こんばんは。
今日日本史の勉強をしていたら、江戸時代末期の開国後の日本で『金が国外に流出し、質の悪い貨幣が流通した結果、物価の上昇を招いた』というような記述があったのですが、まず質の悪い貨幣とはどういうものですか、またなぜ質の悪い貨幣が流通すると物価が上がるのでしょうか??
よくわからないので、どなたか教えてください。お願いします。

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A 回答 (6件)

貨幣の元を理解すれば簡単です。

現在の貨幣で考えていては理解出来ません。
昔の貨幣は金や銀そのもを形にしたものでした。従ってとの価値はその金属の価値と同じです。
ところが、政府が悪知恵を出して質の悪い貨幣を作りました。即ち今まで1枚1万円の金属で作っていた1万円小判に他の金属を混ぜて5000円の価値しかない小判をつくったとします。これが流通すると、質感その他が違うし、価値が異なると誰もが気づき、良い小判は溜め込むでしょうし、質の悪い小判は手元に置いて置きたくないので、使おうとします。だけど受け取る人は、質の悪い小判だったら2枚じゃないと1万円の価値のあるものと交換しないよ、と言うでしょうね。
だから額面上の物価があがるのです。
もうひとつのことわざ、悪貨が良貨を駆逐する。
理由はお分かりですよね。
因みに今の紙幣も昔は兌換紙幣と言って、例えば1万円(当然当時の額面は銭の単位でしょうけれど)の紙幣を日銀に持っていけば1万円分の金と交換してくれました。現在は不換紙幣なので交換してもらえません。兌換紙幣の時はインフレは起こりませんよね。
これは質問と関係ありませんでしたね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とってもわかりやすかったです。
ということは、当時はお金の表面に○○円と書かれていても実際は、そのお金に含まれる金の量で価値が決まってたんですね。

お礼日時:2007/03/21 22:50

経済は物々交換で成り立っています、昔から金とか銀と交換できることを前提でそれに替わるものも使ってきました。

でも最後は金とかに交換できなければ、信用が成り立ちません。現在でも最終的に金と交換できるようになっているから、代替の紙で取引をしています。ていっても世界中の人がいっせいに金に変えてくれというだけの量は当然ないんですけどね。
でも金の質が半分になったら価値は半分ですからね。物価が2倍になってバランスがとれるわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お金に含まれる金の量がそのものの価値になるのですね!今の時代とは違うのでよく理解ができなかったんですね。

お礼日時:2007/03/21 22:46

江戸時代は、習慣的に“金の量”で貨幣価値が決まっていました。


質の悪い貨幣とは、同じ1両小判であっても、含まれる“金”の両が少なくされたものです。
これを“改鋳”と言います。例えば10万両の良質の小判(金の含有量が多い)を改鋳すれば、やろうと思えば(質の悪い)15万両にも増やせるわけです。
ですから、本来は10両で買えた物が、“改鋳”の後は15両に値上げとなるのです。
徳川幕府や小判を製造していた“金座”はこれで大もうけしました。政府による“詐欺行為”です。
ために庶民は物価上昇に悩まされ、お金持ちは良質の小判をこっそり隠したりしました。
“悪貨は良貨を駆逐する”とはこの事です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
幕府は質の悪い貨幣を作ることで財政危機を乗り越えようとしたのですね!
“悪貨は良貨を駆逐する”の意味がやっと理解できました笑。

お礼日時:2007/03/21 22:43

江戸時代の貨幣は、小判などでした。


その小判の中に本当の金(きん)がどれだけ含まれているか
(含有量)によって貨幣の質・価値が決まります。

金(きん)が少なければ悪貨、多ければ良貨といいます。

金(きん)の含有量が少なければ、その分だけ大量の貨幣が出回ります。
そうするとインフレという状態になるのですが、今まで同じ1両の小判で
買えていたお米を、世の中に小判が溢れている状態で売れば、みんな小判を
持っていますから、お米はすぐに売切れてしまいます。

