なので、せいぜい江戸時代くらいまでしか辿れません。
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昔は「家父長制」で、その「家」の長男が家督を継いで、その「家」を維持していくのです。



長女なら、婿を取って、家の存続を図るのです。

従って、長男、長女にとっては、「家系」が重要なのです。
どのような家柄であるのかを明らかにする必要があるからです。

長男、長女以外の子供達にとっては、「家」の維持存続などどうでも良いので、家系は重要ではありません。
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家系図のある家は正式調査はありません。

アンケートでは5%以下だそうです。武士なら家系図は必需品でしょう。百姓でも大百姓、名主、庄屋などあったでしょう。
虚栄ですから。まともな家系図は1%もないでしょうね。千年遡れるのは天皇家、公家、島津、相良、須藤・・会社では金剛組
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明治になって初めて戸籍が出来て


農民や商人にも名字が必要とされたからです。
家系図を書くのも流行りました。
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当然です。


百姓にはないですよ。
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