そこで、お米の値段を値上げする必要が出てきます。
そのようにして全ての商品の価格が上って、物価が上昇します。
お米屋さんはたくさん小判を受け取っても、お米屋さんが野菜や魚を
買うときも、それらの値段が上っているわけですから、
得にはならないですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
具体的に説明してくださって大変わかりやすかったです。理解できました。

お礼日時:2007/03/21 22:41

一般に近世以前の貨幣は銅貨、銀貨、金貨といった貴金属で造られており、それが価値の保障であったことはご存じかと思います。


つまり「質の悪い貨幣」とは混ぜものが多く、貴金属としての価値の低い通貨を指して言います。
また混ぜものが多いと言うことは、同じだけの貴金属でより多数の通貨が造られる、すなわち通貨が実体経済よりも多く流通する事を意味します。
現在でも経済破綻した国が紙幣を乱発して、猛烈なインフレを引き起こす事例は多々ありますが、それと同様です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
通貨の流通量が増えるとインフレが起きるんですね!

お礼日時:2007/03/21 22:40

1 金の流失


日本と欧米での金銀交換比率が違っていた。
海外から銀を持ってきて、金と交換。その金をまた海外で銀に交換すると大もうけできたから。
2 質の悪い貨幣
金が減ったので、金の保有率の少ない、小型の小判を発行せざるを得なくなった。
3 物価の上昇
貨幣を貨幣という特別なものではなく、モノ・商品と考えてみましょう。貨幣も含めた物々交換であるとしましょう。貨幣が水増し商品、あるいは上げ底商品であれば、物々交換で貨幣と交換するモノ「生糸」とかですが、交換比率で生糸の価値が上がります、前は 小判10枚だったのに対して、金の保有率も低く、小さかったら、小判20枚にして欲しいとなります。これが物価の上昇となります。
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この回答へのお礼

すばやい回答ありがとうございます。
当時の貨幣は今の貨幣としくみが違うのですね!
勉強になりました。

お礼日時:2007/03/21 22:39

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【歴史】江戸時代の大工さんの日当が現在の貨幣価値で日当1万8000円ぐらいだったそうです。

で、1両小判が現在の貨幣価値で10万円くらいだったということは、江戸時代は庶民も1両小判を普通に持っていたと考えても良いってことですか?

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1両小判が10万円なら、大判小判は1両小判の10倍の100万円ですか?

Aベストアンサー

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 貯金するにしても小銭の穴に糸を通して、百枚位を束ねていたのでしょう。
ですから庶民が1両なんて金を持っていることはほとんど無いだろうと思います。大工の日当ですがそれは棟梁の話だと思います。その中から弟子にいくらかの日当を払うのでそんなには多くはないだろうと思います。

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さて質問ですが、
(1)江戸までの貨幣の変化について知りたいです。どのように変化したか
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(3)米の流通ですが、まず農村→藩→蔵屋敷→問屋→小売→庶民と流れていくと思うのですが、まず農村が自分達で作った米を藩にわたしますよね?そこで藩はなぜ蔵屋敷にもっていくのでしょうか?直接小売に持っていくことはできないのでしょうか?
また蔵屋敷は具体的にどのようなことを行っているのでしょうか?(問屋も)ここら辺はまったく解らないので、お願いします。

Aベストアンサー

日本の貨幣の歴史の本は何冊もあるくらいですが、かいつまんで書きます。
公式貨幣は飛鳥時代の「富本銭」銀、銅銭の鋳造から始まります。
多少流通するようになり、奈良時代から平安時代にかけ本格的鋳造がされ、「皇朝十二銭」と総称される金、銀、銅銭が次々に発行されました。
平安時代の蓄銭の奨励が逆に、貨幣の不足を招き止むを得ず蓄銭禁止令と発布とともに、改鋳して新貨幣を旧貨幣の十倍の交換比率としました。
当然反発をまねき貨幣制度は混乱しました。   平安後期から国産貨幣(銅銭)の不足解消に中国から大量の銅銭を買い付け国内に流通させました。   平清盛はその先駆けです。
鎌倉から室町時代にかけ年貢を銅銭で払うのが増え、渡来銭が一般通貨になりました。   生産量の増加した砂金を銅銭に変えたともいいます。
戦国時代になると、各地の金、銀山が開発され、戦国大名はそれぞれ自領内で通用の金、銀貨幣を鋳造しました。
信玄の「甲州一分金、一、二朱金、朱中金、その下の糸目金」が残存しています。   両も使われていたとのこと。    家康はこの制度をそっくり用いました。
他の大名の貨幣の詳細は不明です。
戦国が終わり秀吉は「天正大判」という十両金貨をつくらせました。
そのほか金貨は「太閤円歩金」価値不詳の「永楽金銭」、銀貨は「天正通宝」、「文禄通宝」など、銅貨は「文禄通宝」これらは通用期間が短く経済に与える効果は少なかった。
江戸時代になり近代貨幣制度が確立しました。
前者のサイトにあります。
慶長6年家康は金銀貨幣制度を定め、金、銀、銅貨の交換比率を設定しました。    のちに幕府や相場が決める変動比率制になりましたが。
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元文4年「寛永通宝」の鉄銭を作る。  一文相当。
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それまでは小口の取引は「寛永通宝」のような銅貨か、銀では天秤で量目を量りながら行っていました。
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そのほか江戸時代有力藩が藩内用に鋳造した、藩金、銀もありますがこれも省略します。
びた銭と呼ばれた鉄の悪銭も同様です。
改鋳も同様。

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【歴史・安土桃山時代】安土桃山時代の100文って現在の貨幣価値で幾らですか?

織田信長は安土城を地方の大名に見せるときに見学料として100文を摂取したそうです。

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当時は、金1両は約4000文でした。
1貫文は1000文で、1貫=10万円程度なので、4000文は4貫=40万円。
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Q明治末期の貨幣の価値

明治末期(1900年代)から大正年代の1円、1銭は現在のレートで言うといくらぐらいになるのですか?
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明治30年頃の1円が現在の貨幣価値にすると、大体2万円ほどだということです。

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Q貨幣の歴史について

宋から清代の貨幣について何でもいいので教えてください。
これに関する参考HPや本などがあれば教えてくださると助かります。
本はできれば、入手しやすいものでお願いします。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
 差し当たり以下のようなサイトを見つけました。ただし共に写真は豊富ですが、解説はあまりありません。
http://www.ac.wakwak.com/~sodo/
 詳しい解説の載っているページも有るかもしれませんが、検索で「中国 貨幣 宋」といったキーワードで改めて試してみて下さい。私は以上の用語で該当したうちの初めの10件のみを確認しただけです。
 と、思いましたが、ここで紹介したサイトの「リンク」を見た方が良さそうです。かなりの数の同好のページが出ていますので、そちらを当たれば、ページによっては参考文献の紹介も有るのではないでしょうか。
 新刊書店で「中国 貨幣」と検索しても、手頃な値段の良さそうな文献は『銭貨』あたりしか見出せませんでした。簡単な内容紹介がありますから
https://www.honya-town.co.jp/yurindo/index.html
で書名で検索して下さい。
 また、紹介したサイトの中に掲示板も有りますから、そちらで尋ねてみるのも良いかもしれません。 

参考URL:http://hmd.room.ne.jp/~hasy/coin/

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Q貨幣の質の低下

江戸幕府5代目将軍 徳川綱吉が行った【貨幣の質を低下させてどうなったか】という仕組みを子どもに簡単に教えたいのですが、以下の内容であっていますでしょうか?

その頃のお金は、例えば10gに何g金や銀が含まれているかどうかで質が決まっていた。
「お金を増やせば、経済が良くなる」と、考えた綱吉。
今のお金でいう10円が、当時1枚10gだとしましょう。
去年まではその10gに含まれていた金の量が1gだとしたら、お金を倍に増やしたいとき、金の量は、少しケチって0.5gにすれば、今までの倍のお金を作ることができます。

しかし、いままで1杯10円で売っていたおそばやさん。
【去年までの金が1g含まれた10円】と、【今年の金が0.5gしか含まれていない10円】
同じ10円を支払ってもらうときに、どちらが欲しいかといえば去年のお金が欲しい。
確実に金が1g含まれた貨幣を手にするには、今まで10円で売っていたそばを、20円にすれば手に入れることができます。
なので物価は上がり、人は物を買わなくなり、経済が悪化する一方でした。

知人から聞いたのですが、うろ覚えで自信がないのでお願いします。

江戸幕府5代目将軍 徳川綱吉が行った【貨幣の質を低下させてどうなったか】という仕組みを子どもに簡単に教えたいのですが、以下の内容であっていますでしょうか?

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Aベストアンサー

質問者の方の認識は、正しい認識です。
たとえば、1両に1gの金が含まれていたものを、1両に0.5gに金の量を減らしたらどうなるか。
想像しただけでわかりますね。
ここで問題になるのは、2011年発行の1両には、1gの金が含まれているのに、2012年の1両には、0.5Gの金しか含まれていないとなった場合、経済はどうなるでしょうか?
買い物をして、値段が、2011年以前の金貨では1両なのに、2012年以降の金貨では2両となってしまいます。
2011年以前の金貨を使う場合と、2012年以降の金貨を使うのでは、価値がことなってしまいます。
店では、2011年以前の貨幣では、同価格ですが、2012年以後の貨幣は2倍に設定します。
しかし、給金を現金でもらう人は、同一価格として、新しい2012年通過でもらうことになります。
これにより、物価は、実質2倍に跳ね上がることになってしまいます。
すると、当然庶民の購買力が落ち、経済が悪化することになります。
2011年通過で給金をもらっていれば、物価水準は上がっていないのに、2012年通過でもらうと物価が2倍になるという現象がおきるのです。

江戸時代、藩札が失敗したのは、みなこれが原因です。
藩が藩士に支給するのは藩札で、藩札と市場通貨との乖離で、藩士の貧困がより進んでしまったのです。

1番の方の理論は、近代経済学の理論ですが、近代経済学は、机上の空論であり、現実との乖離がはなはだしい経済理論です。

質問者の方の認識は、正しい認識です。
たとえば、1両に1gの金が含まれていたものを、1両に0.5gに金の量を減らしたらどうなるか。
想像しただけでわかりますね。
ここで問題になるのは、2011年発行の1両には、1gの金が含まれているのに、2012年の1両には、0.5Gの金しか含まれていないとなった場合、経済はどうなるでしょうか?
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社会のレポートで貨幣の歴史を調べることになりました。
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Aベストアンサー

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ごめんなさい。

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東京銀座跡地

http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/c02083map.htm

http://edophoto.web.fc2.com/mapkoganemoti2_01.jpg
(地図の上にカーソルを合わせて左クリックをすると拡大地図になります)

大阪銀座跡地

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009641.html
(左の上から2番目)

京都市伏見区銀座跡地

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県外ですが、こちらも見ごたえがあります。
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その他、横浜市役所、神奈川県庁、あるいは各区役所にお問い合わせください。

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Q開国後の貿易について

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 なるほど、確かに。と思い、「ちょっと調べてくるから、また明日答えます」と保留し、調べたのですが、有力な情報が見つかりません。
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中国からふんだくる

随分乱暴な理解ですね。

アヘン戦争というのは、

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ふんだくる
という理解の背景には、植民地に対する、プランテーションと中国や日本における茶の製造・輸出との混同があるように思います
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

現地民を半分奴隷のように働かすのがプランテーション
中国や日本における 茶の製造は、現地の中国人なり日本人が行なっております
貿易も 中国人=イギリス人 だったり 日本人=イギリス人 の間で行なっています。
なので、イギリス人から見れば、中国から買おうと日本から買おうと価格差はそんなにありません。


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